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チャドル アラブの女性たちはあの真っ黒な服、しかも時には目だけしか出せない服を着て幸せなのだろうか?

初めてトルコに旅したのは49年前でした。オリエントエクスプレスからイスタンブールに降り立ち目にしたあの大都会・・・貧しかったと思います。まだ、リラ紙幣に一杯0が付いていた時代ですから。1999年に訪れた時にもそうでした。2005年にデノミが行われたそうで1万トルコリラが1リラに・・・今は、すっきりして分かりやすくなりました。

今回、あるレストランで若いウエーターに旧紙幣を見せてあげたのですが、それが立派なトルコの紙幣だったということは知らなかったようです。夫は世界の紙幣、コインを集めているのですが、今回、その紙幣をいたずら心で持って行ったようです。

私たちは慣れ切っていますが、日本円も0が多い・・・海外からの人たちも戸惑うことがあるかもですね。ノルウェーなんか1の位、10の位は四捨五入してお店では払います。そんなことをしていると頭の方が退化(計算です)してしまいそうですが。私が住んでいたころすでにそうでした。

今日はチャドルのことを書きたい遠むのですが、横道にそれてしまいました。

49年前にはイスタンブールは明るい街ではなかった。半世紀も前のことになってしまって街頭についてはあまり覚えていないのです、忘れられない1シーンがあります。イスタンブール駅の近くにホテルをとったのですが、その窓から、夕方6時くらいだったと思います、見えたのです。真っ黒なチャドルを着、トボトボと暗い外套を歩く老婆の姿を。なんか、とても寂しげで悲しく思えました。ほかには人っ子一人通っていなかったのです。

今は、大違いです。明るい通り、あらゆる色が見られる街頭の中を人にぶつかってしまうじゃあないかと言うくらいの観光客、地元の人たちが行きかっています。随分様変わりをしました。一言でいえばリッチになった。観光地ではお土産さんやとホテル、レストランばかりが目につきます。

今回の旅に出かける前、夫が言っていました。シリアからとかの難民が多く入っているので治安が悪くなっているんじゃあないか。

現地ではそんなことは感じませんでした。しかし、一つ気が付いたことは、チャドルを着ている人たちが増えたこと。それは難民が増え、彼らがより宗教を重んじていてそれを着たいと思っているのだろうか、と言うことです。しかし、単にトルコに復古調が起こり、もっとそれを着なければと思った人たちが増えただけかも。コロナ禍以前にトルコに行った時にはそれほどチャドルの人はいなかったのです。男性に関しても以前より髭の人たちが多くなった・・・。これはトルコはアラブだということをアピールしているのでしょうか?それともヨーロッパでおこなわれているチャドル反対に対しての抗議で?

材質はウールかなあ、と思いましたが、着ているものの上から着ると温かいのかなあ、と思いました。夏、床の上で裾をひこずりながら、しかも汗をかきながら歩いているのを見ると気の毒だ、と思ってしまいましたが。また、動き回っていても幅をとるので汚れやすいかな、とも。しかし、暑い砂漠での生活では黒色は日差しを遮断するし幅広い衣服だと体に衣服が密着せず涼しいのかもしれませんね。砂とかも簡単には入ってこないでしょうし。

以前、ドバイの空港を利用することが何回かあったのですが、そこはさすがもっともっとチャドルの人たちが多かったです。

ところで、チャドルとはペルシャ語だそうです。最近、ブルカと言う言葉も聞くようになりました。これはアラビア語で同じ衣服をものをさしています。私にとっては初めてこの衣服について知った時の言葉がチャドルなのでチャドルと言う方が言いやすいです。

彼らの衣服にヒシャブ(ヴェール)と言う名称がありますが、チャドルはそれの一種だそうです。ヒシャブはアラビア語で「覆うもの」と言う意味があるそうです。現代のチャドルの復活前は黒は死や葬式を連想させるとして避けられ、白や模様地のものが好まれたとか。今回の旅で、一度、緑のチャドルを着ている人を見かけました。

正統なチャドルは目まで覆うようです。私としては目まで覆うとうっとうしくていやだなあ、と思いますが。写真のように目だけ出している女性も今回の旅行で見かけました。それだけでなく目のあたりがネット状になったチャドルもあるようで正統派の家庭の女性は大変だと思ってしまいました。

ブルカを欧州では禁止している国が多くなってきてますが、着衣する衣服を禁止するとは文化、宗教を禁止していることに他ならないように思えます。許されることなんでしょうか。その反動でトルコではその衣服の着用が増えたんでしょうか?しかし、あの衣服はその気になれば武器でもなんでも隠し携帯できるとは思いました。

 

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