【翻訳】トーレス「僕はアトレティコのより助けになれる場所へ戻ろうと思う」

(2020年9月21日追記:この記事は最後まで無料で読めますが、もしご支援を賜れれば幸いに存じます。)

(2020年9月18日追記:訳の根拠を別noteに書きました!もし気になる方がいたら併せてご覧ください。最初はこのnoteに付け足すつもりだったのですが、あまりに長くなり過ぎてしまったので一つのnoteとして独立させました)

本記事を出した翌日に投稿した上の記事では、翻訳を一部見直しました。この記事で示した翻訳よりも自然な訳文を読みたいという方は、上の記事の訳文の所も併せてお読みいただければと思います。

はじめに ちょっと長い前置き

2020年9月16日、サッカーダイジェストのウェブ版にこんな記事が公開された。

https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=79203

フェルナンド・トーレスのインタビューを基に書かれたこの記事によると、トーレスはサガン鳥栖時代の経験を次のように回想しているという。


「そして、Jリーグでのプレーについては、「トップレベルではない相手に、どのようにプレーしていいかわからなかった」「そうしたサッカーをする準備ができていなかった」と吐露。「だから1年しか滞在しなかった」と続けている。」


上記の「発言」を受け、一部のサッカーファンによる「Jリーグはレベルが低い」「自分が活躍できなかったのをチームメイトのせいにしているトーレスはダサい」「もう日本に来るつもりが無いからといって好き勝手言っている」といった旨の書き込みがネット上で見られた。

しかし、私にある疑問が浮かんだ。「やべっちFC」などのテレビ番組、トーレス本人がゲスト出演したyoutube動画「JリーグTV」を思い起こすと、上述の記事のような発言をトーレスがするだろうか?

(無論リップサービスの可能性があるとはいえ、)トーレスはJリーグの事を、サガン鳥栖のチームメイトの事を称賛していたではないか。そんな彼がここまで直接的にJリーグを悪く言うのはやや不自然ではないか?

そこで私は原文にあたることにした。参照したのはスペインの老舗スポーツ新聞ASのウェブ版に掲載された記事だ。

↑アクセント記号付きの文字が文字化けしているようです。原題は"Torres: Volveré al sitio que me permita ayudar más Atlético"です。(ここも文字化けしたらどうしたら良いのかしらん?)

この記事はAmazon Primeで2020年9月18日から公開されるというフェルナンド・トーレスのドキュメンタリーを紹介するもので、トーレス本人の発言が多く引用されている。トーレスが過ごした各チームについての簡潔な回想が時系列順に並んでおり、彼が選手として最後のチームとして選んだサガン鳥栖についての回想は記事の最後の方に載っている。

2020年9月16日私はサガン鳥栖時代について回想している箇所を訳出してメモ代わりにツイートした。

あと、該当箇所の原文はこれ。

Era un fútbol para el que no estaba preparado, no sé jugar al fútbol si no es para competir contra los mejores. Por eso solamente estuve un año, lo mío era competir y no jugar al fútbol, pero fue un año fantástico".

このツイートから一晩経って(2020年9月17日 本記事を執筆)振り返ってみると、サッカーダイジェストの記事のような解釈になった原因は原文の該当箇所の冒頭の"Era"にあるのでないかと思い至った。

該当箇所の文法的解釈については翻訳の後で言及するつもり(やっぱり別の記事に書く。翻訳だけで力尽きそう)なのでここで詳述はしないが、スペイン語は主語が省略されることが割とある。

Eraは英語でいうbe動詞の一つserの線過去形の三人称単数形だけれど(一人称もeraだけど、この部分は文意からして一人称ではありえない)、この文ではeraの主語が何なのか明示されていないのだ!

主語が明示されないのは、話の文脈上、その場にいる人の間では共通の了解があるため、ということがよくある。

では、この話の文脈はどういうものなのか?

実は、昨日訳出した箇所だけでは断定が出来ない。(昨日のツイートで示した解釈にそこそこ自信があるものの、「自分が正しい」と断言するだけの根拠があるかと訊かれるとちょっと弱ってしまう。)

とすると、もうちょっと広い箇所を読んでみる必要がある。

そんなわけで、前置きが長くなったけれど、このnoteはトーレスのインタビュー記事のスペイン語版を日本語に翻訳したものだ。

わたしはトーレスについても海外サッカーについてもよく知らないので、頓珍漢な訳になっている可能性も十分に考えられる。この点はご容赦いただきたい。でも、たぶん原文をコピペして翻訳サイトを用いるよりは読みやすい日本語に出来る…気がする。

(以下、拙訳:トーレスの一人称は「僕」にした)

なお、フェルナンド・トーレス含む記事の登場人物の発言部分は「 」、訳注は[ ]で示してある。

トーレス「僕はアトレティコのより助けになれる場所へ戻ろうと思う」

次の金曜日に[訳注:2020年9月18日]Amazon Primeでドキュメンタリー「フェルナンド・トーレス:最後のシンボル」が公開される。これは、トーレスが選手としてのキャリアを始めたアトレティコから日本での引退まで、元フォワード[トーレスのこと。スペイン語は同じ文章内で同じ語句を多用することを嫌う傾向にあり、同じものを指すのでも別の言葉で言い換えされることが多い]の全キャリアを振り返り、未来のために始めた最近の活動などについても述べている。もっとも、将来についての考えは長期的な考えだ[急いで次のステップに移りたいということでない]と付け足している。というのも「僕が引退したのは一年ちょっと前だけれど、今は自分の時間や家族と過ごす時間を楽しみたい」からだ。

プライムビデオ・コンテンツの制作部長(?)リカルド・カボルネーロ氏と、Buen Día Estudios[スペインの映像制作会社]のCEOイグナシオ・コラーレス氏が、ワンダ・メトロポリターノ[アトレティコ・マドリードのホームスタジアム。]で行われた試写会でフェルナンド・トーレスに同席した。カボルネーロ氏はこのドキュメンタリーでは「視聴者に様々なことを明かしてくれる、思索的なフェルナンド・トーレス像」や、「更なる飛躍の種を残してアトレティコを去ったことや、リバプールでのキャリア、チェルシー時代に経験したチャンピオンズリーグ、親愛なるクラブへの帰還、そして日本で過ごした最後の日々」を見ることが出来ると言う。試写会の後で「神の子El Niño」はメディアの取材に応え、彼の過去そして未来について語った。「僕はここメトロポリターノではカルデロン[アトレティコの旧ホームスタジアム]ほど試合をしていないのだけれども、ここでは[アトレティコへの]別れを告げるセレモニーといった素晴らしい時を過ごした。[ドキュメンタリーの撮影は]完璧な撮影だった。これまで過ごしてきた全てのことを表現したし、思い出すことが出来たから。アトレティコは僕の人生の中で重要なものだ」。

今後についてトーレスはこう述べた。「将来を生きていくために、指導者になるためのコースの受講と、スポーツ経営をするための準備をしようと思う。すぐにでもそうしようというのではない。準備のための時間が必要だし、時間がたてばサッカー界に戻る時に自分が出来ることが自ずと分かるだろうから。僕は僕自身でなくアトレティコのより助けになれる場所へ戻ろうと思う。それが存在するとしてもその場所が何なのか今は分からないし、将来そういったものがあるのかどうかも知る由もないのだけれど」。また、当面の彼の目標も明らかにした。「可能な限り、ファンとしてここに戻ってきたい。これが今僕がいちばんやりたいことだ。スタジアムに観客がいないサッカーを観るけれど、そんなのあまり意味がない。サッカーというのは激情を伝えるもの。[スタジアムに]出来るだけ早く観客として戻ってこられるのを望んでいる。これはファンとしての短期的な目標なのだけれども、僕のそれ以外の計画は短期的に達成できるものじゃない。よく準備をするために、責任を負えるようになるためには時間が必要なんだ」。

フェルナンド・トーレスはまた、アトレティコでのデビューやファンに対する印象を語った。「スタジアムについてピッチに足を踏み入れた時、17歳を迎えたばかりの僕には[スタジアムにいるファンたちは]スタジアムにとって光であり希望であったように思えた。下部組織出身の選手がデビューする時はいつも、夢を抱き、光を見て、[こうした経験の]全てがまた起こってほしいと望みを抱くものだ。[アトレティコ時代は]とても重大な責任を負った時期であったし、後から振り返ってみたら、この時代が最もキツい時でもあった。クラブを離れた時は最も複雑な感情になった。アトレティコに戻ってきて、また出て行った今になって思うと、家族を除いて、アトレティコは世界で唯一僕に夢を抱かせるものであり、未来をもたらしてくれるものなんだ」。

デビューについてこう述べた。「僕の夢が叶ったようだった。カルデロンの芝生を踏んで、その翌週にはゴールを決めて、昇格への望みをもたらすことができた[当時アトレティコは二部リーグにいた]。朝目覚めてから夜眠りにつくまで、ずっと雲の上にいるようだった。友達と遊ぶといった生活を送らなかったけれど、憧れの選手たちといられて、次の試合のメンバーに選ばれているかメンバー表を見ていた。試合を重ねるにつれて、より大きな責任を負うようになって、自分を取り巻く環境がだんだん変わっていって…夢のようだった。ワールドカップで勝利をあげることなんて考えてもいなかった。でも、デビューすることが出来たしゴールも決められた。こうした目標を早い内に達成してしまったので別の目標を探さねばならなかった」。

ルイス・アラゴネス(Luis Aragonés)の教え

選手としてのキャリアで最も印象的な監督について尋ねられた時、トーレスは真っ先にこう答えた。「それぞれの監督から何かしらを学び取るのは一種の美徳だ。でももし一人選ばねばならないのなら、僕はルイス・アラゴネスを迷わず選ぶ。でも、僕はこれまでの全ての監督から何かを学んだ。[選手としての]姿勢だったり、トレーニングだったり、自分がコントロールしなければならない多くの事を。

もしいつか僕が監督になったとしたら、毎日が忙しくなるだろう。非常にくたびれる仕事であるし、そういったことを監督たちを通じて見てきた。これまでの多くの監督たちから少しずつ何かを学び取ってきたけれど、やっぱり選ばねばならないならルイスだね。僕が彼に指導を受けた時、僕はとても若かった。人に言われることを全て聞き入れることが出来るほどに僕は成熟していなかったし、そのせいで多くの教訓を逃した。代表に選ばれたころには僕はある程度は成熟していて、彼[に言われること]をより理解できるようになっていた。彼は、[プレー、トレーニングなどの]方法、休息、同僚たちとの関係、僕が理解していなかった多くの事柄といった、サッカーを前に進めるために必要なものを僕にもたらしてくれた人だ。中には7,8年経ってやっと理解したこともある」。

リバプールでの思い出

トーレスはリバプールのユニフォームを身にまとうためにアトレティコを後にした。リバプールでの成果は、選手としての彼の最良のものだったろう。2008年にはバロンドールに選出されたのだから。「神の子」はまた、英国のチームに移籍にしたことについてこう説明した。「リバプールの人々にとって、たぶん僕は無名の人間だったと思う。でもそれと同時に、リバプールがもう一度プレミアリーグの頂点に立つチームになるための希望でもあった。毎日交渉をして、移籍をする決断を下した。3年半という短い時間だった。最初はリバプールのサポーターは[トーレスの加入に対して]怒りをあらわにして、僕を拒否した。でも僕の考えを聴いてもらい、また僕が結果を出すと僕たち[サポーターと僕]の間には平和が訪れた。僕たちは良い時間を過ごしたし、悪い時間はなかったのだから。

移籍することが英国メディアにすっぱ抜かれたわけだけれども、一人のサッカー選手が一歩先に進むための移籍だとサポーターは理解してくれたと思っている。僕に向けてヤジが飛ばされるのは辛かった。なぜなら、僕はリバプールのサポーターたちを好きでいるのをやめられなかったから。ずっとアトレティコにいて、選手生命を全うすることが出来たならばそれはもちろん良かったと思う。でも、リバプールで過ごした年月は本当に幸せだった。アンフィールドでの思い出とリバプールサポーターは、本当に素敵なものだ。

日本での引退

元サッカー選手[無論トーレスのこと]は、選手として最後のキャリアを日本で過ごした。「個人的なレベルで家族のように感じられる、これまでと違う何かを僕は求めていた。信じられないくらい実りある経験だった。プライバシーが守られ、人々から丁重な扱いを受けたからだ。ショッピングモールに行ったり、散歩したり、のんびり自転車に乗ったり、ここ[スペイン]では出来ないことが出来た。」

[※で、この次が問題の箇所なのですが、ここだけ妙に解釈が難しい。結局、記事の最初からここまで順を追って読んでも何を言わんとしているのかが判然としない―私の実力不足によるところが大きいのでしょうけれど―。ですので私の解釈だということを改めて念頭に置いて読んで下されば幸いです。]

「[僕がサガン鳥栖の選手としてやっていたのは]準備が出来ていない選手のサッカーだった。最良の選手たち[あるいはチーム]と競うためのものでないのなら、僕はサッカーをすることが出来ない。だから、僕は[日本・鳥栖に]一年間しか居なかった。僕のサッカーは競うためのものであり、ただ単にプレーするためのものではない。でも、素晴らしい一年間だった。」


子供たちへのメッセージ

最後に、彼のようになりたいと夢を見ている子供たちへメッセージを送った。「僕の夢は、カルデロン[スタジアム]でプレーをすること、トップチームでプレーできるようになることだった。その[夢を叶えた]後に手にしたものはプレゼントだ。だから僕が子供たちに言いたいのは、夢を大きく持とう、ということ。僕はワールドカップでプレーすることなんて夢にも思っていなかった。けれど、君たちにはできる[nosotros,「私達」が主語になっているが、子供たちへのメッセージなので「君たち」とした。nosotrosを使っているのは、トーレスが子供たちと同じ目線に立っているためだと解釈した]。一度夢を描いたならば、夢が君を助けてくれる。僕はそれと逆だった。17歳にして目標を達成し、環境が変わったので、その後の目標を定めて達成に向けて努力した。高みへ到達しようとする選手たちにはこう言おう。常に先達の言うことに耳を傾けよう、と。僕はそうした人たちの言うことが理解できなかったし、あまり多くの時間を過ごせなかった。自己批判からもそうだけれど、キャリアの最後まで学ぶことはある。最初はエゴがあって、自らを省みることが少ないものだけど、自分自身を見つめることは進歩のために必要なもの。そういったことをルイスは僕に話してくれたけれど、最初はその真意が掴めなかった」。

(翻訳終わり)

最後に:ちょっとした言い訳じみたこと・解釈の根拠

サッカーダイジェストの記事で話題になった箇所の解釈はたしかに難しい。記事全体に目を通しても、一番難しい(他にも数か所分からなくてごまかしたのは内緒)。

とはいえ、「Jリーグのレベルが低いから1年間しか日本にいなかった」という解釈はおかしくないか?というのが私の考えです。だって、「日本のサッカーはレベルが低い」とトーレスが考えて日本から離れようとしたならば、日本以外の別のチームに新天地を求めるのが自然だと思うんですね。ところが実際はサガン鳥栖をキャリアの最後として選手を引退したわけです。

ということは、トーレスがJリーグをレベルの低いものと見ていたか否かとか、実際にJリーグのレベルが低いか否かといった話とは別に、トーレス自身が自分の満足のいくサッカーが出来ないことに気付いた。これがユニフォームを脱ぐことを決意するきっかけとなった…と解釈した方が彼の言動と辻褄が合うとわたしは思うんですね。

そうだ、全文翻訳しようとふと思い立ち、一気にここまで書いたので、色々と粗が目立つのはご容赦いただければ幸いです。

追伸:トーレス繋がりで、もしよかったらこの動画をご覧下さい。

今は解散してしまったスペインのロックバンドのPVですが、当時20前後?のトーレスが出演(0:55辺りから)しています。可哀そうな役柄ですが…

ここまで読んで下さりありがとうございました!

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