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目の前でまかり通っているルールや評価基準を相対化してみる


世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのかという本を読んでいます。
著者は、人事系のコンサルティングファームとして有名なコーンフェリー・ヘイグループで長くコンサルタントをしている方です。

著書では、たとえばDeNAのウェルク問題、ライブドアの問題のような法律的には合法であったとしても、倫理的には間違っていたと言えるような選択をなぜ企業がしてしまうのか。

あるいは、三菱自動車のリコール隠し(これはなんと20年発覚せずに続いていた)といったことがなぜ起きるのかということについて、企業が過度に美意識を失った意思決定をしていることに原因があると主張しています。

著者は、日本人のメンタリティについて書かれたベネディクトの「菊と刀」
の考察を引用して、日本(日本人)は、各人が自分の行動に対する世間の目を気にしていることに注目しています。

これは日頃私が組織にいると、確かに実感する主張です。

対してキリスト教の文化では、そういった「世間がどう思うか」という基準ではなく、自分の内面にある良心にしたがって意思決定をする文化があると述べています。

日本の組織では、最高意思決定者でない限り、自由に思ったことを発言している人を見ることは稀です。

上司や同僚の求めている発言や行動を推測し、その場で求められる答えは何かという意識で自らの判断をしている人がたくさんいます。

ただ、著書でも書いてあるのですが、このようなある会社の常識が他の会社に行くとまったく別の常識や評価軸になっているということはよくあります。

私自身が何度か転職をしましたので、それはよく実感します。

いつも転職は過去の自分の否定と相対化の繰り返しでした。
これは外国に旅行に行くと日本のことにいろいろ気づくということと
似ているところがある気がします。

そうして自分のいるところの文化やそこで働いている組織の力学を相対化して、俯瞰してみるということはとても大事なことのように思います。
そこに疑問を持たなくなると、組織にとっての正解を出すことばかりが得意な人間になってしまいかねません。

しかしながら、この問題の重要なところは、外からは何とでもいえるが、
中にいる状態では、それに気づいてもなかなかその組織で支配的なルールから逸脱する行動をとるということは難しいということです。

組織に評価されないというのはイコール会社からの追放につながります。
成果を出せない人という評価を受けて、窓際に追いやられたり、同僚から軽蔑されたり早期退職を勧奨されるということにもつながるというのであれば、そうしたリスクは社員がよっぽどのことがないと侵すはずはありません。

冒頭のDeNAや三菱自動車のような重大なコンプライアンス違反ではなくても、このような圧力は、多かれ少なかれ、どの組織にもあるのではないでしょうか。

では、どうしたらよいかということに対して著者は2つの解を提示しています。

1つは、労働の流動性を上げるということです。

つまり、人の新陳代謝を増やして、いろんな人の価値観が入るようにするということです。

これは、会社に置き換えれば、部署移動を活発にしたり、異質な意見を否定しない価値観を組織に入れていくということになるでしょうか。

もう一つが美意識を持つということ

これがこの本の一番の主張です。
経営方針に真善美を大事にしている会社はありますね。
人間性を磨き、人の道を追求しながら組織を運営していくこと。
言葉にすると抽象的でなかなか実際の方向性が見えにくい言葉でもあります。

その点について著者は「目の前でまかり通っているルールや評価基準を相対化できる知性を持つ」ということと言っています。

無批判に組織の正解に合わせて働くのではなく、真善美を鍛え、自らの知性で判断し、行動していくことを問うており、厳しい言葉だとも感じられます。

個人としてわかる話ですが、組織に当てはめるとなかなかに難しいことです。コンサルでは何がイシューかということで話すように言われますが、本当の意味でその意見が今議論されている問題の解決にとって、いいアイデアかどうかということが、立場やキャリアに関係なく検討されるとよいなと思います。

これが組織を健全に保つコツの一つだといつも思います。

また来月もよろしくお願いいたします。

2018/1/31 VOL91                                                                                             sakaguchi yuto

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