八年前のこと

八年前のこの日、ぼくは相変わらず古ぼけた町工場でコツコツ溶接をしていた。突然の地鳴りと腰から揺さぶられるような強烈な横揺れにこの世の終わりを確信した。老いた母を横抱きにして、外にまろび出ると頭上の首都高速の高架に立つ街灯がさかんに首を振って、まるで踏切のそれのような音を立ててヒステリックなメトロノームを演じていた。
文字通り魂消ながら
「ああ、終わる。」と呟いた。
それからのことは皆それぞれご存知の通りだ。津波に呑まれ、原発がいかれ、皆の心は不安に荒廃していく中、ぼくは淡々と仕事をこなしていた。

文芸人の作品は八年前を境に大きく変化したものが多い。まあそうなんだろう、それくらいインパクトがあった。ある者は幼い子供を連れて遠方へ疎開した。ある者は社会運動に邁進し、ある者は閉塞し、ある者はばかになった。

ぼくはその頃、いつか働き手のなくなった原発の墓守をするんだと心密かに決心していた。あんな物の墓守は若者にやらせてはならない。子供や若者はぼくらの希望だ。希望の小鳥を冥府の入り口に立たせる奴ばらこそ、おれらの敵なんじゃないのか。この気持ちは今もあまり変わらない。

若者の子供の心をなんとかして守りたいと思って八年老いた。これから更に老いてゆく中でぼくは文芸に何を托すのだろう。そんな事をつらつら思う徹夜明けなのである。

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