草場勇斗 | アフリカのケニアでプロ

◼︎アフリカケニアでアジア人初のプロサッカー選手🇰🇪⚽️ ◼︎「最初と最後は人間性」がモットー…

草場勇斗 | アフリカのケニアでプロ

◼︎アフリカケニアでアジア人初のプロサッカー選手🇰🇪⚽️ ◼︎「最初と最後は人間性」がモットー           ◼︎ 立正大淞南→桃山学院大→FC EASY02 明石→FC ZENSHIN(ケニア4部)→Nairobi City Stars FC(ケニア1部)

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

ワルあがき

人生を通して、超凡人の俺が、ワルあがきをしてやる 12歳の時に、たてた「世界で通用するサッカー選手になる」という夢に向かって、これまで日々努力してきた。 それまでは、ぼんやりとサッカーをしていたが、その目標を掲げた日から、夢を強く、意識してきた。 しかし、見ての通り、上手くいかない事の連続である。こんなにも上手くいかないのかという程に。 中、高、大とチームではベンチを温めることが多く、大学だけで言えば、2年間で公式戦トータル出場時間、5試合弱だ。なかなか、厳しい現状だ。

    • 絶望を希望に

      試合終わりのガタガタときしむ音が鳴り響くバス中でこのnoteを書いてます。 ケニアで公式戦デビューを果たしてから、2試合連続でスタメンで試合に出た。今日がその2試合連続でスタメン出た試合の2試合目だった。コーチ陣が自分がどれだけやれるのかを試していると感じた。 本田圭佑選手が「上に行く選手はここぞと言う時に、結果を残す」と言っていた。 僕にとっても、チームにとっても首位との試合で重要な試合だった(試合前チームは2位)。それは理解していたし、自分に言い聞かせていた。「ここ

      • アフリカのケニアで「アジア人初」のプロサッカー選手になった話

        (もし面白かったらスキ押してほしいです....) 前回の記事「ケニアでシーズンを終えて」の続きから話します。 ですが、いきなり続きから話しても、話がわからないと思うので、前回の記事を超簡単に要約すると、ケニアで日本人がプロサッカー選手を目指すのは困難であるということである。なぜ困難なのか、それをどう乗り越えたのかを詳しく書いてます。 なので、まだ前回の記事を読んでない方は、是非そちらからお読みいただけると嬉しいです。 では続きから書いていこう。 ケニアで初のシーズン

        • ケニアで初のシーズンを終えてー

          日本を出発し、ケニアに到着してから、気がつけば4ヶ月という時間が経っていた。 ケニアという初の海外、かつ日本から遠く離れた地での4ヶ月は、目にした事のない景色が常にそこにあり、そして、状況は目まぐるしく変化していった。 毎日が刺激的で時間はとてつもない速さで流れていった。一方で、それとは矛盾してるようだが、4ヶ月とは思えないほど濃い時間を過ごした。 8月に入り、気がつけば、ケニアで初のシーズンが終わっていた。 ケニアに来た当初を振り返ると、この環境で俺はやっていけるの

        • 固定された記事

        マガジン

        • ふとした時に読み返したくなる記事
          44本
        • 悲しみの草場
          2本
        • 熱いのに憧れる草場の自己分析
          6本

        記事

          怪我とケニアと偽善

          肉離れが教えてくれたことー ある程度真剣にサッカーをしだしてから、初の公式戦2日連続というのがケニアでは、普通にあった。しかも3週連続で、土日2連戦。その1週目、2試合目が終わり普通に軽く肉離れをした。1試合90分間を走り切ったら、次の日には筋肉痛と身体のあちこちが痛む。こっちのグランドは土で硬いから、普通に走っているだけでも足腰に負担は大きいし、転けるとその分身体に衝撃が来るので、日本でプレーしていた時よりも、次の日の身体のバキバキ度は酷い。その状態で、次の日の2試合目も

          同期とケニアと自分の居場所

          インスタグラムのストーリーで、社会人になった同期が、「今日も残業お疲れ様でした〜」って載せていた。 「残業」 ケニアにいる今の自分には無縁な「残業」という言葉を目にして、めっちゃ社会人してるなぁと思ったのと同時に、ふと当たり前の事実を思い出した。 あぁ、小、中、高、大と一緒にサッカーをしていた皆んなは社会人になったのか。俺も一応社会人なのかななんて思ったりして。 自分が特殊なケースなだけで皆んなは働いてるんだよな。それで自分はいまどこにいるんだっけ。あ、ケニアか。

          同期とケニアと自分の居場所

          アフリカのケニアでプロサッカー選手になる

          諦めたらそこから試合開始ですよ 「サッカーで上を目指すこと」に限界が見えたと思い、もうこの夢を追うのは辞めようと決め、壁に貼ってある「日本代表になる」と書かれた紙を、壁から剥ぎ取り、くちゃくちゃにしてゴミ箱へ投げ捨てた。 それから僕は、夢を失い、光を見出せないでいた。空っぽになった身体を引きずるように生きていた。 そうして、来る日も来る日も、下を向いて歩いていた。でも、答えは何も出てこない。 ならばと、すがる思いで尊敬してる人に「お話ししたいです」とLINEを打った。

          アフリカのケニアでプロサッカー選手になる

          シーズンが終わり、夢も終わった。

          今シーズンが終わり、現実を突きつけられた。 大学でのラストシーズンが始まる前に、J3のチームに入るためにと、大学サッカーをやめるという決断をし、社会人リーグに入るという選択をした。しかし、現実はそう甘くはなかった。 結果、シーズン10得点で、得点ランキングは3位で終わった。 新しい環境に上手く適応することが出来ず、なかなか出場時間がなかった。しかし、やれることはやり続けた。 今シーズン、練習は人数は基本的に10人程度で、GKもいない。今シーズンはほとんどシュート練習を

          シーズンが終わり、夢も終わった。

          社会人(アマチュア)サッカーリーグのリアル。 それでも上を目指すのか。

          何回か前のnoteで書いたので、知っている方もいると思うが、僕はいまサッカー部をやめて、社会人(アマチュア)リーグでプレーしている。社会人リーグから上を目指すと決意して、大学サッカーをやめ、新たな環境に飛び込んだが、現実はそう簡単なものではなかった。 社会人リーグは書いて字の通り、社会人がサッカーをしているリーグである。こう書くと誤解を生むかもしれないが、Jリーガーももちろん社会人である。では、Jリーグとそれ以下のリーグの社会人(アマチュア)リーグはどう違うのかというと、や

          社会人(アマチュア)サッカーリーグのリアル。 それでも上を目指すのか。

          答えのないことのつらさ

          Aもあれば、Bもあり、またCもある。 ものごとがうまくいかなかったとき。われわれはその原因を何かのせいにしたり、何かに失望したり、忘れようとしたりする。もしもそのうまくいかなかった出来事を消化しきれなかった場合やうまくいかったそれに、多くの時間を費やしていた場合、それは失望ではなく絶望となる。そして気がつけば、「何のためにーー」というようなゴールのない無限ループの問いに苦しむことになる。僕の場合もうまくいかったとき、最初は「これは何でうまくいかなかったんだ」から始まり、最終

          オンラインアカデミー『NOBISHIRO』について

          今回は『NOBISHIRO』の内容についてお伝えします。 『NOBISHIRO』とは? 1人の人間(アスリート)として成長する場です。 パフォーマンスを上げ結果を出すこと、高校生が繋がりを持ち高めあえる環境にしていきます。 ビジョン コンテンツ ・身体【physical】  「質の高い休息と回復」 ・思考【mind】 「自己理解」 【内容】 ▪️ サッカー選手のパフォーマンスを高めるオンラインヨガレッスン(グループ&個別) ▪️自己分析 1on1 zoomミー

          オンラインアカデミー『NOBISHIRO』について

          自分の属している社会から飛び出す 〜これまでの部活動を通して感じたこと〜

          私はこれまで18年間もサッカーをやってきました。 ずっとサッカーをしてきたということはずっとサッカーのコミュニティに属して生きてきたということでもあります。 一般的には私がそうだったように、一つのクラブチームに属したり、部活動に属したりと、一つのコミュニティに依存して、そこでのルールに従い、活動し、成果を出すのが当たり前だと思います。 しかし、そのように今属している一つのコミュニティに依存し続けることは、偏った人間関係や偏った情報収集など、かなりのリスクになると考えてい

          自分の属している社会から飛び出す 〜これまでの部活動を通して感じたこと〜

          苦しかった時の話しをしようか

          これまでサッカーを続けてきたが、これでもかと言うくらい上手くいかないことの連続だった。 遡ること17年前(4歳)、僕は兄の影響でサッカーを始めた。訳もわからずただボールを追いかけ、気がつけば17年間もサッカーをしてきた。そして今、人生のほとんどをサッカーと共に進んできた。 振り返ると本当にうまくいかい事ばかりで挫折の連続だった。そんな、うまくいかない事ばかりだったこれまでのサッカー人生を振り返ってみる。振り返ってみることで何かを発見し、それを言語化し読んでくださっている方

          苦しかった時の話しをしようか

          草場勇斗は何者か。

          今回は改めて自分のことを紹介していこうと思います。いつも読んでくれている人、自分のことを知ってくれている人は、「草場勇斗」がだいたいどんな人間なのかを知っているかもしれないですが、僕のことを知っている人も、最近知ってくださった人も、より深く「草場勇斗」がどんな人なのが知ってもらえたらと思います。 簡単なプロフィール簡潔にまとめたが、とても長いプロフィールになってしまった。幼少期から現在までのストーリーを事細かく書きたいと思ったが、それでは文字が収まりきれないので、僕が思う自

          大学サッカー部を辞めて思うこと「本気を出したけど、敗北した」

          この大学3年間、僕は本気を出した。誰よりも頑張ったなんて、とてもじゃないけど言えない。それでも、僕は僕なりに本気を出した。毎日トレーニングのためにジムに行き、ジムも普通のジムと初動負荷の2種類のジムに通い、その両方をほぼ毎日ハシゴしたし、毎日8時間睡眠して、食事も徹底し、体調、体重、筋肉量も管理した。 一切の妥協をせず、「本気」を出し切った。それでも、プロにはなれなかった。このまま大学で続けても、プロにはなれないと判断した。 だから、僕は少し遠回りになるが、社会人2部リー

          大学サッカー部を辞めて思うこと「本気を出したけど、敗北した」

          敗北者の挑戦 「リセットはなく、スタートがある」

          去年の年末頃から、いま現在まで今後どういったキャリアを歩んでいくのかをずっと考えていた。                         なぜ、改めて考え直したかというと(大学4年生になるこの時期はそういう時期であることも一理あるが)このままでは日本代表には辿り着けないと感じてしまったからだ。                      これまでも、「このままでは無理だ」と思うことはあった。しかしその度に、『俺ならできる』と、心の底から思っていた。          そう

          敗北者の挑戦 「リセットはなく、スタートがある」