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1月、珍しく節水を呼び掛けるチラシがポストに・・・水不足?と思っていたらこのところよく降ります

きょうは水のお話です。
水の造形…水にはきまった形がありません。コップの水は丸く、マスの水は四角です。また、川や海の水は風の強弱や流れの速さによってその姿を変えていきます。水は蒸発して霧や靄になり、雲となって雨、雪、あられを降らせ、再び川や海に帰って永遠に輪廻し、無限に変身し続けます。水には一定の色はなく、周囲の事物と関連することによって初めて色付けられます。

水の変化によって刻々に変化する水の色、空、虹、樹木、紅葉を映す様々な色合いの水、まさに水は無限の色彩と形を秘めています。

水というものは、わが国が「水の国」であることも手伝って、早くから工芸の文様に取り入れられました。先史時代の銅鐸にすでに龍水紋が見られ、仏教がもたらされるとともに蓮池の波だった有様を表した文様や青梅波文が出現しました。このように水は非常に早い時代から文様化されていったのです。

アフリカのサハラ砂漠に住んでいる人たちの間では水と言う言葉は一つしかないそうです。水、雨、池などなどがすべて同じ言葉で表され、その間に区別がない水の世界、想像つきますか?

ところが、わが国では、それらの区別が非常に厳しく山間の樹木の滴りが集まって渓流となり、滝や川や湖を経て海へと注ぐまで、それぞれ特別の呼称があります。近年ではツナミと言う言葉が英語の単語にさえなりました。

年間の雨量が一桁・・・ミリメーターのサハラ砂漠と数時間に百ミリもの豪さえある我が国との気候の違いが、人々の水についての考え方に影響を及ぼしたということです。我が国が水に恵まれていること、ひいては水にまつわる景勝地の多いことも関連して、我々は春に、秋に野山に清流を訪ね、夏は海で遊び、冬は雪に登山、水の美の中から日本人らしい詩を拾って歩きます。

サハラ砂漠の遊牧民が意味する水と言う言葉が我々日本人の意味する水と大きく隔たっているのもしかたがないことなのでしょう。元来は一定の色も形もない水、快晴の空を映してどこまでも青く、夕焼けに照らされて赤く染まる水。そして泉、滝、池、湖、海と言った具合に限りなく変化する水、流転を重ねていく水、このように時によりその色を変え、刻々にその形を変える水と言うものを考えてみれば、不思議な物質ではありませんか。それだけに、融通無碍で自由で変貌の限りを尽くす。この水には無限の造形の可能性が秘められているようです。

そして、サハラ砂漠の住民が想像もできない「水の国」に住む私たちは、この水のイメージから世界にその例を見ないほど豊富な水のパタンを生み出しました。

雨の状態をたとえた言葉も数知れないですよね。雪はどうなんでしょうか?
ノルウェーのサーメの人たち(英語で言うラップ人)には50種もの雪の言葉があるそうです。

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