映画「ゴジラ-1.0」を見てきた。ゴジラが怖い、びっくり!

映画「ゴジラ-1.0」を見てきました! ゴジラに迫力があってすごく面白かった! あまり情緒的な物語は好みではなかったけれど、それなりに人間ドラマも良かったです。もちろん泣きました。私はけっこう涙腺が緩いので、どんな人でも泣くかと言ったらわかりません。ちなみにもちろん人間ドラマでも泣きましたが、ただゴジラが出てくるだけで涙を流していました。

物語は終戦間近の時代です。
始まって割とすぐゴジラがででくるんですよね。とても良いですね。主人公である敷島浩一は特攻から逃げた人です。飛行機修理(本当は故障していない)に寄った大戸島で、敷島はゴジラに襲われます。ゴジラに会う前に、海辺に熱帯魚の死体がたくさんあがります。こういう「何かある」っていう予感があるのはいいですよね。引き込まれる。襲ってくるゴジラに対して、島にいる整備員たちは敷島に機銃掃射を頼むけれど、敷島は恐怖からか撃てません。その結果(といっても撃てたところでゴジラが倒せたとは思えませんが)、島にいた人間は敷島と橘(整備員の一人)を残して全滅します。この物語の流れから、敷島のトラウマ(「特攻から逃げたこと」や「ゴジラに対して何もできなかったこと」)との戦いが「ゴジラ」を巡る物語と対となって展開していくことを予感させます。

いまの時代の感覚からだと理解しづらいですが「特攻」を指示されながら、それを行わなかったことが責められます(敷島自身も自分を責めてますし、近くに住んでいる家族を全て失った女性からも責められます。責めはしませんが敷島がのちに働いた場所でもなんとなく評価されない形になってました)。ただ、現代から遠く離れた感覚を緊張感もって見せてもらえるのは、これは役者さんの演技が上手いからでしょうか? 脚本がもいから? 撮影が上手いから? そこらへんは専門家でないのでわかりませんが、とにかく敷島の心情が心に迫ってくるのは確かです。と言いつつ、現代的な観点から「責められるべきは負ける道を進ませようとする政府」だという考えも私の思考の中にはうずまきます。時代を超えての考えのぶつかりが起こります。それもこの作品に緊張感を与えている一要素だと思います。物語の根幹に迫るほど直接的に「政府批判」や敷島に対して「あなたは悪くない」という言葉が出てくるわけでもないです。現代的な思考を持つような人間は作中に出てきません。わたしはあまり好きではないのですが「この国はうんぬん」という言葉は出てはきますが。国が悪いことはわかってますが、私は大きな括りで物事を批判する言葉があまり好きでないというだけです(この点は「シン・ゴジラ」でも同じです)。

物語は敷島と偶然の出会いから敷島の家に居着いてしまった大石典子とその連れ子(典子の子ではない)との、同じ家に住む男女でいながら、結婚もしない奇妙な共同生活が描かれます(言及はないですが男女の関係は作中の時間経過内ではない)。機雷掃討の仕事についた敷島。その仕事の道程で再びゴジラと見えます。
そしてゴジラの登場。
ちょっと突っ込みを。最初は海から登場するのはいいですが、上陸場面がない。次現れた時は銀座。その過程は? と思ってしまいました。そして、ほとんど逃げていない人たち。情報統制されていし、情報が伝わるのが遅い時代とはいえ銀座には人がいっぱいいます。あんなでかいのが近づいてきたら、ゴジラの足が近くに来るまで逃げないのはありえないだろ、なんて思ってしまいました。
銀座で働いていた典子は襲われます。たまたま乗っていた電車を急襲され、典子視点で緊張感を持って見ちゃいました。まあ、なんで一人で電車残って襲われているのか? とツッコミたい気持ちもありますが、そこは面白かったので良いです。
逃げる典子、そこに敷島が助けにやってきます。「広い銀座で、よく見つけたな」とここにもツッコミを入れます。展開としてはこれでいいと思うのですが、もう少し敷島が典子を探している場面とか入れられなかったのかな、とは思います。テンポが悪くなるのかな?
ここでゴジラは熱線を吐くのですが、吐く前に背中がだんだんと青くなっていくので期待が高まっていいですよね。銀座のゴジラの登場は、その凄さ、迫力に涙を流していました。人間の動きにはツッコミつつも、ゴジラの迫力はすごいですね。
ゴジラの熱線の影響で典子は死にます(正確には生死不明)。典子役は浜辺美波さんが演じているのですが、私が見る作品に出てくる浜辺美波さんはいつもヒロインなのに、物語の途中で死んでいなくなりますね(まあ、浜辺美波さんがヒロインの作品は「シン・仮面ライダー」しか見たことないけれど)。

典子の死を境に、敷島はゴジラへの復讐を胸に、自分のトラウマを克服する物語の展開になります(典子の連れ子の明子の未来を守るためというのもあります)。
もし敷島が典子と結婚していたら、自立したいと言って銀座で働くこともなかったかもしれない、そうなればゴジラに襲われることもなかったかもしれない。敷島の一歩踏み出せない心が、悲劇を生んでしまったというのもあるでしょう(ここら辺は作中で言及はされなかったですね。視聴者の想像に委ねたのでしょうか)。

そしてゴジラ掃討の作戦が立案されます。作戦については私は納得しました(知識もないので、物語の中で理論的に説明されていれば納得します)。だけれど、銀座を襲ったゴジラはその後また海に戻ったらしいのですが、それはについては特に言及されません。まあ、それはいいとしていつで出てくるか全くわからないのです。仮の予測すらもしていません。ゴジラがいつ出てくるかわからないのに、敷島は作戦の一部になる戦闘機の整備を大戸島で出会った橘に任せようとします。どこにいるかわからない橘を探すところから始めるのです。物語の流れとしてはいいけれど、いつ襲ってくるかわからない怪物がいるのに、悠長に整備する人を探すのか、と思ってしまいました。物語の流れとしてはいいんですけどね。その流れを納得させるものが足りなかった。

作戦はぎりぎりのところで成功します。敷島はゴジラに特攻するわけですが、戦争の時とは違って脱出装置がありました。これには、戦争から戻ってきた人たちの意識の変化が描かれていて、良かったと思います。当時の人たちが実際にこのように変化していたかはわかりませんが。戦争に対する批判にもなっていると思います。

作戦を立て、ゴジラに向かう人々は勇ましく格好良いのですが、ヒロイックな感じがありますね。この物語でゴジラと戦うのは民間の組織で、個人個人が選んでいるとはいえ、「お国のために戦う」感があって、展開としてはこうするのが最善なのでしょうが、少しのれない部分もあります。
国の組織から言われて、仕方なく、だけれど誰かがやらなければいけない、という展開の方がのれたかもしれないですね。
作中で作戦から離れる人を批判する場面はないですが、戦う人の方が尊いような感じがどうしてもしてしまいます。敷島は個人の戦いの側面が強いのでいいのですが、他の人たちが皆、個人的な感情を具体的に描写しないんですよね。もっと国のために戦う人がいてもいいですが、ただ暴れたい人、金のために戦う人、とかの描写があれば私の思いは変わったかもしれません。
といいつつ、やはりゴジラとの戦闘場面の流れ、最後の敷島の特攻までの描写はとても面白い。
ここでまたツッコミを、海底深いところにいるはずのゴジラ(その海の底に沈める作戦なので)がまるで歩いているようにしているのはなぜだろう。
最初はすぐに銀座に出てきたのに、今度は山の中を歩いている場面があるぞ、銀座に現れた時もここ歩いたのか? とも思いました。

最後は典子が生きていることがわかってハッピーエンド。この展開が気に食わない人もいるかもですが、感動的で良い展開だと思います(典子の生死が作中で不明だったので「生きていてほしいなと私は思いながらずっと見てました」)。お約束のように、ゴジラはまだ死んでないことを予感させて物語は終わります。

「シン・ゴジラ」に比べると物語が暗いですね。すごく悪くいうと辛気臭いというか。人間の物語にほとんどドラマ性がなかった(正確にいうと情緒的なドラマ性)ですよね「シン・ゴジラ」は。もちろん苦悩はあったでしょうが「シン・ゴジラ」は人間たちの苦悩は深く描かれていません。「シン・ゴジラ」はゴジラという災害に対して対処する組織の物語です。それに対して今作はゴジラという災害によって、心の傷を負ってしまった個人の物語です。同じ災害を扱っていても、描く対象(テーマ)が違うと物語はここまで印象が変わるものなのですね。

この作品のテーマはなんでしょう。個人が抱えている心の問題を解決していくまでの物語。戦争の中で命を軽く扱った人々の、戦後の心の変化。なのでしょうか? 後者に関しては「今描く物語なのか」とも思えます。逆に今考えるべきことなのかもしれません。今生きている現代に対して、戦争に走り出した時代との類似を制作者は考え、もう一度立ち止まって、「今」を考えることを促しているのかもしれません。
それにしては展開がヒロイック的すぎるなとも思いますが。
「災害の克服」というのもテーマですね。
戦争という未曾有の破壊が行われた東京が「さらに破壊されたら」という「if」を描きたい気持ちもあったのかもしれません。

「シン・ゴジラ」に続いて大作感がある作品でしたね。さすがに次はこの作り方は難しいのではなでしょうか? 人間ドラマを絡めてのゴジラはこの作品で描いてしまったし、組織のとしての物語は「シン・ゴジラ」で描いています。次回は完全なSFとして描くとか、ミステリーとして描くとかになるのかな(わたしは「シン・ゴジラ」に少しあったミステリー要素は好きです。今回の作品は「ゴジラ」という存在が何者なのか? という点には全然言及してなかっですね)。「ゴジラとは」という視点で哲学的にも描けるかな。あとは本当にただバタバタしているパニック映画として。戦いを基調にしたVSシリーズも(アクション重視だとハリウッドと同じになっちゃうかな)。

ゴジラに壊される銀座の街は全てCGで作ったのだろうか? 街の場面を見ているだけで感動がありますね。とにかく映像は見ていて感動する。

最初の飛行機の場面の画面の流れに違和感を少し感じました。人間目線で撮られたゴジラは迫力がありました。台詞が説明的に感じる部分がありましたね。機雷の仕事で最初に船に乗った時とか。

125分という時間で、ゴジラというあり得ない存在をじっくり描くことは難しいと思います。なので多少はツッコミどころもでできますが。それを考えてもすごく楽しんでみました! 何度も涙を流したし、面白かったです!
MX4Dで見たわけですが、通常で見るより面白かったのだろうか? メガネのわたしには、顔に水をかけられると辛い……。今度見にいく時はコンタクトレンズで行こう。

橋爪功さんいたよね?

いわゆる「考察」について、私はけっこうどうでもいいと思ってしまいます(もちろんわたしなりに考えたりはするけれど)。といっても「考察」しているのを聞いているのは楽しいです。
典子が生きていたことについて、私は「生きていたらいいな」と思っていたので、最後生きていたのを見て「ああ、良かった」と思っていました。そして、典子の「あざ」か最後映された時「何だこのあざ」と思っただけで終わってしまった。他の人の感想をなど見ると「被爆」想起させるものらしい。全然、気づかなかった。写真などで被曝している人を見てはいるので、本当に被曝したら作中の典子のように美しくはいられないだろう、と思い、その差からわからなかったのだと思う。そこまでは「そういう考え方もあるな」と思う程度である(直接作中で説明されてないからね)。そこから飛躍して「ゴジラ細胞が付着して典子は再生した」となると「面白い」と思うけれど、わりとどうでもいい。あの惨劇から生きていた理由づけがあるのは良いと思うけれど、続編があるならまだしも、単発作品なんだから「ラッキーで生きていた」でいいと思ってしまう。

下記の動画で敷島と典子が男女の中にならないのは、敷島にその能力がないから(戦争のトラウマで一時的にかな?)という話をしているのだが、そんな説明は作中にないけれど、「そうかもしれないな」と思った。

作中で説明ないことを考えるということにおいて、典子が生きていた理由より、敷島と典子が男女の中にならなかった理由についての考えの方が、わたしにとっては大切らしい。作中で説明されていないことを、視聴者の経験や知識から考えることにおいて、私がどの辺に重点置いているのかを考える例となりそうだったので、書き残しました。


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