カンボジア日記第149号(言語より大切だと思うこと)
សួស្តី!
カンボジアで体育やサッカーを指導させていただいて5ヶ月経ちました。
クメール語については円滑にコミュニケーションを図れているとは言えませんが、活動や練習に不自由はなくなってきました。
コミュニケーションを図る中で1番大切である何気ない会話が1番難しいです。
最近の練習では以前より選手に練習の内容を伝えられるようになってきたと思います。
言葉が拙いので日本で指導しているときよりもフリーズの回数が増えました。
その際に質問し、デモンストレーションしながら選手に理解してもらう作業を繰り返しています。
選手も練習に来ている選手は毎日様々なメニューを行っているので練習に対するレジリエンスがついてきました。
また、私が何を言いたいのか汲み取ってくれるようになってきました。
継続して練習に来ている選手たちのグループのボールポゼッションゲームは最初のときと比べると随分と良くなっているなと感じます。
トレーニングの合間にすぐに座り込んだり、遅れてきたりなど腹が立つこともありますが選手は基本的によく話を聞いてくれ、彼らなりに一生懸命取り組んでくれています。
試合に反映されているかはまだわかりませんがフレンドリーマッチが楽しみです。
自分が今感じているのは言葉はあくまでも手段でしかないんだなということです。
彼らに上手くなってほしい、このチームで勝ちたい、スポーツの楽しみを知ってもらいたいという気持ちや情熱があれば彼らに伝わっているような感覚があります。
NetflixでManchester Cityのドキュメンタリーが放送されていますが、グアルディオラのパッションあってこそのチームなんだなと改めて感じます。
クレイジーすぎて凄まじいです。笑
以前読んだ本にもこのような記述がありました。
「現在のインターネットが普及しているサッカー界でグアルディオラやデゼルビだけが知っていて、他の監督やコーチが知らないような戦術はほとんどない。しかし、彼らは自分たちのチームにこのサッカーしかないんだ、これが1番なんだと信じ込ませる力が凄まじい」
このような文が記述されていたことを覚えています。
指導者に1番大切なのは間違いなく、
「情熱」
だと子どもたちに教えてもらっています。
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