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言葉が胸に刺さる時

突然だが、私はとても偏屈で頑固な人間だ。偏屈で頑固だからこそ香水クリエーターになっているところもある。ただ香水が好きだけでは飽き足らず、「今の香水業界はけしからん、だから自分でブランド作る!」という成り行きなわけだ。不満タラタラなのだ。言いたいことはたくさんある。ブツブツ。

そんな偏屈で頑固な私は、言われたことを素直に受け取れない。「努力家なのね」と言われても、「努力なんてしてねーし」と思う。「あなたのブランドのコンセプトは?」と聞かれると、心の中では「コンセプトなんてなくたっていい」と呟いている。

これではおじいさんになった時に、「最近の若いのは…プンスカプンスカ」と口走ってしまいかねない。

素直になれないのだ。言われたことを受け止めるのに、ワンクッション必要とする。相手に何の邪気もないことはわかっている。ただ、「その言葉、本心から出てる?」と勘繰ってしまうのだ。これはもう私が偏屈で頑固な人間であることのみに起因している。申し訳ないと思う。

つい最近の話。電話越しに仕事の話をした後、「ところで、最近どうですか?」と聞かれた。

「正直いろいろありましたが、何とかプロジェクトを前に進めています。もう少しでブランドをローンチできそうです」と答えた。

「そうですか、ひとりですごい頑張りましたもんね」

ひとりですごい頑張った…

この言葉を聞いた瞬間に、フッと泣きそうになってしまった。

偏屈で頑固な私なのに、どうしてこんな何の変哲もない言葉が胸に刺さってしまったのだろうか。後になって自分のことながら不思議に思った。

考えてみたのだが、私は私自身に対しても偏屈で頑固だったのだと思う。「お前は本当にこのブランドに100%捧げたか?」「もっと良くできたんじゃないか?」「その程度で頑張ったと言えるのか?」と、知らず知らずのうちに自分に問いただしていたのだ。それに対して、「まぁ、そりゃもっとできたかもしれんけどさ、こっちもこっちでいろいろあるんだよ…」と、偏屈で頑固な2人が私の中で、お互いに素直になれずにいがみ合っていたのだと思う。

さらに、この難しい状況下で、売り言葉に買い言葉、どんどん過激になり、私の気づかぬうちに、大きなストレスになっていた。

それが、「ひとりですごい頑張りましたもんね」の一言で、「あぁ、そうか、私、頑張ったんだ」と、私の中でいがみ合っていた2人が納得してくれたのだ。タイミングや声のトーンが絶妙で、すっと心の隙間に入ってきたのだと思う。

その言葉を聞いてからというもの、ほんの少しだけ気持ちが楽になった。難しい状況はまだ続いているが、この言葉と一緒なら、何とか乗り越えられそうな気がする。

今日は七夕。こんな偏屈で頑固な私だけど、お星様は願い事、聞いてくれるかな…

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