Yuta Watanabe

フレグランスブランドçanoma(サノマ)クリエーター。 辛より甘、冬より夏、犬より猫…

Yuta Watanabe

フレグランスブランドçanoma(サノマ)クリエーター。 辛より甘、冬より夏、犬より猫が好き。 https://canoma-parfum.com/ https://www.instagram.com/canoma_parfum/?hl=ja

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言葉の刃物

もう25年以上も前のことだが、今でも折に触れて思い出される出来事がある。それは私の人生における「後悔」の一番最初の記憶であり、また今までで一番頻繁に思い返された事でもある。 その一方で、私はこの出来事について今まで誰かに語ったことは一度もないし、3年以上毎日書き続けているこのnoteでもそれについて触れてこなかった。なぜそうしなかったのかと問われると、ひとつはそれが他人にとっては取るに足らない出来事であろうと思われたからであるが、それにも増して、それを語ることが私にはとても

    • フォームポジット同盟

      デザイナーの友人たちを中心とした集まりは想像通りあっという間に私たちを夜更けまで運んだ。解散したのは夜11時半過ぎ。徒歩圏内に住んでいた私は、名残惜しい気持ちと共に他の人たちの反対方向に歩き出した。 普段は11時前には寝ていることの多い私は、強い眠気を抱えながら夜の渋谷のはずれをいそいそと歩いて家に向かった。昼間はあんなに暑かったのに、その時間になると長袖のシャツ一枚では肌寒かった。 奥渋のあたりの飲み屋はまだ多くの人で賑わっていた。彼ら彼女らは近隣に住んでいるのだろうか

      • 心のつながりを求めるタイプ

        「そのフレンチプレス、私が昨日貸したんだよ。忘れちゃった?」 キノシタサキは笑いながら私にそう告げる。そうか、これはキノシタサキのものだったんだ。彼女から借りた記憶は残念ながら私には欠片すら残っていなかったが、彼女にそういわれると、そんな気がしてならない。 今朝も“アイドルの卵”みたいな若い女の子(実際にその子たちはアイドルの卵なのだが)たちが我が家に出勤してくる。私はそんな若い子たちがどうにも苦手で、軽く挨拶を済ますとそそくさと自分の部屋に逃げ込む。 6畳ほどの私の部

        • でぃれくしょんといふものを、してみむとて

          あれはかれこれ一年ほど前のことだったと思う。 東京駅構内にある「IDÉE TOKYO」でのポップアップの後に、IDÉEの方から「çanomaと共同でIDÉEオリジナルのディフューザーを作りたい」という話が出た。 私としては大変興味があったが、ひとつ制約条件が。それは、とある日本の香料メーカーと一緒に香りの制作をしなければならない、というもの。つまり、çanomaの香りを手がけている調香師Jean-Michel Duriez氏を起用できない。 çanomaというブランドは

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        言葉の刃物

          中禅寺湖一周ラン(下) 「いろはにほへとあいうえお」編

          (前回はこちら) 中禅寺湖一周トレイルランニング、前回は最大の難関である「③ 阿世潟」から「④ 千手ヶ浜」について書いた。 前回同様、地名については下の地図を参考にしながら読んでいただきたい。 中禅寺湖案内 「④ 千手ヶ浜」から「⑤ 菖蒲ヶ浜」千手ヶ浜に到着した。浜辺には中年カップルが一組がいた。人を見たのがひどく久しぶりのことに思えた。 舗装された車道も久しぶりに見たような気がする。ほんの数時間しか自然の中にいなかったのにこんなふうに思えるということは、私がいかに

          中禅寺湖一周ラン(下) 「いろはにほへとあいうえお」編

          中禅寺湖一周ラン(中) 「ふたつの死」編

          (前回はこちら) 中禅寺湖一周トレイルランニングの記事、前回はホテルから寿司屋までで終わった。まだ“トレイル”にすら入っていない。 またこちらの地図を見ながら、なんとなく位置関係を把握しながら読んでいただきたい。 中禅寺湖案内 · 「② 鮨くろさき」から「③ 阿世潟」まで寿司屋を出て走り出す前、コーヒーが飲みたくなった。時計は12時半を指していた。 ここから先の道が長く険しいことは重々承知していたので、カフェでゆっくり、という気分にはなれなかった。自動販売機でジョー

          中禅寺湖一周ラン(中) 「ふたつの死」編

          中禅寺湖一周ラン(上) 「スシ食いねェ!」編

          夕食のデザートで出た、ガトーショコラとイチゴアイスを同時に口に入れると、お菓子のアポロの味がするなぁ…などとくだらないことを考えながら、私はその日一日のことを思い出していた。 私は今、日光は中禅寺湖のほとりにある「中禅寺金谷ホテル」のディナーの席でこの文章を綴りはじめた。ひとつ前の記事で、「どこかに行く」ということだけは告知していたが、日光に行くことにしたのだ。 自然に触れられて、身体が動かせて、そこまで人が多くないところ…で思いついたのが日光だった。なんだかんだで今回で

          中禅寺湖一周ラン(上) 「スシ食いねェ!」編

          純粋な旅行

          今は4月20日土曜の朝5時前。今朝もいつも通り4時半に起床した。 昨日金曜日はあらゆる予定が押しに押して、帰宅したのが夜11時半を回ってしまった。そこからあれこれして、就寝は深夜0時半。いつも早朝に投稿しているnoteも昨日は夜のうちに投稿した。 私が今いつになく興奮しているのは、寝不足だけが理由ではない。 私はこれから、旅行に出る。昨晩帰宅後早々に寝なかったのは、パッキングをしていたからだ。 仕事の用事がない旅行なんて、いつぶりだろうか… 今年のあたまに、こんな記

          純粋な旅行

          適切なカードの色は?

          数日前からオフィスの固定電話に着信が入る頻度が上がったように感じていた。出てみると今まで私の携帯電話に直接かけてくる人が、なぜかオフィスの電話を鳴らしているのだ。 その理由がわかったのは、そう感じ始めた2日後、レストランの予約をするために携帯から電話をかけようとした時だった。「発信中」という画面にはなるものの、一向に電話の呼び出し音が聞こえない。インターネットは使えるので料金未払いではなさそうだ。あれこれ調べてみたが原因不明だったので、とりあえずソフトバンクのお店に出向いて

          適切なカードの色は?

          ご褒美と成長

          アパレルブランドのデザイナーをしている友人と話していた時、彼の口からこんな主旨の発言が出た。 「自分にとっては、シーズンルックの撮影は“ご褒美”みたいなもの。一生懸命作った服が、どうやったらよりよく見えるかを、他の人たちが考えながら撮影をしてくれるのが嬉しい。自分のために頑張ってくれている姿を見るだけで涙が出そうになる」 シーズンルックとは、新商品をリリースする際に、モデルにその服を着せてブランドの世界観を複数の写真で表現したもののことを指す。彼の場合は春夏と秋冬で年2回

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          解像度を上げること

          以前私の友人が「『食べることが趣味』という人が嫌い。そんなことは金出しゃ誰でもできるわけで、金持ちの怠惰な娯楽でしかない」といっていた。多少乱暴なところはあるが、その時私は妙に納得してしまったのを覚えている。 地方に行く時はきちんと調べてその土地の名物や美味しい店に意識的に触れるようにしている。そんなわけで、以前に比べると舌(と身体)がだいぶ肥えたように思う。ブランドを立ち上げてからの3年半、本当にいろいろな場所であれこれ食べた。 あれこれ食べてわかったことがある。それは

          解像度を上げること

          ふたつを同時に愛する

          連続して行われたハードなミーティングをふたつ終えた私たちは疲れ切っていた。ずっと喋り続けた私もそうだし、横でメモをとり続けていたアシスタントは、もしかすると私よりも疲れていたかもしれない。 ミーティングの振り返りもしたかったので、とりあえず近くのカフェを探すことにした。夕方の新宿は平日にも関わらず人で溢れかえっていた。とりあえずコメダ珈琲に向かったが、思いがけない行列に出くわし早々に諦めることにした。 ふと、近くに老舗の喫茶店があることを思い出した。ただ、何度もその前は通

          ふたつを同時に愛する

          お国はどちら?

          日曜日のお昼過ぎ、私は静岡にいた。静岡駅から少し離れた場所で用事を済ましたのち、バスに乗ってまた違う用事へと向かった。 人通りの少ない道でバスを待っていた。バス停は背丈よりも少し高い程度の、先端部に円形でバス停名、胴体部に長方形で時刻表の板が貼り付けてあるだけの可能な限り簡素なものだった。もちろん、バスを待っているのも私ひとりだった。 だから予定時刻から少し遅れてバスが到着した時に、ガラガラのバスを想像していた私は、立っている人こそいなかったものの、優先席まで含めてほぼ満

          お国はどちら?

          旅行の価値

          日曜日の朝、私はいつも通り4時半に起きて前日書き上げたnoteを投稿した。 歯磨きをした後、洗濯機を回しながら台所を片付けた。いつもならnoteの執筆に充てる時間だが、その朝私はつらつらと考え事をしていた。 今日、遠出をするべきか否か… 出張ばかりしている私のことを知っている方からすると意外に思われるかもしれないが、私は今まで、あまり旅行に価値を見出してこなかった。国内、海外合わせても学生時代にいった旅行は片手で数えられるほどだし、フランス生活を始めるまでは訪れた国の数

          旅行の価値

          意図的あるいは恣意的に不明瞭な意図

          「意図が見えない」あるいは「意図が隠されている」というのがコミュニケーションの中で大きなストレスになる。「話は変わるんだけど」といった前置きもなく急に話題が変わった時に、なぜその話が出されたのかが不明瞭だと上手く話題についていけなくなったり、話している内容とは異なる“裏の意図”のようなものを感じてしまうととたんにゲンナリしてしまうのだ。 このように感じる人が多いのか少ないのかはよくわからないが、年齢に伴ってだろうか、私においては元々あったこの傾向がより強くなってきた節がある

          意図的あるいは恣意的に不明瞭な意図

          ネタは自分の中にある

          noteを始めてあと1ヶ月ほどでまる4年になる。 その間、1日たりとも記事の投稿を休まなかった。投稿した記事数は1,400を超えている。 「1,000日」や「3年」、まだまだ先の「5年」などと違い、「4年」というのはいささか中途半端なように思う。2度目のオリンピックイヤーである、というくらいだろうか。いずれにしてもあまり歯切れはよくない。 よって、4年というのは“多少キリのいい通過点”くらいなものだが、そうはいってもここまで続けるのはなかなか大変だった。それに、まだ本当

          ネタは自分の中にある