死ぬまでにやりたいこと

「死ぬまでにやりたいことは何ですか?」という問いでよく出る回答に「富士山に登る」と答える人は日本人ではたくさんいるのではないだろうか。外人さんで富士山を目標にする人は少ないだろうけど日本人ではやっぱり富士山が一番有名な山だろう。
友達から今年富士山に登ろうと言われた。僕も富士山は一度は登っておきたかったからノリノリで承諾したが、みんなが死ぬまでにやりたいこととして挙げていることをこんなにも早く成し遂げてしまっていいのだろうかという不安もある。何が不安化というと、生きる目的のようなものが達成してしまったことで、なんだこんなもんかってなってしまいそうで、自分の求める刺激のレベルだけがどんどん高くなっていってしまいそうで、最終的には強いお酒と違法な薬じゃないと満足でないと満足できないんじゃないかと不安になるのだ。
登ってみたところ、きつくてとても今の体力では無理だ。高山病にもかかってしまったからもっとトレーニングを積んでから再チャレンジしよう。と失敗することがあるのなら登ることにも意味が出てくるだろう。正直、僕は富士山ぐらい登れるだろうという軽い気持ちでいる。なんせ毎年たくさんの人が登ってるのだから。しかも僕はハーフマラソンを走ったことがある。(ハーフというところが中途半端ではあるが、、)まだ若いし、初心者コースなら楽々登れてしまえるだろう。

僕の中で、富士山に登るということが、ただの目的になってしまっている。登るというより頂点に立つということが目的になってしまっている。本来なら、富士山に登る過程にきついな、でも自然を感じると自分の小ささを感じるな、仕事だけが人生じゃないよな、とか登ってる最中に感じることのほうが大事なんだと思う。少しでも多く感じることができる人が素敵な大人になれるんだろう。でも今の僕は、ヘリコプターで富士山の山頂に着いてそこからの景色を味わうことができればゴールになっている。
山頂に着いて写真でも撮って、不特定の誰かに登ったよってアピールすることに何の意味があるのだろうか。山頂で食べるラーメンは格別だった。ポテトチップスはパンパンだった。カレーが売ってるけどめっちゃ高かった。そんなことはどうでもいいんだよ!

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