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Assuwa(太陽が生まれる国の意)アッスーワ この言葉がアジアと言う言葉の起源

トルコについての本を読んでいた時にアッスーワと言う言葉を発見しました。

アジアの起源を遡ると、紀元前18世紀ごろに勃興したアッシリアが登場します。アッシリアは古代オリエント世界最初の帝国とされています。のちの紀元前612年にはこの帝国は滅びてしまうのですが、その1000年以上も前から、アッシリア語ではエーゲ海の東側をアスasu (=東や日の出の意味)、西側をエレブereb(=西や日没の意味)と総称していました。そして、いつしかエーゲ海の東部地域を転じて アッスーワAssua(=太陽が生まれる国)と呼ぶようになったそうです。

このアッスーワはアジアと言う言葉の起源でもあり、先ほどのアスasuにラテン語の接尾辞 イアiaがついてアジア Asiaと呼ばれるようになったと言われています。

地図を見るとわかりますが、アッスーワ=エーゲ海の東側は現在のトルコを中心とした地域を示しています。すなわち、古代世界でアジアとはトルコのことだったのです。

では、これにアナトリアがどう関係してくるのでしょうか。初めはアジアをさす地域はアナトリア半島のみでした。それより東側の地域はその時に力を持っていた勢力のある地域に基付いて様々な呼ばれ方をしていたというわけです。

ところがヘレニズム時代に入ると、アレクサンダー大王を皮切りにギリシア人が東側の地域に進出して領土を広げていくようになりました。そうした中でアジアと呼ばれる地名のさす地域も拡大していったため、もともとのアジアをさしていた場所(アナトリア)を区別する必要が生じたのです。そこで本来のアジア(アナトリア)を小アジアと呼んで区別するようになったのです。

そしてこの小アジアにアナトリアと言う名前が付けられました。アナトリアは小アジアもさす古代においての地方名であり、現在もトルコのアジア側を意味しているのです。ちなみにいトルコ語ではアナドルAnadoluと呼ばれています。

写真はボスポラス海峡を臨むイスタンブールですが、海峡の上側、つまり北側、ガラタ塔が見える側がヨーロッパ側、南側がアジア側です。南側は旧市街でブルーモスク、イスタンブール駅などがあり、北側はタクシムと言う街としては新しい繁華街が広がっています。


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