「詩歌トライアスロンに思ったこと」

「詩歌トライアスロンに思ったこと」

ちょっとおそくなりましたが、先日開催された「第五回詩歌トライアスロン」選考会に参加した感想を少し。

この企画は詩、短歌、そして俳句を融合した作品を応募し、それぞれのジャンルの選考員が選ぶと言う、日本の文学には珍しい試みです。(細かいことは以下のリンクをご覧ください。http://shiika.sakura.ne.jp)

ぼくもこの三つの詩型それぞれに作品を作っているわけですが、融合するとなると二の足を踏んでしまう。それは大まかに言って俳句はブルーズ的、短歌はバップ的、詩はモードジャズ的な側面を持っていて(大雑把過ぎんだろ、てめえ!引っ込めンなロー!と言う声が聞こえて来るけど。笑)いわばテンポも音階もリズムも違うもの。それを一つにすることの難しさを以前から痛感していたからなんですね。

最終選考に残った作品はぼくの杞憂など関係なくそれぞれ個性的な作品が揃ったことは収穫でした。

作品を拝見していて気になったのは俳句なんですね。はっきり言うと俳句の良し悪しがその出来を大きく左右していました。それは俳句が持つ特殊性に関係しています。俳句は基本有季十七音に切れの存在などの構造的な特徴を持っていますが、何より読者の脳内で解凍される圧縮ファイル的な性質を強く持っている以上、他の詩の中に埋没させることが難しいのです。

冒頭に俳句を置き、作品のカラーを明確にする、もしくは最後尾に置き、ばっさりとエンディングとし読者に余韻をもたらすように配置させる事で俳句は最大の効果を発揮するのでした。

俳句は鋭利です。下手に作中に埋没させると全くその役を果たしません。そのことに気づいていたのは谷村行海氏の「ユイカ」と遠音氏の「解錠」。おそらく俳人であろう彼らの句は鋭利で、その役を巧くこなしており、唸らされました。

構造上詩が大きなスペースを占めるこの企画、ぼくは直感で「短歌は別に要らねえんじゃねえか?」と思いました。研ぎ澄ました俳句は詩を極限まで緊張させることができます。しかし短歌がそれを完遂させない。どうしてもヌルくなる気がするのです。ぼくは歌人です。その辺の人より短歌に思い入れがありますが、この三種融合という型においては夾雑物にしかならねえなと強く思いました。

ルールとして三つ入れよという事なので致し方ないものですが、もっともっと面白え作品を作ってそれをネタに作者と酒を飲んでみたいなと思った次第なのでした。って結局飲むんかい!という何時ものアレなんでございました。

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