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日本語にもディストーションが必要だという主張、それはすなわちニンジャスレイヤー推薦文

中学の頃、ラジオから流れてくるマライア・キャリーの歌声に心を打たれたことがある。音楽はぜんぜんわからないけど、この歌唱力はすごい、と思った。

ただ、これは、ラジオから流れてくる音が超ハイファイで、マライア・キャリーのすごい歌声が忠実に再生されていてすごかった、というわけではない。安物のラジオなので音は大したことはなかった。むしろ、声を張り上げているところが音割れしているのとかが逆に「マイクでは捉えきれない程すごい歌声」の存在を予感させてきて、圧倒された。ような記憶がある。たぶん思い出補正はあるけど。

話は飛んで、ここ最近趣味で勉強しているコンピューターグラフィックスの話。3Dでは「被写界深度」という概念がある。ピントが合っている物体以外はボケる、というカメラの挙動を再現するもので、ボケがあった方がリアルに見える。

これも考えてみると不思議だ。もちろん人間の目にもピントはあるけど、ふだん景色を見ているときにはあまりボケは意識しない。カメラに映る世界と人間の目に映る世界は違うので、わざわざボケをかけて見える範囲を狭める必要はない。なのに、なぜか「カメラを通して見た世界」を忠実に再現する方がリアルに感じられてしまう。

どうやら人間の感覚には、世界をそのまま再現するよりも、何らかの「装置」を通して見た世界、そしてその装置を通すことによる欠損や制限、を再現する方がリアルに感じられるところがあるらしい。これがどういう現象なのかよく理解できてないけど、実物の体験のリッチさと比べればテクノロジーが再現できるのはどうしても低解像度のものになるので、鑑賞者の想像力で補って埋めてもらう必要がある、みたいなことなのだと思っている。

さて、いよいよ本題に入ろう。言葉の話がしたい。

そう、泣く子も黙るサイバーパンク・ニンジャアクション小説、ニンジャスレイヤーである。ニンジャスレイヤーは、近未来の日本を舞台にした英語の小説で、それが日本語に翻訳されているということになっている。Twitterで連載されていて誰でも無料で読めるほか、物理書籍版や漫画、有料noteマガジンなども展開されている。

ニンジャスレイヤーは90年代からブラッドレー・ボンドとフィリップ・N・モーゼズという謎めいた二人の原作者により、数度のリブートを経ながらライフワークとして紡ぎ出され続けており、現在日本語版としてKADOKAWA/エンターブレインから刊行されているのは、翻訳チームの本兌有と杉ライカが2010年7月からTwitter上でリアルタイム翻訳連載しているバージョンです。

https://diehardtales.com/n/nc13c0c39a52f

ニンジャスレイヤーは、その忍殺語と呼ばれる独特の文体で知られる。これは、日本→英語→日本語、という再輸入構造からくる奇怪な日本語だ。例えば、次のツイートにある「ジリー・プアー」は「徐々に不利」という意味で使われる。これは、「じり貧」という元の単語が、日本語から英語に、さらに英語から日本語に、という再翻訳を経て変質してしまった産物なのだ。

おかしいのは単語だけではない。元が英語小説ということになっているので、欧米圏の日本に対する適当なイメージ(のイメージ)もまたむき出しの状態で読者に突き付けられることになる。以下のツイートは、日本の挨拶の文化(?)を謎に発展させてニンジャの掟としている。あと、古事記にはあらゆることが書かれている。

ニンジャスレイヤーは、このようにどこかコミカルな日本語で書かれている。しかし、コミカルではあっても、その文章にはドラマがあり、怒りがあり、涙がある。ハッとさせられる瞬間がある。気が付くと、翻訳の壁を越えて、物語にのめり込んでしまう。

というと、あなたは「じゃあ普通の文体で書けばよくない?」と思うかもしれない。いや、そんなことはない。翻訳の壁に阻まれる、というのは必要なプロセスなのだ。なぜかというと、ニンジャスレイヤーは、SFであり、神話だから。

例えば、SFで言うと、「現代人からすると想像もつかないようなスーパーテクノロジー」が登場するとき、完全にディテールまで記述されてしまうとなんか興醒めになってしまいません? ディテールまで記述できてしまうならもはや「現代人からは想像もつかないような」ものではないわけで。なので、そのあたりは、いい感じにぼかすか、理解できないように書いた方が、スーパーテクノロジー感が増す。神話でもそうで、「完全無欠で神々しい神の使い」みたいなのも、あまりディテールを描きこんで泥臭い感じになってしまっては困る。

そんなわけで、不完全な翻訳を通して覗き込む、という戦略は、理解できないものを題材にするのにあっている。冒頭で、音声で言えばマイク、映像で言えばカメラ、といった装置を通して歪ませることの重要性を見てきたが、文章で言えばこの「翻訳」というのが装置になる可能性を秘めている。なので、ニンジャスレイヤーはこの文体と不可分なのだ。

ニンジャスレイヤーどこから読めばいいのか問題

以上で書きたいことは終わったけど、これを読んでもしかしてニンジャスレイヤーに興味を持つ人がいるかもしれないので、ガイドめいたものを少しだけ書いておく。

ニンジャスレイヤーは、神話なので、どこから読んでもいいし、全部読む必要はない。今のところ、ニンジャスレイヤーは四部作になっていて、第一部~第三部はnote上で無料で読める。

そこから主人公が変わった第四部が現在連載中で、こっちはnote上だと有料マガジンになっている(途中まではお試しで読める)。Twitterだともちろん誰でも読めるし、有志がやっているtogetterもある。

それぞれ長さがけっこう違っていて、第一部が一番短くて、第四部が一番長い。連載期間で見ると、第一部~第三部までが6年、第四部だけでもう6年。

個人的には、第四部から読み始めるのがおすすめ。第一部~第三部はエピソードの時系列が入り乱れていたけど、第四部は話が直線的に進んでいくので伏線の回収とかドラマが味わいやすい。そこから、第四部で興味を持った登場人物の過去を知るために第三部以前に遡る、という流れもあり。

あとは、無料で全部読める第二部、第三部とかもおすすめ(物理書籍を買うのも快適でいいです)。第一部はちょっとコミカル度が高くておすすめするか迷うところがある。

どれかひとつエピソードを挙げるなら、これがイチオシです。泣く。

(カバー画像: https://flic.kr/p/5vTzsq

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