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田辺 大(たなべ・ゆたか) 自己紹介

はじめまして。田辺 大と申します。

名前は「大」と書いて「ゆたか」と読みます。

高校時代の担任は国語の先生でしたが、「ゆたか」と読めませんでしたので、なにとぞ、ご安心をお願い申し上げます。

自己紹介で、短文版と長文版をご用意しました。

「縁の下で、補佐をしたい」と私は表に出ることを長年控えてきたため、自己紹介文を整理して公開することは今回初めてになります。

今年2023年は、1993年の北海道南西沖地震から30年、1998年のNPO法の施行から25年という日本にとり重要な年であり、より貢献したく、今回の公開に至りました。

2003年の独立以来、起業の民主化(誰もが新しいことを始められる)をテーマに、価値創造・所得倍増・雇用創出に一専門家として尽力しています。

モットーは「ないものねだりでなく、あるもの探し」です。

そして、唯一無二の無形資産を伴走でご一緒に探し出し、増幅します。


1. 短文版(120字)

社会起業家。2003年から起業支援と事業再生支援を専門。1970年埼玉県生まれ→都内の公立小中→海城高→中大法→メーカー→外コン(PwC)→東工大院博士後期中退→2023年春から長野県飯田市で女性起業はじめソーシャルビジネスの支援に従事。

2. 長文版(2,000字)

北海道南西沖地震があった奥尻島にて(1993年、写真右)

社会起業家。

日本では2000年に始まった社会起業家ムーブメントの草分けの一人

ウィキペディア日本語版で「社会起業家」を2005年に日本初で設定。

日本経済新聞、週刊ダイヤモンド等の新聞や雑誌をはじめ、2007年にはNHK「おはよう日本」、Eテレ「福祉ネットワーク」、テレビ東京WBSで番組初の社会起業家特集で紹介された。

2007年に経済同友会にて財界人の方々に社会起業家について講演し、その後の彼らの訪米とハーバード社会事業大会視察のお手伝いをした。

2010年5月にフォロワーシップの重要性を伝える、いわゆる「裸踊り」の動画を、原作者のDerek Siversから直接許可を得て日本語訳し、YouTube日本語版にアップした。

ソーシャルセクターにおけるキャパシティ・ビルディング(基盤強化)の専門家であり、国内屈指の底上げ職人と自負。

1970年埼玉県旧大宮市生まれ。都内公立小中、海城高校を経て、1994年中央大学法学部政治学科卒業。

1993年7月の北海道南西沖地震で奥尻島に11月末まで住み込み、災害ボランティアに従事(当時のレポート)し、「自分の人生テーマは難民問題では?」と気づく。

1994年2月の大学卒業旅行では東京の実家から北海道奥尻島まで840kmを29日間かけて単独歩行。

事務総合職として新卒入社した日野自動車で社会人一年目の1995年1月の阪神淡路大震災では、発災翌朝に西宮市役所救援物資班に参画し、芦屋市役所救援物資班に同年3月末まで都内から通った。

芦屋市内では震災後にインフルエンザが流行し、田辺自身も倒れ、治療のため帰京。ノーアポで社長室に一人で入り「神戸にトラックを送ってください。日野のブランドが上がります」と社長に直訴するも、新人ゆえ相手にされず撃沈。

外資系に転職し、2000年1月からPwCコンサルティングにて国内外のプロジェクトに従事するも、終電や徹夜が続く激務で身体を壊し、2002年9月末に退職。

2002年9月の有休消化で環境=文化NGOのナマケモノ倶楽部のエクアドル・エコツアーに参加し、社会起業家の可能性を実感。

米国ボストンでホームレス炊き出しボランティアに通う(2002年12月)

同年秋にボストンにビジネス英語を学びに短期留学し、ハーバード・ビジネススクールハーバード・ケネディスクールで聴講したところ、全世界から優秀な人材が集まっており、聞こえてきた共通のキーワードが Social Entrepreneur (社会起業家)であったことに熱くなり、2003年1月に社会起業家として独立。

だがこの独立は準備を重ねた上ではなく「できちゃった起業」であった。

以来、数々の現場にてソーシャル・スタートアップの起業支援と事業再生支援の専門家として従事し続けている。

ある支援事例では、田辺の伴走コンサルティングのビフォー・アフターで顧客企業は売上2倍・給与5倍を実現し、現在も同社は新しい挑戦を続けている。

2003年から2005年でSVP東京の創設理事。

陸前高田の重機が入れない田んぼにて(2011年5月)

2006年6月に盲ろう者と視覚障害者の就労支援事業であるオフィスマッサージ「手がたり」を開始(2022年に解散)。

全盲のマッサージ師と共に現場へ(2017年4月)

首の難病が判明し、2013年東京工業大学大学院NPMコース博士後期課程中退。

寝落ちするサンタ(2013年12月)

ソーシャル・ビジネス経営の世界的方法論であるセオリー・オブ・チェンジ(ToC)を日本で普及する一般社団法人セオリー・オブ・チェンジ・ジャパン(ToCJ)を2017年に設立し代表。

米国 Center for Theory of Change オフィスにて(2017年3月)
茅場町にて(2016年6月)

2003年から毎年でハーバード・ビジネススクールとケネディ・スクールにて開催される社会起業家の世界大会である「ハーバード社会事業大会」(Social Enterprise Conference at Harvard)に、故衣笠祥雄選手のように連続参加を続行中。

ハーバード社会事業大会のデザイン思考ワークショップにて(2016年3月)

国内外で学術研究にも従事。著作は「The Five Stages of Social Entrepreneurship」(2020)「ソーシャル・アントレプレナーシップ(social entrepreneurship)の日本語訳の研究 ―対照言語学の視点から―」(2022)「社会課題の可視化とセオリー・オブ・チェンジ」(神戸大学内田浩史教授との共著、2022)、「フィールド・チャレンジ – 若者が日本社会の毛細血管のチャレンジを導く–」(2023)等。

日本NPO学会会員。日本ソーシャル・イノベーション学会会員。国際市民セクター学会(ISTR)会員。

ISTR2016大会@ストックホルムにて(2016年6月)
ISTR2022大会@モントリオールでは無形資産について発表。研究大会の部会名に「無形資産」(Intangible Assets)が入ったのは同学会で史上初。

パンデミックで東京での仕事や暮らしに疑問を感じ、長野へ移住。

「日本各地が栄えてこそ、日本の存続と発展に貢献できる。未来の世代が生きやすい日本を作るのは、地方在住ゆえに可能では」と考え、2023年現在、飯田市役所にて女性起業はじめソーシャル・ビジネスの支援に専門家として従事。

JR飯田駅前で、職場の「ムトスぷらざ」がある「丘の上結いスクエア(地図)」(2023年4月)

最近では以下の16の記事にて、ご紹介をいただきました。この場をお借りして御礼を申し上げます。

【開催報告】NPOステップアップ講座「NPOの資源を獲得する!」(2023年8月19日)

【開催報告】NPOステップアップ講座「NPOの資源を獲得する!」(2023年10月16日)


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