見出し画像

FC東京U-23対ザスパクサツ群馬の観戦のため24年ぶりに西が丘に行った話と思い出

ひさびさにサッカーを生観戦した。じつに11年ぶりだ。
11年前に見に行ったのは、埼玉スタジアムでおこなわれた浦和レッズとマンチェスター・ユナイテッドとのフレンドリーマッチ。
まだルーニーとロナウドがチームメイトだったころのことだ。

それ以降もずっと継続してサッカー自体は見ていた。
ただし、スタジアムで観戦せず、テレビやネット配信のみで。

そんなぼくが今回現地に、しかもJ3の試合に足を運んだ理由はいくつかある。

西が丘に行こうと思った理由

まずひとつめの理由。
原博実さんがツイッターで拡散したこちらのnoteだ。

この記事が、日本サッカーのためにも現地にもっと足を運ぼうという気持ちにさせてくれた。

そしてふたつめ。
ロシアW杯の日本代表戦のニコ生解説をつとめた、作家の中村慎太郎さんの影響が大きい。

ベルギー戦の敗戦後、彼はツイッターで、著書の『サポーターをめぐる冒険』の宣伝をした。

存在は知っていたし、読んでみたいと思っていたものの、ずっと機会を逸してきた本だ。
その機会が訪れたのだと思ってポチり、読んでみた。

その感想は別の場に書きたいと思っているが、ともかく現地観戦したくなる本だった。それもFC東京を。

しかし、それなら普通は、味の素スタジアムでJ1の試合を見ようと思うはず。
ましてや、イニエスタ来日後のヴィッセル神戸戦があるわけだし。

なのにぼくは、西が丘でFC東京U-23の試合を観戦することを選んだ。

それにはさらにもうひとつ別の理由がある。
これまたW杯中のツイートだ。

ストリートやアスファルトの上でサッカーをする。
ぼくがその経験をしたのが西が丘だった。
93年のJリーグ開幕を小5でむかえたぼくは、まんまと日常的にボールを蹴る子供になった。
というか、クラスの大半の男子がそうなった。
ほんとうに路上で蹴っていたこともあったけれど、西が丘のスタジアム外周のコンクリートのあたりでよく蹴っていた。
そんな思い出の地にまた足を踏み入れたくなった。
日韓W杯のために大きな工事が行われて以降、どことなく用もなしに敷地に入ることをためらわせる趣があった西が丘だが、開催試合の観戦のためなら堂々と入場できる。

以上が、今回の西が丘行きの理由だ。
すべてがW杯期間中のネット上での発信によるものだ。
つまり、日本サッカーを想うみなさんにまんまと突き動かされたというわけである。

いざ西が丘へ

いざ西が丘。
ひさびさの生観戦に胸を高鳴らせつつ家を出たぼくは――

そのまま1分程度歩いて、もうスタジアムに着いた。

生まれてから4回引っ越しているが、すべて本蓮沼駅と西が丘サッカー場の中間なぼく。
現在の住居も、窓を開ければサポーターの声援が聞こえるくらいの超近場だ。
ちなみに、これでも昔住んでいたところよりも西が丘と距離が遠くなっていたりする。
ちなみにちなみに、チケットも本蓮沼駅前のローソンで買った。

スタジアム外壁の石垣の向こうから、サポーターたちの声が聞こえる。
にぎやかな祭りの中心にむかって歩いていくときのような、わくわくとはやる気持ちを感じつつ、チケットを提示して入場。
夏なので、うちわと飴をもらった。

最後に西が丘のスタジアム内に入ったのは、おそらく94年の高校サッカー東京予選の決勝だったと思う。
つまり24年ぶりの入場だ。

24年ぶりに入場してまず思ったこと。

狭い。

記憶にある西が丘よりも狭い。

前に中に入ったのはランドセルを背負っていたころだから、ぼくが成長したせいでそう感じるのかもしれない。

とりあえず購入した席に向かう。
FC東京とサズパクサツ群馬。どちらのサポーターでもない僕は、メイン中央自由席を選択していた。

席に着くと、狭いだけあってほんとうにピッチが近かった。
風が吹くと、芝生の匂いが運ばれてくる。
草の匂いなんて日ごろかぐことはない。異世界ファンタジーのようだ。

風に誘われて空を見上げる。

とても広かった。

東京23区の住宅地とは思えない、非日常的な世界だ。
前述の『サポーターをめぐる冒険』でもスタジアムの異世界性や味の素スタジアムの「空」に著者が魅了される記述が出てきた。
ぼくもそれを追体験しているような気分になった。

サポーターたちの印象

周囲を見回す。

ぼくから見て左手、三田線の本蓮沼駅側はビジター用のゴール裏のようだ。

黄色い。

端から端まで群馬のサポーターで埋まっていた。
群馬のクラブカラーは紺と黄色らしいが、目にしたぼくは「黄色い」と感じた。

じつをいうと、ザスパクサツ群馬のカラーすら、このときまで知らなかった。

現在のクラブ名になる前のザスパ草津時代。
元日本代表ゴールキーパーだった小島伸幸さんが温泉で働きながらプレーしていたクラブ、という程度の認識しかなかった。

名称がいつの間にか変化していたことは知っている。
名前は知っているけれど、それ以上のことはほとんど何もわからない。
申し訳ないけれど、それくらいぼくのなかでは存在感の薄いクラブだった。
今日だって「FC東京を西が丘で見よう」という目的意識で来たわけだし。

そのよく知らないクラブのサポーターたちが、わざわざ群馬からきて旗をふり、いわゆる「ゴール裏」を形成している。
ぼくが昔から遊んでいた場所で。

24年ぶりにおとずれた分際でこんなこと言うのもなんだが、感謝の気持ちを抱いてしまった。

コールリーダーが「勝ってホームに帰ろう!」とメガホンで叫んでいた。
「J2昇格」という横断幕も見える。

きっと彼らはJ2昇格圏内を狙える位置にいるのだろうと察せられた(つまりこのときまだ群馬の順位すら知らなかった)。
一戦一戦を本気で勝ちたいという気持ちが、ビジター席の端から端までユニフォーム姿に人々で埋まっていることからも伝わってきた。

対して、ホームチームであるFC東京U-23側ゴール裏はというと。

ぼくから見て右手。どちらかというと板橋本町駅寄りの彼らの姿は、まばらだった。
あまり「後方から選手の背中を押す推進剤になるぜ!」という感じはしなかった。

とはいえ、スタジアム全体としてはFC東京サポーターの姿が少ないわけではない。

西が丘のホーム自由席は、群馬サポーターのゴール裏とぼくのいるメイン中央自由席以外のすべて。
つまりスタジアムの全スタンドの4分の3ほどある。

ぼくの左右の席にはFC東京のユニフォームに身を包んだ人々が多数いるように見えた。

U-23の試合に足を運ぶくらい熱心なサポーターではある。が、ゴール裏にはいかない。

トップチームでないからなのか、それともJ3で最下位という現在の順位が(こちらは確認してあった)応援する意欲を少しだけ失わせているのか。
理由はわからないが、なんとも不思議な光景だと思った。

かといって彼らの姿にがっかりするわけではなかった。
なんせ年齢層が広いのだ。

ザスパクサツ群馬サポーターが彼らのゴール裏で「面」のように見えているのに対し、すぐ両隣にいるFC東京サポーターたちはひとりひとりの顔がよく見えた。

小学生くらいの子供、10代20代の若者はもちろん、Jリーグ開幕直撃世代であろう30代以上のおっさんおばさんたち。
「還暦近いですよね?」ってお歳の人々も。

おとなもこどももおねーさんも。
ばばあも孫もおっさんも。

という感じであった。

ついでに言うと、入り口でチケットを切ったり、うちわを配ったりしていた(おそらくFC東京側の)スタッフも40代50代の人たちだったと思う。

日本はまだサッカー文化が根付いていない、とはよく言われる。
そしてそれはおそらくその通りなんだろうとも思う。
海外には創設100年を越すクラブがたくさんあるし、イングランドやスコットランドなんかシャーロック・ホームズが活躍した19世紀から続いているクラブだらけだ。

でも、蒔かれた種は確実に根を伸ばしてるよね、これ。

メイン中央自由席にも人が増えてきた。
ここはてっきり中立的な人たちが来る場所なのかと思っていたのだが、意外にも両クラブのユニフォーム姿を見かける。

斜め前方に群馬のユニフォーム姿の夫婦が幼児を抱いて着席したところを見ると、まだまだ手のかかる年齢の子供を連れたファミリーにとって観戦しやすいエリアなのかもしれない。周囲には他にも子連れの姿があった。
夫婦は小型扇風機で幼児に風をあてていた。

暑いからな……。

まだ試合は始まっていないのに、生身のサポーターの在り方と空を見ただけで、ちょっと感動してしまった。

選手紹介~ユルネバ~選手入場

キックオフの17時が近づいてきた。

スタジアムDJによる選手紹介が始まった。
アウェイである群馬の選手は簡素な紹介、ホームであるFC東京は派手な紹介。
西が丘でも、ちゃんとホームとアウェイの差が演出されていた。

知っている選手は平川怜選手だけだった。
彼のことは先ごろ移籍した久保建英選手とともに知っていたし、プレーも少しだけ見たことがあった。

にしても、J1などでは相手チームの選手紹介時にブーイングが起きることがあると聞く。
ひときわ大きなブーイングが起きるのは注目すべき危険な選手だ、と。

ぜんぜん選手を知らないぼくとしてはブーイングを頼りに注目選手にあたりをつけようと思っていたのだが、ブーイングのない平和な選手紹介だった。
もしかしたらうっすらブーイングしている人はいたのかもしれないが、気がつかなかった。

FC東京選手紹介のBGMとうって変わってゆったりした音楽が始まった。

リバプールを筆頭に、ヨーロッパのいくつかのクラブで合唱される有名な曲「You'll Never Walk Alone」。
いわゆる「ユルネバ」だ。

マフラーを掲げる老若男女のサポーターたち。
どうしても人数的に迫力の大合唱とはいかない。屋根のない西が丘では音の反響もない。

それでも非常に美しい光景だと思った。

他方、群馬サポーターはユルネバの最中も自分たちのチャントを歌っていた。
ホームスタジアムの音響設備を使ったユルネバに対し、アウェイの太鼓と肉声のチャント。
ぼくが両サポーターの発する雰囲気の違いを楽しみつつ、試合開始を待っていると。

「今応援するのってだめなんじゃないの?」

真後ろに座っている数人の群馬サポーターからそんな話し声が聞こえた。

なるほど、と少しは納得する部分がある。
日本的なマナーっぽい話だな、と。

ただぼくは、スタジアムにいる時間のすべてを勝利のために捧げたいというサポーターの強い意思のあらわれだと感じた。
第三者視点から、決して不快に感じるものではなかった。

いよいよトンネルから選手たちが出てくる。

近い!

この距離感。
コイントスをする際の審判の声まで聞こえる。
もしかして、西が丘って日本を代表する専スタなんじゃないのか?
収容人数は1万人以下だけど。

試合開始

映画館で映画観賞をするとき。
NO MORE 映画泥棒が捕まると照明がすべて消え、製作会社や配給会社のロゴが終わると、どこが始点かもよく分からないままスゥーっと本編が始まる。
すると、まだ見ぬ物語がゆえに、しばらく気持ちが置いていかれることがあると思う(ありますよね?)。

サッカーの試合も映画によく似ていて、開始数分のあいだはいまひとつ、目の前で急に始まった躍動に、頭や気持ちがついていけないことがある。

この日もキックオフからしばらくの間は、見る側として、試合に入り込めずにいた。

テレビではカメラが勝手にボールを追いかけてくれる。
カメラの動きや切り替えが、そのまま観戦のガイドになってくれる。

だが、生で観戦するとそうはいかない。
自分で見たいところを見たいように見るしかない。

そんな当然なことを脳みそが理解するまで1~2分はかかったと思う。

すっかりテレビ観戦仕様の体になっていたのだ。

ぼくはあらためて、前のめりに座りなおした。

姿勢を変えただけで五感が本来の調子を取り戻したのか、試合に引き込まれるまで、時間はかからなかった。

ぼくを試合に引き込んだのは、サポーターたちの応援だった。

ザスパクサツ群馬のチャントと太鼓の音の厚み!

まるで、音の勢いでボールを少しでも相手ゴールに向かって前進させようとしてるかのようだった。

冗談でも修辞でもなく、本気でそう信じているかのような圧力で選手たちを後押ししていた。

いちおうFC東京を見にきたはずのぼくだったが、この応援の強烈な力が、群馬の選手たちへの注目をうながした。

知ってる選手はひとりもいない。

そのなかで目をひく選手がいた。

ザスパクサツ群馬の背番号7の高橋駿太選手だ。
攻撃的なポジションで懸命に走り回る姿と、野生的というか武士的な風貌が好印象だった。
電光掲示板に出場中の選手の名前と背番号が常に表示されていたようだが、ぼくがそれに気がつくのはもう少し後でのこと。
この時点では名前も知らない武士系選手。
ボールを引き出したり競ったりしている7番を見ているうちに、彼の得点シーンを願っている自分がいた。

7番の持ち前の闘争心やチームのためにファイトする気持ちもあるだろう。
サポーターだってひとりひとりの高揚感があるはずだ。

それでもぼくには、チャントが選手を鼓舞し、選手の闘志溢れるプレーがサポーターの血潮をたぎらせる、興奮の循環関係があるように見えた。

勢いづく攻撃を、両キーパーが好セーブで防いだ。
キーパーが光ると試合は白熱する。
試合の白熱にこたえるようにチャントはいっそう熱量を増す。

まだ前半の途中で均衡も破られていない。
決定的なことはなにも起きていない。
にもかかわらず、興奮の好循環に巻き込まれたぼくは、

「これは病みつきになる気持ちもわかるな」

と思った。

ピッチの高さに近いため、けっして見やすいわけではない。
シャビでも遠藤保仁でもないぼくにはテレビ観戦時ほどスペースや選手の位置取りがつかめるわけではない。

中央より向こうなんか、ほとんど対岸みたいだ。

なのにこの時点で

「これはぜったい、また見に来るやつだわ……」

と決心してしまっていた。

生で見るサッカーはテレビで見るそれといくつかの点で印象が異なった。

まず選手同士のコミュニケーションが、テレビ以上にわかりやすい。
テレビのフレームで切り取られることのない現地で、しかも狭い専用スタジアムだからというのもあるのかもしれないが。
テレビでも、相手DFの裏を狙う長いパスを出し、そのパスに追いつけなかった際に、前線の選手がパスの出し手に親指を立てたりする姿は映っている。
しかし、現地で見ていると、そのパス選択そのものを制止する手の動きやしぐさまで見て取れる。
これはあまりカメラが映してくれないところだ。とくにパスの出し手と受け手の距離が離れているほどどうしても一度にフレームのなかに収めることができないわけで。
選手同士の位置関係が遠くても、意思が通い合っているところを楽しめるのは現地観戦ならではの特権だと思った。

カメラのフレーム外といえば、コーナーキックも同様だ。
テレビ中継ではキッカーとゴール前からペナルティエリアの少し外までしか基本的に映らない。
が、カメラにとらわれない現地観戦では、コーナーキックを蹴るチームの陣内まで自由に眺めることができる。
そこで気がついたのが、ゴールキーパーしかいなくてスペースだらけだということだ。
コーナーキック失敗からのカウンターがいかに脅威か、非常によくわかる。

選手たちが走る姿もほんとうに迫力があった。
骨と筋肉と体重とバネのある塊が地の上をすごい勢いで動いている、という力感に満ちている。

そして最大の違いが、サポーターの応援が作り出す雰囲気だ。
テレビでももちろんチャントは聞こえてくるが、現地で体感すると、サポーターの気持ちまで伝わってくる。
その気持ちのこもった応援は、スタジアム内の多くの人たちを巻き込み、ぼくのような中立な人間や、もしかしたら相手チームのサポーターにまで好感をあたえる。
今日だって、群馬のサポーターの力が、ぼくに高橋選手の活躍を願わせた。
チームを勝たせたいという純粋な想いと迫力のある応援は確実にファンを増やす。
だからどんなときも最後まで一生懸命に応援すべきだ、ということを、身をもって気がついた。

さて、この時点ではどちらかというと、初見のザスパクサツ群馬に肩入れしかけていたぼくだが。

「いやー、やっぱうまいな、52番」

真後ろの、ザスパクサツ群馬のユニフォームを着たおっさんがつぶやいた。

じつはこのおっさん、試合開始からかなり隣席の連れ合いとしゃべるタイプのおっさんで、しかも「つまんねー試合だなー」とか、ネガティブな言葉が多い類のおっさんだった。

ぼくは、

「後ろのおっさん、ボヤくタイプのおっさんだ!」

と思いながらも、

「うんうん、それもまたおっさんだね」

なんて、さして不快に思うでもなく聞き流していたのだが。

おっさんは52番の芳賀日陽選手のことがいたくお気に入りのようで、その後も褒め続けた。

おっさんの解説が後頭部から降り注ぐことにより、ぼくも芳賀選手に注目するようになっていた。

これによって、もしかしたら贔屓目が生まれたのかもしれないが、

「いま芳賀くんにパス出せばシュートまで行けたんじゃ……」

なんて思う場面もあった。

前半のちょうど真ん中あたり。
試合がいったん切られ、事前にアナウンスのあった飲水タイムとなった。
17時キックオフの試合は、夕方で気温が下がってきたとはいえ、それでも暑い。
ぼくも持参した水を飲んだ。

と、そこに、ビールとチューハイを抱えた売り子のお姉さん登場した。

声をあげて購入者を募っている。

可愛い。

夏の屋外仕事で化粧がはがれ気味の顔が一生懸命感あって、そこがまた可愛い。
サッカーのある現場で働いているところがまた、可愛さを数割増しにしている。

こんなに可愛いのにぼくの周囲のおとなたちは無反応。

「おい、こんなに暑い中働いていて笑顔が爽やか可愛いのに、このまま彼女の営業を空振りにおわらせるなよおまえら、ほんと可愛い」

と、内心で思っていたら。

前の席にすわっていたお兄さんがビールを買ったことを皮切りに、いくつか売れたのでホッとした。

(こうして書いていて思うが、俺も買えよ)

試合が再開し、しばらく時間が経過したころ。

ついに、先制点が生まれた。

ぼくから見て対岸のサイドで、あの7番の高橋選手が相手選手をかわしてゴール前の味方にパスを送った。

ゴール前でフリーの選手がボールを受けた瞬間、「打て!」や「決めろ!」の声がぼくの周囲からもあがった。

選手がボールにタッチしてシュートに持ち込むまでの時間なんてわずかなものだ。

その間に声を飛ばすなんてほとんど反射によるものだろう。それだけ客席もテンションが上がって研ぎ澄まされているのだ。

シュートは見事にネットを揺らし、群馬サポーターたちから特大の歓声が上がった。

ぼくも拍手で選手たちを称えた。

キックオフで試合が再開される。

すると、ここが勝負どころといわんばかりに群馬サポーターのチャントが迫力と攻撃性を増した。
追加点を奪って勝ちをさらに引き寄せるように。
失点をしないよう気持ちを引き締めるように。
得点後の時間帯に警戒すべきことや、試合の進め方を、サポーターが教えているように感じた。
選手たちにとっては、気持ちの鼓舞のみならず、コーチングのような効果もあるのではないだろうか。
やはり彼らは共に戦っている……。

ザスパクサツ群馬にとっては失点をせずに、FC東京にとっては同点にできないまま前半が終了した。

ハーフタイム

ハーフタイムは席を立たずにぼんやりと過ごした。
ピッチサイドではスタッフの人が、選手たちが飲んだスクイズボトルをひとつひとつ新しいものに交換していた。
放送機材のものであろうケーブル類を整理している女性の姿も目に入った。
サッカーの試合は、多くの人たちがそれぞれの仕事をこなすことで成立しているのだ。

ちょっと面白かったのが、スタジアムDJによってJ3他会場の試合情報がお知らせされたときだ。
17時キックオフの試合だったため、他会場はまだひとつも試合が始まっていなかったのだ。
にもかかわらず、すべての会場のキックオフ時間を律儀に読み上げていくのだ。
そして最後に

「以上、他会場の情報でした」

と締めた。

いや、情報ゼロですよね!?

後半開始

南東から月が顔を見せ、まだ黄昏時ではあるものの照明も灯された。

FC東京側に選手交代があってから後半のキックオフ。

「攻撃うまくいってないから芳賀くんボランチになっちゃったよ」

おっさんの解説どおり、芳賀選手は中央に位置していた。

FC東京としては、まずは同点に追いつくところからだ。

ザスパクサツ群馬のサポーターの応援は前半と変わらずに力強いものだった。

その応援にこたえるように、後半ほどなくして群馬が再び得点した。

周囲の話し声でわかったが、1点目と同じ風間宏希選手だ。

しかも今度は前半と違って、ゴール裏のサポーターの目の前だ。

サポーターの喜びが爆発するのも当然だ。

2点をとってもまだまだ群馬は攻め手を緩めなかった。

とれる限りの点をとり、試合の主導権を絶対に相手に渡さない。

すべての選手たちがおなじ意思を共有しているように見えた。

このあたりから、選手同士の接触やタックルもいちだんと激しさを増していったと思う。

ひとときも目が離せない戦いが繰り広げられていた。

FC東京側のクリアボールが高く上がる。
なんだか自分のほうに向かってきているような……。
ような、ではなく、ほんとうに向かってきていた。

94年にJFLの試合を観戦したときもボールが飛んできた。
そのときは正面からだったためキャッチができたのだが。

さいきん運動不足だからな……。

ぼくと違って激しく運動している選手たちのなかに、ついに足を攣る選手があらわれた。
そのまま後半の飲水タイムに突入した。売り子のお姉さんは来なかった。

足を攣った選手の交代がアナウンスされる。
投入された選手の名は長谷川巧といった。

長谷川健太と堀池巧を足したような名前だ。ぜひミドルネームで克己も入れて欲しい。

試合はいよいよ後半もなかばあたり。
FC東京の選手交代におっさんが反応した。

「リッピが出てきた」

外国人選手だ。
おっさんが反応するということは要注目の選手なのだろうか。
投入の時間帯的にも、流れを変えることが期待されているはずだ。

そしてそのリッピ・ヴェローゾ選手。
彼は群馬の選手との接触をものともしない強靭なフィジカルを持っていた。
「強い!」と声があがった。

リッピから芳賀選手にパスが渡り、芳賀選手がターンをしたところ、群馬の選手がファウルを犯してしまった。
ペナルティエリアの中だ。PKだ。

ポジションを変えてからの芳賀選手は、ボールタッチ数も少なく、正直言って機能していたとは言い難かった。
けれど、ここに来てPK獲得という重要な仕事をした。
今日初めて知ったばかりの選手なのにもかかわらず、ひとつ大きな貢献をしたことでこちらも嬉しくなった。

キッカーはリッピ選手が務め、決めた。しかし、キーパーも惜しかった!

「2-0は危険なスコア」という言葉がある。

いつから日本に定着したのかは知らないし、真実なのかどうかもわからない。
海外においては2点差があればセーフティとされているが、それでも1点取っただけで残り1点差になってしまえば、勢いづくのは理解できる。

現実に、FC東京はいっきに追い上げムードになった。

黄昏時を越えて、すっかり日は落ち、完全に夜戦となった。

残り時間は10~15分。

試合がどちらに転ぶのか。ここが運命の分かれ道だ。

攻撃の主導権は圧倒的にFC東京が握っている。

ザスパクサツ群馬のサポーターたちは、この日最大の音圧でチャントを歌った。
「これ以上点を取らせない」という絶対の意思を感じさせる応援だ。

芳賀選手を褒める以外はおおむねボヤいていたおっさんも「面白くなってきた」と興奮気味のご様子。

群馬は7番の高橋選手を下げた。
攻撃的な選手を交代させるということは、1点差を守りきるつもりだ。

ぼくも高橋選手に拍手を送った。試合開始後から印象的な動きで楽しませてもらったお礼のつもりだった。

その直後。次のプレーでFC東京が群馬のゴール前に迫り、ふたたび笛が吹かれた。

長身で印象的だった矢島選手が倒され、FC東京に2度目のPKが与えられた。

ぼくは祈った。なんとしてもセーブしてくれ、と。
ここまできたら、群馬のサポーターたちに勝利を持ち帰って欲しい。

声援と怒号が飛ぶなかで矢島選手がボールを蹴った。

止めた! 完璧なストップ!

……ストップしたはずなのに様子がおかしい。
もしかしてやり直しだろうか。せっかくのPKストップだというのに!

周囲の群馬サポーターからは審判に対して罵声が浴びせられた。
ほんとうに「クソ審判!」なんて言葉が飛ぶ。
ついでに指笛も飛んだ!
僕ができないやつ! やろうとすると、れんちょん(のんのんびより)みたいになるやつ!

「先に入ったんだ!」と、やたらとでかい声が聞こえた。

どうやら、FC東京の選手が、キックの前にボックス内に入ってしまったらしい。
気持ちがはやりすぎたのだろうか。これが若さか。

いずれにせいよ、ザスパクサツ群馬は凌ぎきった。あとは勝つだけだ。

群馬がなんとかボールを保持し、時間をつかおうとする。
リッピ選手が中央を突破し、シュートを打つも、これも防いだ!
芳賀選手もゴールに迫る。
しかし、あとわずか、薄皮1枚分くらいの差でゴールラインを割ることができない。
途切れることないチャントの防壁と選手たちの執念が、最後まで勝ったのだ。

4分のアディショナルタイムも終わり。試合終了の笛が吹かれた。
と同時に地に膝をつくFC東京の幾人かの選手たち。
追いつくチャンスはあっただけに悔しさも一入なんだろう。

選手たちがサポーター、その他の来場者たちに挨拶をする。
群馬サポーターは今日東京まで来てほんとうに良かったと思っているはずだ。

今日聞いたチャントで何度も反復され、とても印象的だった言葉、「俺たちの誇り」

J3だから多くの選手が日本代表や海外移籍のレベルにはないかもしれない。
サポーターだって19世紀からやっているイングランドやスコットランドほど伝統があるわけでもない。

しかし、クラブや街のため懸命に戦う尊さがそこにはある。
今日も明日も、日本全国のスタジアムで誇りを賭けた試合が行われる。
もちろん上手くいかない日もたくさんあるんだろうけど。

これはやはり、今後も現地観戦をしなければ……。

人々が帰り始め、ぼくの周囲も腰を上げ始めた。
ぼくよりもさらにピッチに近い席で見ていた親子が階段を上りながら、

「お父さん、面白かったね!」

高い声で子供が言った。

この子がすべてを一言で要約してくれた。

今日は面白かった!

試合終了後。少しだけ昔の思い出。

試合終了後。
ザスパクサツ群馬のサポーターは、選手全員の名前を叫んで勝利をたたえようとしていた。
名残惜しい気もしたけれど、西が丘の外に出た。

夜、観戦を終えて外に出るのは94年ごろのJFL以来だ。
いまにして思えば、FC東京の前身である東京ガスの試合をもっとも多く見たはずだ。
試合後に選手たちに大量のサインをもらったこともあった。

この場所は思い出だらけだ。

当時のJFLは後半になると入り口に誰もいなくなり、場内にタダで入り放題だった。

よくないことだというのは分かっているが、25年近く前のことだから時効だろうと思って言うと、外壁の生垣をこっそりのぼって侵入してお金を払わずに観戦したこともある(先述した高校サッカーの決勝がそれだ)。
のちに南米やなんかでチケットを持たずにスタジアムに入ってしまう人たちがいることを知って「あるある、俺もやったわ」と共感したっけ。

もちろん正規の方法でも入場した。
友達にもらったチケットでヴェルディのサテライトも見たし、自衛隊のサッカーチームとJリーグのチーム(たしか横浜フリューゲルスだったような……)との試合なんかも。

ハンス・オフトが役目を終え、日本代表にファルカン監督が就任したあとの練習には多くの人が集まった。
電光掲示板の後ろあたりに友達とともによじのぼって中を見ていたら、警備員が「あんまり騒がずに見てね」と理解を示してくれた。

鳥栖時代のウーゴ・マラドーナだって見た。

試合を見ただけじゃない。

今はもうないようだが、そのむかしは観客席のない(途中で増設された気もするけど)第2グラウンドがあって、そこも遊び場だった。たまにしか手入れのされない芝だったけれど、きれいに生やした直後は壮観だった。

おそらく有料のはずだが、よく勝手に入ってボールを蹴った。
小学生だったぼくたちには大人が使うゴールはひろすぎて、どうやって守ればいいか見当がつかなかった。

周辺にも使用していないゴールがいくつも転がっていて、これも勝手に使用した。
ゴールを使わなくてもバンバン壁にあててた。

コミュ力高い友達がその場でおなじようにサッカーをしていた子供たちに声をかけ、いっしょにボールを蹴った。
「その場にいる知らないやつとプレーするのがJリーグ時代の遊び方なのか」と本気で信じ込み、自分でも声をかけたこともあった。

ぼくたちのストリートサッカーはここで行われていた。

思えば迷惑なことをしたはずだが、どこでボールを蹴っても怒られなかった。

怒られたのはサッカー場内に勝手に侵入して遊んだときだけ。あのときは数分で関係者がやってきて追い出された。

サッカーだけでなく、正月の凧揚げも、雪が積もったあとの雪だるま作りも西が丘でやったし、銀杏もひろって帰った。

今このあたりに住んでいる子供たちはどうだろう。ぼくたちと同じように遊び場にしているだろうか。

蓮沼アスリート通りを本蓮沼方面へ歩く。

むかしはサッカーの試合開催日は路上駐車(というより歩道駐車)した車がミランやユベントスのユニフォームを売っていた。

欲しくて欲しくてしょうがなかったな、あれ。

前後を歩いていたサポーターたちが本蓮沼駅にたどり着くよりも早く帰宅。

また近いうちに西が丘に観戦に行きたい、と思う。
FC東京U-23はもちろん、東京ヴェルディだっていい。
ヴェルディならびに日テレベレーザは関係者(サポーター?)が、本蓮沼~西が丘間の商店に、試合日程の書かれたポスターを配布している。
その姿をときどき見かける。

とにもかくにも、西が丘で試合をもっと見たいと強く思った。

芳賀選手のプレーも気になるしね。


この記事が参加している募集

イベントレポ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?