見出し画像

弱くなるMリーガー、麻雀プロ

 麻雀の上達に必要なものは何か。勉強、研究、努力、いろいろ挙がりそうですが、環境というのも間違いなくその一つに入ると思います。

今回は麻雀プロやMリーガーのコミニュティ、環境が個人、全体の雀力向上へ及ぼす影響について自分の考えを書いていこうと思います。

◉ムラ社会化した麻雀プロ

 2018年7月にMリーグが発足し今年4シーズン目を迎えたが、Mリーグを視聴している中でもコアな麻雀ファンなら同じ疑問を持っている人も少なくないだろう。

あれ?このプロ弱くなってない...?

これまでは偶々露呈しなかった苦手な部分が出てしまったとも考えられる。もしかしたら万に一つの見落としがあっただけかもしれないし、体調が悪かっただけかもしれない。

しかし、本当にそれだけだろうか。

麻雀プロになって弱くなる人は少なくない。プロになった知人から勉強会の内容や進行に疑問を持ったという話も聞く。麻雀プロというコミニュティの中で一体何が起こっているのか、そこにある根本的な問題について考えてみよう。

知人から聞いた勉強会の疑問点はこうだ。例えばとある局面について意見を出し合っている場面で、意見は沢山出るのだがそれらに対し否定的な意見、反論を出す人がいないと。さらに積極的に結論を出そうとする人もいない。

全ての勉強会がそうではないだろうが、そこには麻雀プロ全体が抱える問題が如実に現れているように思う。

麻雀プロは競技者であること以前にコミニュティの一員として和を乱さないことを求められる。麻雀は老若男女が分け隔てなく楽しめるゲームであり、麻雀プロもまた多様性に富んでいる。年齢、性別、職業がバラバラのコミニュティにおいて和を乱さないというのは大切だろう。しかし、これは行き過ぎると競技者としての成長を妨げることになる。今の麻雀プロコミニュティは過度に保守的であり、その考えが麻雀の技術面にも侵食しているのではないか。

麻雀に限った話ではないが、技術を高めるためにはその過程で批判的な思考がどうしても必要になる。これは個人でも集団でも同じことだ。各々が批判的思考を持てていれば集団での勉強会において批判的な意見を出さなくても良いかもしれないが、やはり勉強会としての意義は薄くなる。

そして協調性が高く素直な人ほどこの"批判のない勉強会"が毒になる。プロになって弱くなる人の多くはそういうタイプの人間だ。彼らは勉強会によって多くの知識を身につけるが、それらを比較する術を持たない。さらに言うと、そこで得られる知識の質にも問題がある。批判的な意見を出さずに多くの意見を出すとなると、重箱の隅をつついて意見を出すことになる。そうやって出された意見は玉石混合で「理屈では確かに正しいが打牌へ与える影響は小さいもの」が必然的に多くなる。これでは余程の審美眼を持ち合わせていないと雀力向上に繋がらない。

積極的に結論を出そうとしないというのも批判しない風潮が原因だ。出された意見を精査し結論を出すというのはその過程で幾つかの意見を否定することになる。それをしまいとして生まれるのが消極的に出された結論だ。

〇〇を重視すればA切り、△△を重視すればB切りですね。

というように全ての意見を否定しない、一応のまとめを結論としてしまう。勉強会の本来の目的は参加者の技術向上にあるはずだ。本質的なメリットよりもコミニュティの和を重んじ、個人の面目を保つことに注力するという構図はムラ社会そのものだ。

◉ムラ社会化の弊害

 ムラ社会は悪なのか。これは非常に難しい。そこには秩序があり、それ故に保たれるものもあるからだ。しかし、ここでは敢えて悪と言わせて欲しい。なぜなら彼らは"プロ"という肩書きを背負った競技者だからだ。

秩序を重んじ批判を許さない、和を乱す者は村八分。これはプロの競技者集団として0点だ。この思想が大きく影響してしまったであろう麻雀界の出来事に「堀内正人失格事件」がある。

日本プロ麻雀連盟(以下、連盟)のタイトル戦で起きた事件で、詳細については下の記事で丁寧にまとめられているので気になる方は読んでみて欲しい。

この事件の根底にあったのは堀内元プロの鳴き麻雀に対する連盟上層部の負の感情だろう。こんなのは連盟の麻雀ではない、こんな汚い麻雀を打つ人間に何度もタイトルを取らせてはいけないと、つまりはそういうことだ。

この頃のプロ団体、中でも連盟は極端にムラ社会化していた。「村」の掟や価値観・しきたりが絶対であり、多様性や少数派の存在自体を認めない。鳴き麻雀で活躍する堀内正人という出る杭は当然打たれるわけだ。

そしてこの事件こそがムラ社会化の弊害であると言っても過言ではないほど後の麻雀プロ全体の技術向上に影響を与えたように思う。堀内元プロ自身がプロの公式対局やフリー雀荘で高い水準の成績を残すトッププレイヤーであると同時に、所謂デジタル麻雀の筆頭プレイヤーだったからだ。

https://www.amazon.co.jp/神速の麻雀-堀内システム51-堀内-正人/dp/4800305799#

連盟退会後間もなく出版された著書「神速の麻雀」では多くの統計データを引用しつつ手順などについて語っている。

この一連の流れによって麻雀を数理的に研究している研究者たちをプロ団体が上手く取り込めなくなる。汚い麻雀として連盟を追い出された形となった堀内元プロが統計データを根拠に手順を解説しているのだから麻雀プロとしてそれに追従するようなことはなんとなくしにくい。麻雀プロ団体の中で連盟の力が強いというのも一因だったろう。

こうして作られた「批判しない、数理的アプローチを用いない」という文化は未だに麻雀プロの中に存在している。

◉弱くなるMリーガー

 1人のトッププレイヤーを失い、研究者との繋がりも薄くなったプロ団体だが、批判があまりにも多かったためかその後は天鳳位を特例で入会させるなどインターネットの麻雀コミュニティにも目を向けた施策をとった。

さらにMリーグの発足で良い方向へ進んでいるのは確かだろう。個の影響力が強くなったと同時に所謂デジタル系の麻雀プロがライト層からも高い支持を得たため、Mリーガーの発信の中にも統計データやAI分析などが用いられるようになった。

しかし一方でMリーガーの中でもムラ社会が形成されているように感じる。本来は個人競技である麻雀をチームで戦うMリーガーはやはり和を重んじ批判を許さない文化を受け継いでしまったのではないか。これはチームで戦う以上、ある程度は仕方のないことだ。しかし一見互いにリスペクトのある関係は、その実、互いの麻雀へのリスペクトがないが故に過剰な気遣いが生まれた結果にも見える。

今年で4年目となるMリーグで初期からのメンバーはどう変わったのか。タレントとしての面は全体的に洗練されたように思うが、麻雀の技術向上が見られる選手は少ない。それどころか不可思議な打牌が増え、弱くなっているのではないかと思われる選手までいる。

何人かのMリーガーは多少の数理的アプローチを取り入れているが、数理的アプローチというのは常に否定や批判を内包するものだ。麻雀プロの多用する論理的アプローチでは曖昧な線引きで白黒付けない結論も出せたが、数理的アプローチでは明確な線引きで白黒付けることが主目的となる。そのため各チーム内での雀力格差が大きい現状では、チームとして数理的アプローチを多用することは余計な不和を生むことになりかねないだろう。

論理的アプローチばかりに頼る弊害は前述した通りで、勉強しているはずなのに弱くなるケースが少なくないことだ。これはMリーグのような大きな舞台では尚更だろう。多くの人に見られるということはミスをすれば必ず叩く人が現れるということだ。それどころかミスでない打牌に関しても未熟な知識で叩く人はいるだろう。そんな環境では求められる能力が雀力ではなく説明能力になってしまう。その結果として、それまで感覚的に正解できていた選択でさえ「説明できなければならない」というプレッシャーによってミスが出やすくなるのだ。

この様なミスを生むメカニズムは麻雀プレイヤーにとって身近なものだ。勉強したのに実戦で考えをまとめきれず上手く活かせないという悩みは誰にだって経験があるものだと思う。こういったミスを生む本質的な原因は一つだと考えている。それは感覚的な処理を減らしたことだ。

処理するべき情報量が多い上に不完全情報ゲームである麻雀において感覚というのはとても大切だ。

考えるな、感じろ。

これは雀鬼の名で広く知られる桜井章一が麻雀に取り入れたブルース・リーの言葉だが、上達の本質を突いているように思う。実戦でアレコレ考えていては二流、感覚に落とし込めるようになってやっと一流ということだ。

ここでMリーガーの置かれた環境について振り返ってみて欲しい。彼らの立場で前期までで思うような成績が出せなかったとき、感覚を鍛えるという手段を選べるか。これはなかなか難しいだろう。

いや〜、なんとなく〇〇切りが良さそうに感じたんですよね。

などと言ってファンが納得するのは成績を残している選手だけだ。

しかしよく考えてみて欲しい。Mリーガーはまだ多くても100戦程度しか打っていないのだ。この短期でもしっかり成績を残している選手は流石と讃えられるべきだろうが、逆はどうだろうか。ある程度の経験を積んだ麻雀プレイヤーはこんな短期なら不運によってとんでもない下振れを引くことがあると理解できるはずだ。

つまり下振れによる成績不振で感覚的な処理を許されない立場に立たされ、本来の実力を発揮出来なくなっているのではないかということだ。

Mリーグはスポンサーがついていることもあり興行メインである一方、今の環境は技術向上を目指す選手にとって酷なものに感じる。これは麻雀プロ全体にも通じるものであり、競技者として技術向上を目指す土台作りが必要であると考えている。

プロとして多くの人の目に晒される中で麻雀を打ち、競技者としてより高い技術を求めるのなら客観的かつ公正な評価が必要不可欠だ。近年登場した麻雀AI"NAGA"が牌譜検討サービスを開始したことで注目を集めているが、このようなハイレベルな麻雀AIの登場で今後どう変わっていくのだろうか。

◉AIを上手く取り入れられるか

 麻雀プロはチェス、囲碁、将棋などと同様に客観的かつ公正な評価をAIに委ねる方向へ舵を切るのだろうか。

これは今のままでは難しいだろう。根本的な価値観が違うのだ。麻雀プロはこれまで120点の打牌を魅せようとしてきたが、AIによる評価は常に100点満点からの減点法だ。伝わりづらいかもしれないがこの違いは非常に大きい。AIによる評価を取り入れるためには麻雀プロがファンと共有してきた価値基準を根底から壊していかなければならないのだ。

Mリーグ、麻雀と同じくAbemaでフィーチャーしている将棋はAI評価値を番組の進行に取り入れ、それを参考にしながらプロ棋士の先生が解説している。将棋界ではAI評価は絶対的なものになったと言えるだろう。そしてその結果としてAI評価をもとに対局者が弱い、下手だと批判するアマチュアが増えたのも事実だ。羽生マジックなどと言われた120点の指し手は存在しなくなり、100点が普通、評価値を損ねたら下手という価値観がなんとなく広まってしまった。相手の研究を外すなどの人間的な戦略について解説の先生が言及するなどそういった風潮を助長しない気遣いが随所に見られるが、それでも本来あったはずの120点の指し手をファンが期待することは無くなったように思う。

麻雀もAI評価を大々的に取り入れれば少なからず同じ道を辿るだろう。120点の打牌という夢は見られなくなるのだ。しかし、将棋と比べて麻雀というゲームは対人要素が大きいのも事実だ。Mリーグのようにある程度メンツが固定されている場なら尚更だろう。そこに麻雀というゲームならではの活路があるのではないか。

ムラ社会化した麻雀プロが論理的アプローチばかりに注力してきたことを前半では批判的に書いたが、これは裏を返せばAI評価に組み込まれない要素を拾う技術に長けているとも言えるだろう。あとは批判を許さない文化を壊し、積極的に白黒つけて結論を出すようになればAI評価に押し潰されない土台を築けるのかもしれない。

◉あとがき

 上から目線で色々と書いてしまいましたが、アマチュアトップ層の1人から見た麻雀プロ、業界、Mリーグについての率直な考えです。

改めて強調したいことは「批判を許さない文化はプロとして0点!」ということです。

トッププロの読みなどは突出していると思います。これは論理的アプローチを突き詰めた結果でしょう。しかし、その技術を適切に使いこなせていないようにも見えます。思考は深いが精査されていない技術だと感じてしまうんですね。こういった深い部分の技術まで精査された麻雀は今後出てくるであろう最強AIをも凌ぎうるかもしれません。

麻雀AIによる分析は間違いなく普及していくでしょうし、否応なくMリーグなどの大きな舞台にも取り入れることになると思います。その時に、夢を見せられなくなっても先を見せてくれる存在であって欲しいなと漠然と期待してしまうんですね。

麻雀を勉強する個人的な理由として「先を見たい」というのはとても大きいです。勉強をすれば自分にとっての当たり前は増えていきます。すると不思議と同じ局面でも見え方が変わってくるんです。この感覚が好きで先に先にと進んでいる、進んでいきたいと思うんですね。しかしどれだけ勉強しても麻雀というゲームには先があるとも感じます。これは最強AIなんかが出たとしても同じだと思ってます。やはり最後は対人要素まで突き詰めていくべきゲームだと思いますし、そこに終わりはないのかなと。だからこそ、麻雀でプロという看板を掲げるのであればAIに敵わない時代が来ようとも最先端の研究を踏まえた景色を語れる存在であって欲しいと思ってます。

というわけで全体的にお気持ち表明的な文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。過度に批判的にならないように気をつけたつもりですが、気分を害された方がいたらすみません。

普段noteでは戦術系の記事を気まぐれで書いてるので興味ある方は読んでみて下さい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?