インストゥルメンタルを聞きたい気分になったのは初めてだ。インストゥルメンタルって何のためにあるん?って思ってたけどインストゥルメンタルってインストゥルメンタルの時に聞くもんなんだって、インストゥルメンタルになって気づいた。 なんか何も考えたくないときのことをインストゥルメンタルと呼ぶらしい。もちろんインストゥルなメンタルという意味だ。何も考えたくない。好きな音楽さえも聴きたくない。言葉がうるさい。でも無音だと、心がうるさい。そんなときのために、歌詞のない音楽。それがインスト
8/18(金) 朝起きると、10時だった。昨日はビールを一本だけ飲んだ。久しぶりに友達と電話して楽しくなった。 昨日の夜の食べかけのヨーグルトを食べて、「冨樫義博展」へ向かった。大阪駅周辺はあまり行ったことがなくて、電車から降りて地上に出ると迷子になってしまう。「地下にいる時からどこに出ないといけない」ということを決めていないといけないことを忘れていた。 地下にいる時から次の出口方面はこっちだとわかっているだけで、かなりの時間短縮になる。Google MAPは俺が迷子になる
・朝起きたらすぐに布団をたたむ ・朝のヨガ ・舌トレ ・腹式呼吸トレ ・滑舌トレ (・ボイストレーニング) ・朝飯は必ず食べる ・noteを書く ・ネタを毎日書く ・ニュースを見る ・英語の勉強をする ・本を読む ・ランニングと筋トレとスイム ・日記をつける ・字をきれいに書く ・小説を書きたい ・漫画を描きたい ・お金を貯める ・時間を無駄にしない ・テレビはごはん食べてるときにしか見ない ・コンビニで買い物をしない ・チョコはカカオ70% 何かができてないと、自分
どうしても何かを言いたい。でも、そのなにかがわからないから、わかってても表現の仕方がわからないから、表すのが下手だから、結局何もできない。できないというか、しない。悶々として、とにかく発散したいからランニングをする。サウナで汗をかく。バラエティ番組を見て笑う。おいしいものを食べる。エロ動画を見てオナニー。これでもこのモヤモヤが晴れないのは発散の方法が正しくないから?求めてる欲求は何? カラオケに行けば発散できそうだな。友達と話したいな。お酒でも飲もうかな。またタバコ吸いたくな
甘いものを食べる時には必ずコーヒーを飲む。なぜかわからないけど、甘いものと苦いものを中和しながら食べて飲んでいる。中和してしまったらゼロになってしまいそうだけど、こればっかりはゼロにならないらしい。甘いものは甘いものだけでは食べれないし、苦いものは苦いだけでは飲めない。そんな大人なのか、おこちゃまなのかわからない体になってしまっている。 子どもの時には苦いコーヒーの代わりに、しょっぱいポテトチップスかせんべいなんかを中和する材料として使っていたと思う。今思うとしょっぱいもので
大阪の空は上を見上げても、少し明るい空しか見えない。真っ暗になることもなければ、光り輝く星を見つけることもできない。七夕といえども、織姫と彦星を隔てている天の川もなければ、七月七日の一年に一度のロマンチックな再開をすることもない。星に願い事をすることもないし、流れ星を見るために草原に寝転ぶこともない。 こんなことを言っているが、七夕が何なのか僕は知らない。織姫と彦星は誰なのか、どういうお話か知らない。 僕の地元は島だから、夜になれば真っ暗になり文字通りの満点の空を見ることがで
僕はお笑いが好きです。漫才師が好きで、自分たちの会話と動きだけで笑いをとる姿にあこがれます。歌舞伎や能といった日本の伝統芸(?)みたいなものは知識がある人じゃないと見ていても面白くないけど、漫才は大衆に対して作っているから何の知識がなくても面白い。好きなものに対してこんな説明をすると俺なんかがそんな簡単に語れるものじゃないという感情が起きるので、今のは頭の中ではdeleteキーを長押ししてます。なので次からが本文です。 僕も漫才師を目指してます。ですが、早くも夢破れました。
1か月前くらいから、エレベーターやエスカレーターはなるべく使わず階段を使うようにしている。忙しい日々で運動する暇がない!と文句を言っていたから、それならせめて階段くらい使えば?と心の声が聞こえてきて、それからはずっと階段を使っていた。 心の声には逆らえないタチなのだ。一度思い浮かんだということはそっちのほうがいいと心のどこかでは思っているような気がして逆らえない。 部屋は4階、学校は6階にあるから相当な階段の量を歩いているけど、何の変化も感じられない。体力とか脚力とかついたよ
「死ぬまでにやりたいことは何ですか?」という問いでよく出る回答に「富士山に登る」と答える人は日本人ではたくさんいるのではないだろうか。外人さんで富士山を目標にする人は少ないだろうけど日本人ではやっぱり富士山が一番有名な山だろう。 友達から今年富士山に登ろうと言われた。僕も富士山は一度は登っておきたかったからノリノリで承諾したが、みんなが死ぬまでにやりたいこととして挙げていることをこんなにも早く成し遂げてしまっていいのだろうかという不安もある。何が不安化というと、生きる目的のよ
おもんないなぁ。向いてないんちゃう。そんな心ない言葉が俺の心にダメージを与える。 「これくらいで心が折れるのならそれだけの意志しかなかったって言うことやろ。」 こんな言葉をかけられたばかりに自信を無くし、磨けば光る原石もただの石ころで終わってしまうことがどれだけ起こっているだろうか。おもんないなぁ。向いてないんちゃう。までは言った個人の感想だから、聞き流すことができる。だけど、「それだけの意志しかなかったってこと」という言葉は自分に対して、自分はそれだけの意志しかなかったんだ
草をはやすことができるのは自然の恵みである雨と限られたネット民だけである。これはひろゆきさんの言葉。だったっけ、、、 そんな言葉はもちろんない。もしあるのならすみません。ただ、草をはやす能力はすごいんじゃないかと思う。草をはやす能力というか、wwwと打って草が生えていると初めに表現した人。そしてそれを自然と草が生えてると認識して、文脈の最初や最後にちゅうちょなくwwwと打ち込める人。 俺の友達にも何かの質問の返答に、例えば「昨日何食べた?」と聞かれ「袋麺を茹でずにそのまま食べ
いつの間にか一人でいることに慣れてしまって、誰かと一緒に何かをするということに面倒くささを感じるようになってしまった。友達と遊ぶことですら少し面倒くさい。遊ぼうと予定していたことがなくなった時に喜びを感じてしまうほどになっている。 彼女ももうしばらくできていない。はじめのうちは、人に縛られる生活も疲れるし彼女とか作らずにいようという気持ちでいた。彼女って遊ぶのにもお金かかるし、そんなお金はないし、今は自分のことで精いっぱいだから遊ぶ時間を作る余裕なんてない。だから、「あえて作
きっちりと三分はかって文字を書いてみます。三分という短さであると、誤字を訂正している暇もありません。でも僕は誤字が脱字がある文章は嫌いです。ごじだつじがあるだけで、興味のある文章でも読む気がうせてしまいます。先ほどの誤字脱字の変換ができていないけどそんなことを気にする暇はありません。気にしないといっても気になってしまうので、気づかなければよかったというほうが正しいです。おわりでーす。
典型的な三日坊主なもんで、毎日三分だけでも続けると決めたこのnoteでさえも三日でやめてしまっていました。人のやる気ってこんなもんなんです。人って大きなくくりにして、たいていの人がそうだから自分がそうであっても仕方ないと、自分が悪いわけではなく人間という生き物が悪いんだとするのは僕の悪い癖です。でも自覚してるだけましです。 なんで三日坊主になってしまったのだろうと考えると ・一日3分のつもりが30分くらい書いてる ・時間がかかると書こうという気も起きなくなる ・見てる人はほと
一日の始まりには布団をたたみ、ヨガをして発声練習をしてコーヒーを入れる。日課のコーヒーはブラックだから、ブラックニッカやん(笑)ってツッコミがどこかから聞こえてきた気がしたが、もしかしたら頭の中からだったのかもしれない。 朝ごはんはごはんとみそ汁、納豆、卵、海苔。納豆にはねぎを入れる。毎日これを食べている。いつからか食べ物に飽きるということがなくなった。それは逆に言うと、食べ物への興味がなくなったということでもあると思う。おなかを満たすことができるのなら、なんでもいい。でも、
来週僕の推しが解散します。ここまで生きてこられたのは彼女たちの存在があったから、これは盛ってるわけではない。僕が夢を追いかけようと決めたのは彼女たちも不向きなことでも上手になろうと努力している姿に心打たれたから。解散発表してから彼女たちの歌しか聞かないと決めて今日まで過ごしてきた。今日までBiSHの曲しか聞いてない。 俺の純粋すぎるまでのBiSH愛に自分が耐え切れなくなったため、あからさまな嘘を入れてみたけど、そんな人もいるかもしれないから冗談にはなっていないのかもしれない。