田辺 大 / Yutaka Tanabe

社会起業家。2003年から起業支援と事業再生支援を専門。1970年埼玉県生まれ→都内の…

田辺 大 / Yutaka Tanabe

社会起業家。2003年から起業支援と事業再生支援を専門。1970年埼玉県生まれ→都内の公立小中→海城高→中大法→都内メーカー→外コン(PwC)→東工大院博士後期中退→2023年春から長野県飯田市で女性起業をはじめソーシャルビジネスの支援に従事。全ての投稿は個人的見解。

マガジン

  • 日本各地そして世界を回ってきて、なぜ下伊那飯田は胸熱なのか

    都内出身の私ですが、2023年春に飯田移住をして以来、想定を大きく上回る暮らしやすさ、そして地域の魅力に、胸熱になる日々です。 東京から見たら、長野県は用事がなければ行かないブラックボックスですし、まして下伊那飯田はその中の陸の孤島で、ガラパゴスです。 ですが、ガラパゴスに移住したら、すごく幸福を感じる日々が待っていました。 AuthenticJapan というべき、世界から見ても希少な、目に見えない耽美な宝物が、下伊那飯田にはまだ残っていました。 一個人の意見ですが、読者の方の新たな選択肢にいただけたらと、ご紹介します。 下伊那と飯田は一体であり、飯田下伊那という表記を多く拝見しますが、私は下伊那への敬意から、自分の一個人のnoteでは下伊那飯田という表記にさせていただいております。

  • 社会起業に関連するキーワード集

    社会起業(ソーシャル・ベンチャー、Social Venture)に関連するキーワードを折々で紹介しています。

  • 田辺大からのお知らせ

    私(田辺大)に関連するお知らせをしています。

最近の記事

3つのプロとは? - 「東京のプロ」、「東京追いのプロ」、そして「地方のプロ」 -

「3つのプロのあり方とは?」と、考え続けています。 まず、「東京のプロ」は、いくらでもおられます。東京の様式を追求する人々です。 次に、「東京追いのプロ」も、いくらでもいらっしゃいます。東京のマネを煽り、各地が東京のコピーになります。 だが、そもそも「地方のプロ」とは?と考えますと、飯田では相次ぎお会いできた思いですが、全国を見渡すと、まだまだ大変希少かもしれません。 「地方のプロ」の概念は何で、どうしたらなれるのか? 少なくとも、東京追いを煽る言動は決してせず、そ

    • 地方と東京の格差の本質は何か? 日本がより持続的になるにはどうしたら?

      「地方と東京の格差の本質は何か」、ひいては、「日本がより持続的になるにはどうしたら」と、現場で考え続ける日々ですが、先日、興味深い光景に遭遇しました。 私が住みます長野県飯田の方々と、長野県外に小旅行に行った先での出来事です。 恐らくその土地では、前例がない観光イベントで、できる限りの工夫が凝らされていました。 素敵で、満足感あふれる時間となりましたものの、あまりに料金が安すぎたことと、お話役の高齢男性の方の語りが、各地でよくあるといえばそれまでですが、もったいないもの

      • 移転・集住の大合唱が、日本の安全保障に深刻な影響を与える展開について

        能登半島地震後に、過疎地域の移転・集住の大合唱が起こった件ですが、日本の安全保障にも深刻な影響を与えるとの想像が不可欠と気づきました。 トランプ再選が有力視され始め、日本では日米安保の弱化、NATOではロシアの侵攻拡大が懸念されています。 1990年の湾岸戦争で侵攻されたクウェートは全土が保全されたように、今回のウクライナ侵攻でも、力による領土変更を国際社会は絶対に認めないと私は信じてきました。 ですが、現在の欧米社会は独裁主義を容認し、ウクライナ割譲にロシアは成功しつ

        • 日本の夜明けは地方から始まる。

          私たちの日本社会では、「地方での女性起業なんて、小粒で大したことない」という暗黙の先入観が続いてきたかもしれません。 かく申す私自身、打ち明けますと、長年都内で仕事してきた一人として、地方での女性起業のイメージは、ささやかな小商いが一般的ではと思ってきました。 ですが、昨春以来、飯田で女性起業支援にゴリゴリに従事する日々で、日本社会を一新するゲームチェンジャーたちが続々と出現する光景に感嘆し、いや、もはや、あぜんとしております。 ゲームチェンジャーとは「状況を一変する人

        3つのプロとは? - 「東京のプロ」、「東京追いのプロ」、そして「地方のプロ」 -

        マガジン

        • 日本各地そして世界を回ってきて、なぜ下伊那飯田は胸熱なのか
          田辺 大 / Yutaka Tanabe
        • 社会起業に関連するキーワード集
          田辺 大 / Yutaka Tanabe
        • 田辺大からのお知らせ
          田辺 大 / Yutaka Tanabe

        記事

          「どんなに都会の人に移転・集住を言われたとしても、地元の人たちはひっついてでも、そこで生きていきたい」

          能登半島地震の発災直後に、よもや地方創生の関係者の方々から移転・集住を呼びかける大合唱が起こった件です。 以来、私が住みます長野県飯田市のいくつかの会に出席し、このようなお声を伺いました。 「(大合唱は)ナンセンス」。 「どんなに都会の人に移転・集住を言われたとしても、地元の人たちはひっついてでも、そこで生きていきたい」。 いずれのお声も、まさにと私は思いました。 「水道等のインフラが、もう維持できないではないか」と効率性の観点から移転・集住は唱えられますが、「各地

          「どんなに都会の人に移転・集住を言われたとしても、地元の人たちはひっついてでも、そこで生きていきたい」

          能登半島地震を受けた移転と集住の大合唱の危うさ

          今回の能登半島地震で、待ってましたとばかりに、移転と集住の大合唱が始まっていますが、私はとても違和感があります。 過疎地という毛細血管を切る社会は、やがてその心臓である都市部も衰えます。 地方での価値創造の根本となる「無い物ねだりでなくあるもの探し」が、今回の大合唱の中から全く聞こえてこないのも、違和感があります。 「故郷を追われるよりは、餓死してもいいから残りたい」という人々のか細い声。 "「復興しなくて廃村になるんじゃないかってみんなおびえてる。生まれてずっと住ん

          能登半島地震を受けた移転と集住の大合唱の危うさ

          年末のご挨拶

          本年お世話になりました。 先日、職場の忘年会でうれしいことがありました。 ある若手の職員さんから「田辺さんと握手しないと、年を越せないです。今年は本当に面白かったです。女性起業支援でどんどんいい笑顔が広がり、大きな感動です。役所で価値創造ができるなんて」。 お互い、今春以来の汗と涙を感じて感無量の中、熱い握手を交わしました。 ご案内の通り、東京をはじめ日本各地が閉塞し、撤退戦が続く中で、新しい価値創造ができる面白さを体感し続けられました。 「失った35年」と今年報じ

          従来の女性起業家支援で見過ごされてきたリスクは何か?

          従来の女性起業家支援で見過ごされてきたリスクは何でしょうか? 世界と歩調を合わせねば、と政府は「女性版骨太の方針 2023」の目玉の一つに「女性起業家の育成・支援」を挙げています。 https://www.gender.go.jp/kaigi/danjo_kaigi/siryo/pdf/ka70-s-1.pdf 日本各地において、女性起業家という新たなリーダーの登場への社会的期待は大きくなる一途と感じます。 ですが、「創業間もない女性起業家は、実は最も社会的に弱い立場

          従来の女性起業家支援で見過ごされてきたリスクは何か?

          なぜ都会と地方の会話はかみ合わないのか?

          東京出身者の私が今春飯田に移住しまして、地域の人々と呼吸を合わせ、心合わせに努める日々です。 そして幸いに、やっと3つですが、「なぜ都会と地方の会話はかみ合わないのか?」の理由が最近わかってきました。 もちろん私自身、東京時代で長年何も気づいていなかった時では、誰からも指摘がない中で、地方でやらかしていたかもしれず、ぜひご一緒にめげずに、ずく出して(長野弁です。共通語で「がんばって」)いきましょうー!! 1. 都会は「破壊と創造」が当然視されるが、地方は受け継いできたも

          なぜ都会と地方の会話はかみ合わないのか?

          なぜ長野県飯田市に移住後、世界に前例ない挑戦が可能になったのか

          多くの東京育ちの人と同様かもしれませんが、私も若い頃から長年「海外に住みたい」という憧れがありました。 「留学したい。海外就職したい」と、都内にいながらも、さまざまの機会を模索し続け、例えばボストンやストックホルム、アムステルダムの美しい街並みや人々、社会デザインに思慕の情すらありました。 打ち明けますと、私たちの日本よりも、これらの国々は先を行き、「日本は遅れている」という劣等感すらあったかと思います。 都内から現地に渡航できなくても、例えば北欧の教育を紹介するイベン

          なぜ長野県飯田市に移住後、世界に前例ない挑戦が可能になったのか

          ハイリスクな仕事をする人こそ、8時間睡眠の勧め

          私たちの誰もが、自分一人しか身体がない中で、時間のやりくりを日々しています。 場合によっては、深夜まで作業が続き、完徹か、短時間睡眠で翌日の現場へ向かう、ということも、よくある話かと思います。 ですが、何卒、「毎日の睡眠時間を、7時間か8時間は確保する」ことを、切にご提案します。 巨額のお金が動かない小商いであっても、新しい挑戦にはリスクがつきものです。 例えば子育て世代の方々で、お子さんの寝かしつけ等で、ままならないことも多いかと思いますが、それでも、7時間か8時間

          ハイリスクな仕事をする人こそ、8時間睡眠の勧め

          地方移住は、なぜ「都落ち」ではなく、長年の夢が叶うことすらあるのか?

          こんにちは。 昨日(2023年9月29日)で53歳になりましたが、みなさまとのご縁に、心から、日々感謝の思いです。 もしも夢の定義が「生きたい人生を生きること」ならば、今春長野県飯田市に移住し、長年やりたかった現場に根付いた起業支援と事業再生支援をできるようになり、幸い夢が叶いました。 夢が叶うのは、一般的には20年後、30年後とのイメージになるかと思いますし、私自身、長年そう思ってきましたが、飯田に移住し、いわば解放区に身を幸い置けることで、天地人の恵みに出会えました

          地方移住は、なぜ「都落ち」ではなく、長年の夢が叶うことすらあるのか?

          マガジン機能を整理し、新たに下伊那飯田の魅力も一個人としてお伝えしていきます。

          こんばんは。 ご覧いただきやすいようマガジン機能で、過去の記事を以下のように整理しました。 なお、前回の記事(「ソーシャル・イノベーションとは何?」)で私は「社会の仕組みの不備(システミック・プロブレム)」の解説の予告をしていまして、以来、常に忘れずにおります。 「社会起業に関するキーワード集」の次回記事は同テーマになります。 そして、新しく、以下のマガジンも始めます。 今春に私は飯田に移住しましたが、第一印象が「愛嬌があるまちだな」で、以来、飯田の魅力の奥行きが尋

          マガジン機能を整理し、新たに下伊那飯田の魅力も一個人としてお伝えしていきます。

          今年2023年は日本にとって重要な年です - 北海道南西沖地震から30年、NPO法の成立から25年 -

          今から、ちょうど30年前のことです。 1993年7月に北海道南西沖地震があり、大地震と津波が北海道奥尻島や、その近隣地域を襲いました。 当時大学4年生の私は、初めて災害ボランティアをすることになり、奥尻島に駆けつけました。 ボランティア元年(1995年)となった阪神・淡路大震災以降、「地震があったら、災害ボランティアが駆けつける」が普及していますが、実は1993年の北海道南西沖地震までは、そうなっていなかったのです。 30年たちましたが、初めて今回、当時の現地の様子を

          今年2023年は日本にとって重要な年です - 北海道南西沖地震から30年、NPO法の成立から25年 -

          銀座「樹の花」店主の成澤弘子さんを偲んで

          銀座の老舗のカフェ「樹の花」店主の成澤弘子さん(87)が旅立たれたと、つい先ほど知りました。 「田辺さん、『樹の花』という銀座で素敵なお店があって、でもご苦労されているようなので、経営コンサルティングをしてもらえませんか」 スローコーヒー代表の小澤陽祐さんからのご紹介で、2004年に成澤さんに私はお会いしました。 ですが早速、沈痛な表情で、成澤さんはお心を打ち明けられました。 「1979年に開店して25年。周りを見たら、コーヒーチェーン店がどんどん出店している。家賃が

          銀座「樹の花」店主の成澤弘子さんを偲んで

          ソーシャル・イノベーションとは何?

          テレビや、新聞にかぎらず、日常で「イノベーション」という言葉は、おなじみかと思います。 とはいえ、イノベーションとは何でしょう? 「イノベーション」の前に「ソーシャル」が加わって「ソーシャル・イノベーション」となると、「日頃よくしゃべっているが、実はよくわからない」とのお声をお聞きします。 歴史をひもとくと、イノベーションを世界で初めて1934年に提唱したのはシュンペーターという経済学者です。 彼はイノベーションを「新しい結びつき(「新結合」: new combina

          ソーシャル・イノベーションとは何?