【麻雀】数理研究に対する評価について

ツイッターで数理研究に対する意見を見かけ、その中で無責任にデータの価値を低く見積もられていたのでそれに対する僕の考えをツイートしたが、一応noteにもまとめておく。


僕はデータによって最も成績を上げたプレイヤーの一人(天鳳五段レベル→ピン東純黒)だと思っているので口挟むんだけど、統計学の麻雀戦術のあとがきにもあるようにみーにんさんはデータと戦術に絶対的な紐付けはしておらず細かい部分や感覚的な齟齬があればある程度自分で再計算できるようになってる。

麻雀の成績を上げるためには同一または似た要素を含む局面における知見や思考を積み重ねていくことが必要で、その知見の部分が結果論的な経験の蓄積ではなく客観的なデータになることで的外れなものになるリスクが激減する。

一次的な知見の精度がある程度保証されることでその先の精査もしやすくなる。
「データ的にリーチ」というような次元で止まってしまうのはプレイヤーの質の問題であり、現環境で最上位層に食い込めるくらいのデータは既に提供されていると思っている。
少なくともその恩恵を受けた人間が一人はいる。

データを使った戦術然りシミュレーション然り、研究者の方は絶対的な正解としてその結果を落としているわけではないし、それを受け取る僕らもそこに盲目になってはいけない。
あくまで前提条件を仮定した上で計算された結果であることを過不足なく理解する必要がある。

そこを理解しているプレイヤーがあまりにも少ないので研究者の方のやる気を削ぐような的外れな論が蔓延った結果、麻雀研究が失速しているのが今の麻雀界の問題だと思っている。


ツイートは以上。

個人の意見に過ぎないが、このように考えていて実際に成績を上げたプレイヤーがいるということを知っておいて欲しい。

以下補足。

データに基づいた戦術とは何か、データの価値とは。

データ麻雀というと平均的な想定で細かい要素に目を瞑った選択をするイメージを持つ人が少なくない。これは研究者がデータを発信するときにライト層や中級者向けに分かりやすく戦術化していることに起因しているのではないかと思っている。

僕は添えられた戦術に関しては読み流すことが多いのでそこに引っかかることはあまりないのだが、上級者の中にはそれは違うと改めて発信する人もいる。

その発信は単なる理解不足によるものだけでなく、曲解されないようにと注意喚起を目的とした補足的なものの場合もあるが、前者は言わずもがな、後者に関してもデータ麻雀への誤解を招いてしまっているのではないかと感じることがある。

統計データもシミュレーションも万能ではないというのはそれを活用しているプレイヤーにとっては常識なのだが、データ重視の麻雀は盲目的だという勝手なイメージを持たれ易い。

その勝手なイメージでデータは役に立たないとする人が麻雀界には多すぎると思っていて、実際ツイッターでデータ麻雀云々の話題が上がるたびに酷い内容の発言を見かける。

前述したが、統計データにしろシミュレーションにしろ前提条件を仮定した上で計算された結果であることをまず理解した上でそれをどう活かすのかがデータ麻雀の真骨頂であり、データの価値とは土台としての価値だ。

優れた感覚や経験則といった土台を持つプレイヤーに凡夫が勝つためにはデータは必須級の武器だと考えている。

その上で、前提条件に組み込まれていない、組み込めない要素は論理的考察を加味して結論を出せば良いし、そこの精度はデータの価値とは関係がない。

そのステップを考慮せず、統計データやシミュレーションの結果が実際的でなく役に立たないとするのはあまりに不当で無責任だ。

これからデータを活用した勉強をしようと考えてる人は、データを盲目的に信仰せず思考の組み立ての一助にする意識を持って取り組んでみてほしい。


色々書いたが、天才にデータは必要ないと思うのでそういった人がデータは役に立たないと発言するのはなんか厨二心を擽られる展開でアリだなって。笑

まぁそんな天才はいないと思ってるけどね。

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