メンヘラのひとりごと 282

すきぴと会えるまで、あと三日。今日は着ていく服をちょっと買った。あとスニーカーを新調した。妹とカラオケをした。

たのしかった。だけど、帰ってきたらものすごく疲れが出たせいか、希死念慮がとめどなく溢れて、わたしを飲み込んでしまった。

死にたい。けど死ねない。この人生はもう自分一人だけのものではなくて、家族、親戚、数少ない友達、色んな人たちのどこかを背負っている。 

従姉妹が亡くなってあと2年で10年が経つ。今年もまた冷たくなった彼女を見て、わたしの人生が変わったあの日がまたやってくる。あの日はまだ少しだけ寒かった。自分の少しだけ大きかった制服のこと。触れた冷たすぎる手、血の滲んでいた唇。人のすすり泣く声。斎場のあの匂い。

わたしはもう「柚月」とわたしを呼んだ従姉妹の声を思い出せなくなりつつある。従姉妹の名前には夏生まれにぴったりの「夏」の字がついていた。

わたしの名前は父が語感と字が好きだということで名付けられて、妹は父のように優しい子になるようにと父の名前が一字入っている。

わたしたち3人はたったの3日違いで生まれ、たくさん合同の誕生会もやったし、夏はうちで泊まって、プールで遊んで。

だから、これからも従兄弟は7人だと思っていた。
(※うちの従兄弟はわたしたち含め7人いる)
あの日までは。

あの日の夜、母が泣きながら言った。
「従姉妹ちゃんが、亡くなったって」
わたしは自覚がわかなかった。だけど、ただのしがないアイドルオタクだったわたしに"死"という概念が近づいた瞬間だった。

何度も書いている通り、従姉妹は飛び込み自殺した。理由はわからない。伯母いわくいじめられているようには思えなかったと。姉たちも異変には気づかなかったようだ。

従姉妹は親友の少女と死んだ。二人ともお腹に車輪が乗り、即死だったという。輪廻転生を信じ死んでいった彼女を、わたしは呆然と見送るしかできなかった。

後にわたしは何度も従姉妹のところに生きたいと泣くようになっても、従姉妹と同じように電車に飛び込もうとした時も、従姉妹のことを心から理解することはできなかった。

どうして死んだのだろう。頼れない情けない従姉妹で申し訳なかったと思う。死ぬ間際、彼女たちは何を思って死んだのだろう。

病んでるせいか、今急にそんなことを考えた。

泣きながらこれを書いてみる。

いなくなった従姉妹やビニちゃんのことを、わたしは忘れずに生きていきたい。誕生日や命日には思い出しているぐらいはしたい。

今いるところは暖かいですか、好きなものはたらふく食べれていますか、よく眠れていますか、好きなものを見て幸せですか、たまにこっちのことも心配していますか。  

わたしはあなたたちを喪って随分経つのにこうして思い出しては泣いているけど、そっちはたまにはわたしみたいなやつのことも思い出してくれていますか。

死にたくても死ねないところにきてしまった。

さっきも言った通り、もうわたしの人生はわたしだけのものではないから。わたしが死ねば、誰かしらが泣き、誰かしらが手続きを取り、誰かしらがわたしの死ひとつで人生が変わってしまうから。

死にたい時はたくさん泣く。そうして毒素をたくさん出す。そうしてやりくりする。大丈夫。

死にたくても朝は来て、死にたくても生きてはいけて、わたしは死にたくて、お世辞にも真っ直ぐとは言えなかった人生のレールを何とか運転して21年半も生きてきたじゃないか。

人生で一度死ぬ、の選択肢を得ると困難にぶつかった時、選択肢に「死ぬ?」という選択肢が出てくる。それを取る勇気がないからわたしは生きてきた。でも、取らなくてよかったとも思う。

だって死んでたら、すきぴにも、翔さんにも、あーにも、エリちゃんにも、ゆうたくんにも、他にもたくさんの推したちにも会えなくて、大切な家族に一生残る傷をつけてしまって、いいことなんかない。

だから死なない。死にたいけど、生きる。

泣きながら、死にたいと言いながら、這いながら、それでも絶対に生きていく。

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