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洋服屋さんで働いていた頃 #2『レジを囲んで飲むコーヒー』

そんなかわいい奥さんでも、やっぱり機嫌の悪い時もあった。
きっと、社長とケンカしたんだろう。
そういう時は、朝、二人がやって来るとちょっといつもと様子が違う。
社長はお店に着いて私たちに挨拶だけすると、マーケットリサーチに行ってきます、と言ってさっさと消える。
それはいつもの事ではあるんだけど。
そういえば、社長のマーケットリサーチというのは、実は麻雀かパチンコだったいう事を知らなかったのは私だけだった。

今朝、奥さんは、とても機嫌が悪い。
私が傍に行ってもこちらを見ない。
でも、奥さんの口角はやっぱりキュンと上がっていて、笑っている様に見える。
私が、そんな奥さんの横顔を見ていると、『なに?!』とちょっと怒ったように言う。
私はつい、えへへと笑ってしまう。
そしたら奥さんも、つい笑顔になって、お財布から小銭を出しながら、
『ゆーちゃん、ひょうたん(近くのお総菜屋さん)でお稲荷さん買っておいで。一緒に食べよう』って言ってくれる。
私は、『ありがたやー』とか言いながら小銭を受け取って、ひょうたんへ走る。
オープン前の朝のひととき。

社長も面白いひとだった。
若い頃は相当なプレイボーイだったらしい。
奥さんも随分泣かされたんだって。
それは歳をとっても変わってなくて、社長は、従業員やバイトの子たちにセクハラをする。
セクハラをする、というと人聞きが悪いかもしれないけど、社長は、女性がいるのにそれをしないのは失礼である、と思っているらしかった。
社長はよく、従業員である私たちをホテルに誘う。もちろん冗談だ。
それをそばで奥さんが見ていて『この泥棒ネコ!』と憎々しげにいう。
ここまでがセットになっているのだ。

社長がマーケットリサーチから戻ってくると(それは大抵午後なのだけど)、隣の喫茶店からコーヒーの出前を取ってくれることがあった。
この喫茶店は、お店で焙煎した豆を使っているので、とてもおいしいコーヒーを淹れて持ってきてくれる。
私はそのコーヒーを、レジを囲んでみんなで立ち飲みする時間が大好きだった。

そんな楽しい仕事場だったけど、1年を過ぎた頃、私は辞める決心をした。
社長と奥さんと先輩に辞めることを言うのは、とても辛かったけど。


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