【麻雀】実力評価と麻雀観の話

この露骨な炎上狙い記事が物議を醸しているので、ちょっと乗っかって実力評価とは何かという話を軸に麻雀観について書いていく。

麻雀界で繰り返される不毛な議論の8%くらいに終止符を。

あんまり関係ないけど、記事の会話って黒木さんが途中で木原さんとの相対評価の話にすり替えてるように感じたのは僕だけ......?笑

先日、渋川さんが雀力スカウターという記事を書いていたが、人の麻雀を見てその人がどの程度の実力か判断するのは結構難しいことなので第三者の雀力をどうこう議論すると得てして見解は割れやすい。

よく言われるのは「自分と近い雀風を評価しがち」みたいな話。

麻雀に正解があるかなんていう頭の悪い話を改めてするつもりはないが、麻雀の評価は常に減点法であり、雀力とは最善打に対してどれだけ期待値を失っているかなので、「自分と遠い打ち方=自分が最善でないと考えていて選ばない打牌が多い」と考えればある程度正しい論かなと思う。

ただし、ここで重要なのは雀力100点満点のプレイヤーは存在しないということ。

例えば平均収支を絶対の評価軸として、最善打を打ち続けた場合と比べたときに±0に収束していくのが雀力100点満点のプレイヤーである。(この場合は収束するというより完全一致っぽいけど。)

少し考えればそんな雀力100点満点のプレイヤーが存在しないことくらいわかるし、もっと言うと損失期待値F≦1に抑えられるプレイヤーもいないだろう。

本当に麻雀が強い人の基準はオーソドックスな東南戦ウマ1-3のルールでF≦3くらいだと思っていて、現代の麻雀とは如何にしてその程度の期待値損失で抑えるかのゲームだと考えている。偉そうに書いたが3ptはあんまり自信ないので以降はNとする。

F=0の場合、打ち方はほぼ1パターンであるが、F≦Nとなる打ち方はそれなりに多くのパターンがあることは強い人たちの麻雀を見ればわかるだろう。

逆に言うとそれくらい幅が生まれる程度にはみんなミスっているということ。

最善打がどれでどの打牌がいくらマイナスでという厳密な話ではなく、現状の麻雀界で最も成績を残しているプレイヤー層の打ち方にばらつきがあることからNは十分に0から遠い数値であると推定できるのではないか。

ついでにスタイルについても言及すると、思考のパターン化や似た局面を増やすことでのミス率の低下が期待できるのでF≦Nの基準を満たすには結構有効な手段だと思っている。

スタイルを持つというのは自分の得意な局面になりやすい打ち方をして、その際に派生しやすい局面パターンにも慣れることでさらに得意な局面を増やすということ。

思考のパターン化の精度が低いと何の意味もないが、考え方自体はとても実戦的で勝ちやすいものだと思う。

F=0を目指してスタイルを否定する人も少なくないが、現実的に勝てる麻雀を打つ上ではデメリットの方が大きい思考のように感じる。

ここまでの内容を踏まえて冒頭の記事の話を考えてみよう。

萩原聖人は強いのか

......。

......。

......弱いでしょ。

少なくともMリーグでは。

ハギー信者の方も読んでくれてるかもしれないので一応言っておくと、弱いと評価することは決してバカにしてるわけではないというのを理解してほしい。

実力評価はあくまでも打牌の損失期待値がどれくらいに見えるかの話。

因みに僕はMリーグでのハギーはF=N+5くらいかもうちょっと下に見える。メンツ強度考慮して平均収支-4くらいに収束していくかと。まぁ収束するほど打たないから残念ながら答え合わせはできないけど......

ハギーは簡単な手順ミスが多いし、押し引きの精度も低い。元々ルール慣れしてなさそうな打ち筋だし、当初と打ち方を変えたからか変なミスも多い気がする。木原さんの「練習する時間ないでしょ」とか「打ってあれですか」という発言はこの辺の指摘だと思う。

冒頭にも少し触れたけど、木原さんのこの雀力スカウターの話に黒木さんが突っかかってるだけに見えるから木原さんが叩かれるのおかしくない!?って思ってしまった。

不毛な議論はやめてなるべく冷静に検討、検証していこう。

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