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泣き言を言いながら走る。

去年とおなじように
今日の気持ちを忘れないように書き残す。

今日はマラソン大会に参加した。
去年とは規模も走る距離もぜんぜん違う、まったく別の大会。

去年走ったとき、走ることと自問自答ガールズは似ているな と思ったのは自分的にはブレイクスルーポイントだった。
改めて読み返すと書き残してはいないんだけど、このときに感じた気持ちは人と比べない。できていないだめな自分を受け入れる。だった。まわりの人は関係なくて、どんなタイムでも自分を認めてあげることから始まるように感じていた。
実際、ここから今日までの1年、あまり自分を責めたり卑下したりすることなく、自分を受け入れられたように思う。衝動買いをする私も、手帳がいらない私も、3年日記が続かない私も、それでもいいんだよ、と思っていた。

そんななか、2か月くらい前に今日の大会に出ることを決めた。明確な目標があった。(このあたりに関してはあまり詳細に書くの嫌なので明日の夜にでもスペースしようかなーと思ってる)だけど、私の仕事はつまっていて、泊まりがけの仕事がめちゃくちゃあった。泊まりでも走ろうかとも考えたけど、荷物が重くなるのが嫌だし、実際走るかわかんないから走る荷物は持って行かなかった。たぶん走らなかったと思うので、私の行動は正解だったと思う。土日も遊ぶ予定を詰めていたので、走ることに割いた時間はそんなにたくさんはなかった。まあ仕方ないよね、という気持ちで今日を迎えた。

走りはじめて数キロで、目標に到達するのは到底むりだとわかった。(始まる前からわかっていた)練習ぜんぜんできなかったしな、参加してるだけえらいよ、やっぱり練習の計画とか立てるの苦手だもんね、と頭の中で声が聞こえる。今までと同じできない自分を受け入れる声だった。

走る。
調子がよい。
目標には届かなくても、自己新は確実だった。

いや、ちょっと待って。私、ちゃんと限られた時間の中で練習できてたんじゃない?これだけ速いんだから、練習計画正しかったんじゃない?目標が高すぎただけで、このペースは今まででいちばん速いじゃん!むしろ、この練習量でここまで持ってこれたんだから天才じゃない?

自分をできたと認めてあげる声が聞こえた。なんとなく、ひとつ成長したような気がした。だめな自分を受け入れるのではなく、自分はだめじゃないのかも?と初めて思えた。

できたか、できてないか、結果だけを見ていた。そもそも目標だって、自分自身を見ないで決めていた。それでできたか、できていないか、決めるなんておかしな話だ。いつも私は私の理解者じゃなかった。だけど、少しずつ和解できている気がする。自分の感情の動きがおもしろくて、ひとつずつちゃんと残しておきたいと思ってnoteを書いている。

いつも渋々走っている。笑
たくさん愚痴をつぶやいている。笑
だけど、砂の中から金を探すように、たまにきらきらしたものを見つけられる。

だから、たぶん、走ることをやめない。

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