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60代 自分でくつる幸せの基準

おはようございます。
世の中色々な出来事が起きていますが、
自分軸を持って自分なりに 生きることを考えます。

それなりに不安は いつもあります。
でも それは 私たちが 狩猟民族であった頃に 敵から身を守るため DNAに組み込まれたものだから仕方ないと切り替える。

60歳になると 、今庭に咲いている紫陽花が
あと何回見れるのかなあ なんて 考えたりもしますが、「いなくなるまで生きる 」と思いかえ、できるだけ 今を味わおうと思います。

ズームしてみると花びらが可愛いですねー**

お金を「幸せの基準」にすれば 、今の私は 決して 裕福であるとは言えないと思います。

でも 、少し 自分の物差しを「自分のメモリ」に書きかえれば豊かさが見えてくる。

昨年退職するまでは、朝から晩まで12時間以上職場にいて、猛スピードで毎日が過ぎていきました。

ゴミ出しひとつでも思うところがありました。

ペットボトル、食品トレー、紙、段ボール、スチール缶、アルミ缶、ビン、金属等は分別していたのですがその他は忙しさにかまけて、もえるゴミと
一緒に捨てていました。

今更と思われるかもしれませんが、近頃はそれぞれを細かく分けるようになりました。

分別してみると我が家の ゴミのほとんどが プラゴミだったことが分かりました。
これまでプラのマークを何気なく見ていましたが、今では捨てる前のモノは必ずチェック!

余談ですが、海外のモノには「プラ」「紙」などの表示がないモノもあるのに、日本のモノはどんなに小さくてもちゃんと書いてある。

例えば、インスタントラーメンに付いてる唐辛子の小さな袋とか、納豆に付いてる出汁の小さな袋にまでプラのマークがあって、日本クオリティーに感動します。

「ゴミ」という言葉を連発していると、なぜこう呼ぶのかが気になって調べてみました。


語源・由来
 ゴミは、主に農家で「木の葉」をあらわす言葉で、各地の方言にも木の葉をさす言葉として残っている。長野県には、木の葉を「ゴミ」、落ち葉を「マツゴミ」と呼ぶところがある。愛知方言では落ち松葉を「ゴ」と呼んだり、京都では「ゴを掻く」といった表現もある。ゴミが、木の葉以外の意味にも使われはじめたため、「ゴ」と呼ばれるようになったのか、元々ゴミは
「ゴ」と呼ばれており、「ゴ」の「実」という意味で「ゴミ」となったのか定かでない。
 また、鎌倉前期の「平家物語」には「水田のごみ深かりける畔(あぜ)の上に」とあり、ドブなどに溜まる泥をさす言葉として使われている。ここから、ドブに溜まるものとして、はじめは「木の葉」を意味していたのではないかと推測される。
 「塵(ちり)」や「土ぼこり」の意味になったのは近世以降で、その頃からゴミは不要な物であることから、「取るに足らないもの」「役に立たないもの」などの意味にも使われはじめた。

令和の知恵袋


話をもどして、
大きなプラゴミの袋に、どんどん中身が溜まって満杯になる楽しみ。
逆に、もえるゴミは出す頻度が少なくり4日に1度から 10日に1度に減りました。
ちなみに60代夫婦二人暮らし。


どこかで聞いたフレーズを思い出した。
「捨てればゴミ 分ければ資源」

うーん いい言葉! と ひとりでつぶやきながら
ペットボトルを覆っているプラのラベルをはがす。

プラゴミの袋が20日間で一杯になり、歩いてゴミ収集場所に持って行くときの心の豊かさよ。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ 

これからは、 プラゴミをいかにコンパクトにするかを工夫して、捨てる頻度を20日から30日 に一度にするのが目標になった。

すごくささやかな目標 。
すごくささやかな幸せ基準。

でもなんかいい。

だって、今こんなことを考える余裕や時間があることが財産だから。

頑張れ自分!


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