「朝Vol.2」
参ったなあ、って口にした。
こいつらウチの次女と同い年くらいなんだよなぁ、、
「朝」って書いて「あした」って読む。「朝【あした】」[名]1、朝 2、翌朝。古文では朝と書いてあしたと読む。そして3、新妻望・才守有紀のユニット名、およびこの本のタイトル、なんだそうだ。
ぼくはこの二人を数年前から知ってる。俳人であり、教師である友人山本純人の教え子として、いつかの北大路のパーティに来ていた二人。その時貰った「朝Vol.1」に感じるところが有って、直ぐに感想を書いたっけ。こいつらに俳句や短歌を勧め、北大路翼に預けた山本の慧眼に感服したのだ。あれから数年が経つ。相変わらずゆーきは元気そうにはにかみながら金髪をいじってた。笑顔に濁りがねえや。よしよし。
そして「朝Vol.2」を頂いた。相変わらずゆーきの俳句は堂々たるものだ。
◯ 俳句 「かはいいだけ」 才守有希
夜の雪から朝が始まるやうである
どくだみをどくだみたらしめる土塀
あこがれのフライドチキン屋の小蝿
ごきぶりと同じタイミングで帰宅
夜長かな毛の剃り跡を逆撫でて
二句目に臭を感じる。どくだみと湿る土のにおいだ。しかしどこか腐臭もする。あだしの、そんな言葉が浮かんでは消える。
五句目、ムダ毛処理。自分の許せない範囲を剃るその跡はまた生えてくる宿痾であり、しかし愛おしい生きている証である。
浮ついたところがない。〜ぶることがない。
こいつは日々痛みに対峙して、緊張と弛緩の繰り返しの中、それは歌舞伎町の澱みに屹立する砂の城が象徴とする俳句という小空間、解放区を獲得したのだ、と確信した。
◯ 詩 「夜空の星」中村萌美
こいつはよく見えている。見えているから傷付くんだ。おれがガキの頃のおっさんなんてただの臭くてうるさくておっかねえ塊だった。たいがい、クズだった。変に夢は見ない。なぐられるから。でもこいつは知っている。おれらのようなクズどもの皮の下を。
皮の下には無数の星が瞬いている。それを面白いというのか。
「わたしたちはただの、勘違いの塊かもしれない。」という絶句にこの詩の価値を見た。
◯ 短歌 「ひよこになれなかったたまごたちへ」新妻望
空洞も生まれた意味を持つものとギターの弦を丁寧に張る
冷蔵庫のドアにたまごのための穴 ひよこになれなかったたまごへ
わたしにも救える人がいて二人カウンター席で啜るラーメン
一人称が「ぼく」の歌人は短歌の後にある「有刺鉄線の向こう側」という記事で自らのあゆみを書いていた。家族の事を書く時「誰がなんと言おうと、幸せである」をリフレインするこいつは世間の偏見に気付き、傷付き、心に虚を持ってしまう。そこに湧く怒りを持て余し、自らの人生に舵を切る決意をするのだ。大学に行かない事、自立する事を選ぶ彼女の眼前には有刺鉄線が張られている。
その向こうが幾ら眩しくても、そこへ行くには痛みを覚悟せねばならない。
その意気やよし、だ。
大学の短歌会なんて無くても短歌は詠めるさ。野良歌人のおれが言うのだ。間違いねえよ。そんなことより有刺鉄線をよ、越える時は後ろを振り向くな。振り向けば、絡むから。
そうかい。おめえらは、そうなんだ、な。
おれは読むことでしかこいつらを知るすべを持たない。だからよいのかもしれない。
城があってよかった。オンボロで傾いて、きったなくて、美しい砂の城があって良かった。もっと、だ。もっと詠め。声を枯らして、叫べ。いまを。
この文はおめえらに宛てた手紙だ。
おもしろかったよ。ありがとう。
叶裕
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