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すべてのクラスメイトが個性的である。恩師が私たちにしてくれたこと


先週3連休は熊本に帰省して同窓会に参加してきました。

小学校5,6年次のクラス会で、早いもので卒業して25年が経ちます。連絡先が不明の人も多かったのですが、幹事さんを中心にSNS等も使い、最終的に20名近くが集まりました。卒業以来のなつかしい顔にたくさん会えてとても楽しい会となりました。


大学を卒業するときまで私はずっと教師になる道も捨てきれずにいました。結局、一般企業へ行くことに決めたのですが、そもそも教師を考えたのは、今回の同窓会のクラス、担任の先生の影響が大きかったのではないかと思います。

先生は、授業の時間をつぶしては、百人一首カルタ大会や毎月異なるスポーツ大会をやったり、夏・春などの長期の休みには、泊りのキャンプや遊園地、縄跳びの大会に出たり、、、と本当に多くの企画をどこからか見つけては、生徒と一緒になって遊んでくれました。

今回の同窓会で先生から聞いた裏話として、当時生徒たちを泊りでキャンプに連れていくのは前例がなく、他のクラスとの公平性も問題となったため、最初は学校からの許可が出ない状況だったそうです。

そこで先生は事前にキャンプ場に下見に行き、親御さんたちに協力を仰ぎ、企画書を作成して校長先生にお願いし、やっと実現までこぎつけたということでした。

先生は当時28歳、29歳くらいでしたが、先生の情熱とリーダーシップに頭が下がります。

このクラスで集まって思うのは、皆がとても個性的だということです。

他の年次のクラス会などでは、どうしても一部の目立つ生徒とその他大勢の普通の生徒の印象しか残っていないこともありますが、

この時のクラスは一人ひとりどんな性格だったのか、どんなことがあったのかというエピソードを覚えています。

それは先生がいろんなイベントを通じて、どんな生徒にも光を当てる場をつくっていたからではないかと思います。

スポーツが得意な子はスポーツで、百人一首が得意な子はカルタの際に、自分の輝く場が持てる。

当時は、「たくさん遊んでくれて楽しい」くらいに思っていましたが、今思うと、先生はすべての生徒一人ひとりを本当によく見ていたと思います。

私たち生徒同士が先生のたくさんの働きかけによって、お互いのことを深く知り、それぞれが自分らしさを存分に出せていました。

このクラスは皆が自分の居場所があるクラスだったと思っています。

だからこそ、25年たった今も、多くの人が先生の下に気兼ねなく集まれる関係性になれたのだと思います。

改めて、若い時にこのような経験をさせてくれた先生とクラスのみんなに感謝の気持ちを持ちました。

その後、社会に出て同僚や取引先と関係性をつくっていく上で、この経験は他者と自己信頼の基盤になっているように思えるからです。

また来月もよろしくお願いします!

2017/3/29 VOL81                                                                                              sakaguchi yuto

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