私の可能性を限定させているのは、私の心の偏見であり、世界を決め付けて見ている自分の目や心の在り方に理由がある
前回、被災地で課題を解決するということは、新たな仕事を創り出すことにつながると考えられていることを紹介しました。
これまでは実現不可能だと思われていたような事業をどうやって成り立たせるか、現地の人はよく考えて実践されています。
たとえば、現地の鹿の角を使って美しいアクセサリーをつくるという事業を始めた人がいます。
製品のデザインやブランディングなどに関しては、活動に共感した外部のプロと協働し、素敵な製品を生みだしています。
また、ある商社出身の方は、漁業組合をつくり、漁師の活動をWEB等で発信して域外のファンと生産者の交流の機会をつくり、直接消費者へ流通販売を始めています。
さらに、生産活動に消費者を巻き込むことで、教育事業も展望しています。
これまでの私は、地方は東京に比べて資源もないし、人材の層も厚くないし、市場もない、という固定観念で思考停止しがちでした。
しかし、東北での活動を拝見していると、そういったデメリットを発想と工夫で飛び越えていく人たちの姿に出会えます。
これまで価値がないと思われていたものがコインを裏返すかのように急に強みに変わるのを見ていると、何がデメリットなのかわからなくなります。
鹿の角は震災以前もそこにずっとあったのですが、これまでは見過ごされてきました。
彼らが私と違うのは何なのかということをよく考えるようになりました。
少し話が飛ぶのですが、1年ほど前に、マザーハウスという会社の副社長のお話をお伺いする機会がありました。
マザーハウスは「発展途上国から世界に通用するブランドをつくる」
という経営理念を持ち、
途上国の特色のある素材を使用したバッグづくりをしています。
その副社長も、マザーハウスを創業された時のエピソードとして、
「なぜビジネスのインフラが整っていないバングラで事業を始めるのか」と多くの人に反対されたことをお話されていました。
それに答えて、副社長の山崎さんは「途上国の人の可能性を信じている」
とおっしゃっていました。これは大変印象的な言葉でした。
こうしたスタンスでバングラにある素材を見つめたからこそ、競争力を与えることができたのだと思います。
こうして考えると、私の可能性を限定させているのは、私の心の偏見であり、世界を決め付けて見ている自分の目や心の在り方に理由があるということです。
私が出会った、価値あるものを生みだす人は、自分を大きく見せようとしたり、何が正しい、正しくないかと決め付けたりされない方が多いように思います。
純粋な目で、本質をまっすぐ見るために、見栄や他人からの評価といった意識と上手に付き合い、時に手放せるとよいと思います。
自分のものさしを外してみてもいいかもとか、ただ、その人やものをそのまま見ることができるかどうかということが自分に問われていると思っています。
また来月もよろしくお願いいたします!
VOL27 2012/8/29 sakaguchi yuto
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