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神様だって知らない

「才能」とは何だろうか、と時々考える。それは私の中では普遍的なテーマのひとつであり、このnoteでもしばしば話題にしてきたように記憶している。

「そもそも才能なんて存在しない」と考える人もいれば「続けることこそが才能である」という意見もあろう。私自身はそういったこととは全く切り離されたところに、「才能」と呼ばれる、ある人には備わっていて、またある人には欠片すらないものが確かにある、と思っている。もちろん、これは私の個人的な考えでしかなく、私が間違っている可能性はすこぶる高いが、私は「才能の有無」という、ある意味では残酷な問いから目を背けるべきではないと考えている節がある。


ウィーンには2泊したが、ミラノからホテルに到着したのは日付が変わる直前だったし、パリへの帰りは直行便がなくバルセロナ経由の夕方頃のフライトとなったので、正味1日半ほどしか滞在できなかった。ただそれでも、3つの美術館と2つのシュニッツェル、ザッハトルテに友人との久々の再会と、大変盛りだくさんだったし、加えて予定外の買い物まで楽しんだ。

すっかりウィーンが気に入ってしまった。歴史を感じさせる街並みをのんびり歩くだけでも心躍る。パリやミラノに比べても小ぢんまりとしていて、その上人口も観光客も少ないが、文化的なことに関してはそれらの都市と比べても引けをとらない。その上人々は親切だし治安もいい、空港から市内までも電車ですぐだ。実は穴場的な観光都市なのかもしれない。

到着した翌朝、カフェで朝ごはんを済ませた後にレオポルド美術館に向かった。開館直後だったこともあり人はまばらだった。

ウィーン到着直前までの過密スケジュールのせいで、ウィーン観光について全く下調べができておらず、“とりあえず”入った美術館だったが、オーストリアを代表するアーティストの作品を中心とした展示で、素晴らしい体験となった。


そこで観たあるエゴン・シーレの作品が忘れられない。

“Tote Mutter”(Dead Mother)と名付けられた以下の作品だ。

Tote Mutter、エゴン・シーレ

解説によるとシーレが20歳のクリスマスにたった数時間で描き上げたものだそうだ。そしてその数ヶ月後、彼はこの作品を、自身の最も優れた作品のひとつ、とまで評価したとのこと。

「性と死の並列」(「生」ではなく)という、その後も彼が追求し続けたテーマを、母と子によって印象的に表現している本作品に、最初はそれが放つ不気味な魅力から惹きつけられたが、解説を読みその上で絵画に目を移すと、私の頭の中は「才能」という言葉で溢れ返った。

私は今、確かに「才能」を目にしている。そう思った。


そこに強烈な才能の存在を認めたのは、彼自身が心の奥底に秘めていた人生のテーマの存在をしっかりと掴み取り、さらにその上でそれを表現する手段を持っていたことを、作品そのものと短い解説から強烈に私が感じ取ったからだと思う。それは簡単なことのようで、きっとほとんどの人がそれができずに生涯を終える。シーレは27歳でこの世を去ることになるが、20歳という若さで既にその境地に到達していたのなら、その生にはまごうことなき価値があったといえるのではないか。

きっと彼が掴んでいた人生のテーマは、彼の絵画を通してしか表現され得ず、どんなに解説を読んで何かをわかったような気になっても、それを本当の意味で理解することはできない…私が感じたそんな「拒絶」すらも、彼の才能が本物であることの証明であるかのように感じた。


「才能」について考えるとき、私は当然のように「私自身には才能があるのか」と問う。この問いに対しての答えは当然出ていないが、少なくともシーレの辿り着いたところにはまだ至っていない。いつか到達するのだろうか、それとも私にはそもそもその資格すらないのだろうか。

きっとその答えは、神様だって知らないのだろう。そんな気がする。


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