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あれから一年が経ちました

そうか、もう一年か。


2023年2月7日のことだった。

それがどういう形で私に告げられたのか、正直なところよく覚えていないが、間違いなく母から電話越しに伝えられたはずだ。その時の母の様子はどうだったのだろう。冷静だったような気がする。

「余命がね、2ヶ月なんだって」

きっと母は私にそういった。

その時はまだ、そこから先の2ヶ月がどのようになるかも、2ヶ月先からの私の世界が大きく変わってしまうことも、知る由もない。

あの時の私は、何もわかっていなかった。


朧げな記憶に目を凝らすと、母は確かその年の年明けすぐに肝臓がんの処置のために入院したはずだ。2018年の夏に最初の肝臓がんが見つかってから、数ヶ月に1回のペースで新たな肝臓がんが見つかり、その度に入院をしていた。だからその時の入院も、不安が全くなかったわけではないものの、正直「いつものね」くらいにしか考えていなかった。それはきっと母にしても同じだったと思う。

いつもは予定されていた入院期間よりも数日早く退院していたのに、その時は珍しく入院期間が延長された。聞くところによると腹水が溜まっていて、それが抜けるまでは退院できないとのことだった。

「もうおしまいなのかな…」

電話越しに母はそう口にした。弱気な母を目にしたのは3度目だった。はじめてがんが見つかったとき、抗がん剤治療を勧められたとき(結局使わなかった)、そして今回だ。

それに対して私が何と回答したのかは全く覚えていないが、珍しく弱気な母に驚いたことは間違いない。電話を切った後、耳馴染みのない「腹水」なるものに関して、医者の友人に尋ねることにした。「正直何とも言えないけど、よくあることだから心配しなくて大丈夫」というコメントを受け取り、とりあえず安心していた。1月の後半のことだと思う。


だからそこから1週間ほど経ってからの余命宣告はまさに青天の霹靂だった。翌日に詳しい話を聞くために病院に行った。コロナ禍で面会が禁止されていたこともあり、担当医から私だけが話を聞くことになった。肺への転移が見つかったこと、本来すぐに解消される腹水がいつまで経っても残っていることを鑑みると内臓機能が大幅に低下していることが予想されること、まだ試していない治療はあるが効果はほとんど期待できないこと、そして、母がこれ以上の治療の継続を望んでいないこと、が淡々と告げられた。

私も、淡々と聞いて、淡々と質問をした。


数日後に母が退院して私の家に来た。そこからの介護生活はnoteに書いているからもしかしたら読んだ方もいるかもしれない。私の人生を大きく変える出来事となった。


全ての始まりは1年前の今日だった。それまでの私は、ひどく甘ったれた世間知らずだった。本当に、何もわかっていなかったのだ。

今はどうだろう。母の介護、そして死を通し、私は少しは大人になったのだろうか。正直なところよくわからないが、あの出来事は私を変えたことだけは確かだ。そして、それに伴って、私が知覚するこの世界も変わってしまった。

今「母に会いたい」とは思わない。私は時間をかけて「母の不在」をしっかり受け止めることに、どうやら成功したようだ。この変わってしまった世界の中には母はおらず、もし仮に私が今後母に会うことになるとしたら、それは“ニセモノ”でしかないことを、今の私は知っている。


本当の母は、私の中にしかいない。私はその事実を、ようやく理解することができたように感じている。


そういう意味では、少し大人になったのだろうか。


ところで、余命宣告がちょうど1年前のことだと私に気づかせたのは昨晩東京に降った雪だった。

その雪が、去年の雪は2月10日、ちょうど私の誕生日に降ったことを思い出させた。母の余命宣告から在宅介護の開始までの“凪”の期間のことだった。

窓の外で音もなく積み重なる雪は、止まることのない時の流れとともに、私自身も少しずつ成長していることを教えてくれたような、そんな気がした。


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