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#2-7 中野区シルバー人材センターの人

 ──2022年5月5日、その日はゴールデンウィーク最終日。私は中野にいた。初夏の訪れを感じる強い日差しだった。どこからだろう、長いこと歩いてきた気がする。かれこれ1時間は歩いた。方角も決めずぶらぶら歩いているとここ中野にたどり着いたのだ。
 初めての土地に若干の興奮は覚えたものの、暑さと疲労が限界だった。早く建物に入って涼みたい。とにかく中野ブロードウェイという建物とアーケードの商店街があることは知っていたので感覚を頼りに歩いてみる。しかし、道を誤ったのだろうか、一向にアーケードにぶち当たる気配はない。炎天の元に晒された飲み屋街に迷い込んでしまった。太陽に照らされた足下のコンクリートと昼間の閑散とした飲み屋街は、まるで無機質な砂々に覆われた灼熱の砂漠のようであった。遠くには、5月にはまだ早い陽炎が見える。
 所持品はカメラとiPhoneのみ。自動販売機で水を買うこともできない。絶望と不安の混じった汗水を垂れ流した私はただ朦朧と遥か遠くにある陽炎を見つめていた──

 ──と、その時、目の前に恵みのオアシスの如く真っ青なキャップを被ったおじいちゃんが現れた。ベンチに佇みながらタバコをふかしている。その昭和俳優のようなハードボイルドな見た目に反し、キャップにはかわいいキャラクターが描かれている。朦朧とした意識の中で、この人は写真に収めねば、と、写真家YTとしての情熱がふつふつと湧きあがってきた……

YT「すみません……写真家しているのですが……佇まいがすごくかっこいいな……と思いまして……。よかったら写真を一枚……撮らせてもらえないでしょうか……?」

OJ「かっー!んなっ!どこがかっこいいの!ただの作業着じゃないの!ん!?」

 威勢のいいおじいちゃんだ。77歳らしいがもっと若く見える。

YT「サングラスとキャップのギャップがかっこいいです……これはなんの帽子ですか?」

OJ「これは制服。そこで自転車の駐禁の取り締まりしとるんや。恥ずかしいのよ、こんなかわいい帽子被って作業するの。」

 定年後、福祉の仕事で自転車の違法駐車の取り締まりをしているらしい。キャップも洋服もその制服とのことだ。胸元には「中野区シルバー人材センター」の文字が見える。指先の空いたグローブは何度も自転車を持ち上げるので怪我の防止と作業のし易さを追求した結果このスタイルになったらしい。

YT「じゃあ1枚……撮らせてもらいますね……あ、場所はここで、はい、座ったままで大丈夫です……」

 ──写真を撮らせてもらいその場を後にする。ようやくアーケードの日陰に到着し水分を補給できた。体力が回復し、意識が冴えてきた中で先ほどのおじいちゃんの帽子の冷め覚めとしたブルーが蜃気楼のようにぼんやりと脳裏に浮かび上がった。

 もし若者が同じブルーの帽子を被っていたとしてここまで私の脳裏に焼きついただろうか?恐らく私は気にも留めなかっただろう。それは原色の鮮やかな色彩は若者の特権だからだ。プレタポルテが主流になり、ファッションが全世代にオープンになった現在、新たなファッションを生み出しリードしていくのは若者の存在だ。ストリートとモードを行き来する貪欲な情熱とエネルギー、そして少しばかりの未熟さはどんな色彩をも容認する。だから、そういった派手な色彩は若者にすんなりと取り込まれてしまう。

 一方でおじいちゃんはどうだろうか。歳を取るにつれ、身に着けるアイテムはスーツ・襟付きのシャツ、そして色彩は黒やグレー、ベージュなど控えめにシフトしていく。ファッションへの情熱や体力、性欲など様々なエネルギーの低下と比例して、主張しすぎない無難なスタイルにシフトしていくのではないだろうか。だから本来的に、鮮やかな色彩はおじいちゃんのものではないと言ってしますのは言い過ぎだろうか。だからこそ、おじいちゃんが彩度マシマシなアイテムを身につけていた時若者には感じない違和感を覚えることがある。そしてそれが妙にカッコよく見える時がある。それは恐らくおじいちゃんという存在と彩度マシマシアイテムのミスマッチ感がファッション的に言えば「外し」として作用しているからであろう。

 このおじいちゃんもまた、期せずして天然の「外し」コーデをしていた。モニターの前で眺めるAdobe RGBのブルーと本来のおじいちゃんの帽子のブルーに、どれだけの差があるのかは今はもう定かではない──


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中野区シルバー人材センターの人 


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オアシスブルーのキャップ


名称未設定20

指先の切り裂かれたグローブ

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