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何から何まで禁止してほしくないから

渋谷スクランブルスクエアのバームクーヘン屋さん「治一郎」に出張用のお土産買いに行った。夜20時過ぎの店内は予想に反してかなり混雑していた。

治一郎のコーナーは先がすぼまった等脚台形に近い形をしていて、底辺(下底)以外の3辺がカウンターとなっていた。カウンターの各辺には商品を物色しているお客さんが結構な数いた。

上底の片方の点の少し上、人がひとり入れるほど開いたあたりに「先頭」と書かれた立札があり、そこからベルトパーテーションが、上底と平行に上底の上に伸びた後、上底と反対側に鋭角に「くの字」に折れていた。上底とベルトパーテーションの間にお客さんがふたりいたので、私は「先頭」の立札と反対側にいるお客さんの後ろに並んだ。

「お客様、順番にお並びください」

そう店員から告げられた時、私は面食らった。私は順番に並んでいるつもりなのだが…

どうやら私だけではなく、そのあたりにいるお客さん全員がどのように列を作るべきなのか理解していなかったようだ。店員さんがカウンターから出てきて、「一番最初に並んでいた方からこちらにお願いします」と立札の後ろの部分を指差した。

そこは列の先頭で、すでにふたりの客が列に並んでいるのでは…?と思ったのだが、どうやらそういうことではなかったらしい。接客を受けている人以外はカウンターとベルトパーテーションの間ではなく、ベルトパーテーションの後ろに並び、その際に鋭角に「くの字」に折れたベルトパーテーションに沿って、ジグザグに並ぶことを想定された案内だったようだ。ただ、そうするとカウンターとベルトパーテーションの間にいた、接客を受けていなかったひとりはどういう扱いだったのだろう…謎は深まるばかり。

さらに、「一番最初に並んでいた人」と言われても、カウンターが3辺にわたっているため、誰が「一番最初」かはお客さん自身もわからなかった。私も私があの中で何番目なのかなんて、もちろん知る由もなかった。結果的に、店員さんが「お客さまが一番最初でしたよね?」といいながら、困惑する女性を「先頭」の立札の前に立てた。私はその方の後ろに立たされたが、私が本当に2番目だったのかはよくわからない。

店員のあの慣れた対応を見るに、一日に何度も同様の混乱が起こっているように思われた。それならもう少し工夫をして誰もが理解できるような立札とパーテーションの置き方を考えればいいのに…と、列に並びながら私はぼんやりと思っていた。


…という内容を、イントロとして書こうと思っていたら思いがけず長くなってしまった。そしてきっと、サラッと読んだだけでは状況が全くわからないだろう。「立札とパーテーションの意図が不明瞭で、皆が混乱している状況だった」ということだけ理解していただければ差し支えない。

さて、とりあえず先に進もう。


その後私はスムーズに買い物を済ますことができた。店員さんの対応も、幾分バタバタしていたがきちんとしていた。列の誘導以外に不満はない。

この件に関して、私は「はたしてこれは本当に誘導が悪かったのか、それとも私の理解の問題なのだろうか」という問いにうまく答えられないでいる。たしかにあの場には「先頭」の立札とベルトパーテーションの意味を理解している人はいなかったように見受けられた。ただそれは、私がトンチンカンなところに並んでいたことが原因となりみんなが混乱してしまったのかもしれない。

この出来事は、私に別のモヤモヤしていることを思い出させた。


代々木公園によくランニングに行く。今では朝の日課だし、そうなる前から気が向いた時に走りに行くのは代々木公園だった。

代々木神園町の信号付近の入り口から公園に入りすぐ目の前にある階段を登る。階段を登り切ると周回コースにぶつかるが、これはサイクリングロードで歩行やランニングは禁止されている。そのことは至るところに大きく明示されている。

ただ、この本来ランニングが禁止されている周回コースを走っているランナーを目にしない日はない。必ず誰かしら走っているのだ。ランニングができる周回コースが少し先にあるにも関わらず、だ。

サイクリングロードの方が人は少ないし距離も長いので、そこを走りたい気持ちはわからなくはない。ただ、それにしても禁止が明示されている上に、他にランニングできる場所があるにも関わらず、わざわざそこを走るということが私にはよく理解できない。


禁止事項がわかりにくい公園は結構多い。例えば、「スポーツの練習を禁止する」と書かれてる公園が家の近くにあるのだが、ということは遊びで野球やサッカーをすることは問題ない、という解釈が可能だ。もし仮にその解釈が正しいとした時に、遊びと練習にどのような差が存在しているのか、という疑義が生じてしまう。

ただ、代々木公園のように、わかりやすく明示しているにも関わらず抑止力があまりないようなケースを見ると、結局のところ何を書いたとしてもやる人はやる、やらない人はやらない、という結末になってしまうのかもしれない。禁止されているかどうか、ということよりも、直接管理人に注意されるかどうか、ということが判断基準となってしまうのだろう。

そして、いざ自分がある場所の運営において人々の行動を制限しようとすると、こちらの意図に反して人々は自由気ままに動くということを知り、「どう記載したところでどうせ人々はちゃんと見てくれないから」と投げやりになりながらすこぶるわかりにくい誘導をしてしまうのかもしれない。


皆がほんのちょっと周りに注意するだけで、世の中は円滑に回りそうな気がしなくもないのだが、これだけ多種多様な人がいるこの世界では、皆が同様の水準で注意を払うというのはどうやら現実的ではなさそうだ。

現実的ではないのはとてもよくわかりつつも、ルールを遵守している人がバカを見る世の中にも、何から何まで禁止する世の中にも、なって欲しくないしなるべきではない、と私は思う。ただきっと、残念ながら世の中はそんなにうまくはいかないから、私はモヤモヤを抱え続けながらこれからも生き続けることになるのだろう。


いずれにしても、治一郎の立札とパーテーションの意図を明確にすることが、私のモヤモヤ解消の大きな一歩になる、かもしれない…?

治一郎さん、お願いします…!


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