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受付嬢京子の日常④

原田京子は、挨拶をしてくる猫のような顔の女を見て戸惑っていた。京子が働くのは、インフォメーション、つまり受付だ。派遣会社からは髪を暗く染めるように、とネイルやまつげエクステはしないようにと通達があった。派遣初日はインフォメーションではない場所で研修があった。リーダーだ。物腰は柔らかいが、言うことは全部言う、そんな斎藤友美の顔を思い出していた。

「それってなくないですかぁ」

猫顔の女の声がする。意識を取り戻すと、開店前のエキモのインフォメーションの前で、片岡聖奈がしなを作っていた。聖奈は1週間前に派遣されて来た。黙っているとクールな顔立ちで、細くインフォメーションの制服が似合っているな、と思った。月末にやめてしまう山﨑美奈子の代わりに2人の新人が入ってきたのだ。初日に京子が抱いた印象は、シフトで聖奈と一緒になる度に崩れていく。

クールと言う印象はあながち間違いではないのかもしれない。笑顔が仕事と言われているのに、仕事中、ほとんど笑わない。正確には、お客様と接する時だ、と京子は思い直す。何せ今、彼女はマネージャーの木嶋に向かって笑顔なのだから。人見知りなのかもしれない、と思ったが、そんなわけでもない。人によって態度を変える。自分に害がなければそれでいい。京子は開店5分前の放送を聞いて、服装を正した。

「おはようございます」

開店して30分たったエキモはまだ人がまばらだ。笑顔全開で京子に向かってくる女性がいる。先月からエキモの中のお店で働いている女性だ。エキモの中で働く人は、あまり挨拶をしてこない。お辞儀すらないことも多い。そのため、彼女は異質だ、と京子は思う。

「お疲れ様です。お客様から、落とし物を拾ったとお預かりしたのですが」

近づいてきた彼女が聖奈にも笑顔で挨拶をするが、無視をする。気まずいからやめて欲しい。京子は午後から来るリーダーに指導をお願いすることに決めた。

道案内でインフォーメーションから離れるのがこんなにも不安な日があるだろうか、と思いながら、京子は男性を総菜店舗まで案内をしていた。案内する前に京子が様子を伺うと、聖奈が目を合わせて微笑んだ。

「あなたなんなの!」

道案内から戻ってきた京子の目の前に、フェイクファーのバッグを持った女性がいる。20代後半ぐらいだろうか。京子は慌てて、戻る。聖奈は何も言わない。無言で無表情。あえて言うと少し機嫌が悪そうな顔をしている。

「失礼します。お客様、いかがなさいましたか」

「この人、失礼すぎるんですけど。道聞いたら、鼻で笑われたんですけど」

ミチヲキイテハナデワラウ

京子は何も想像できない。考えるのはどうやってこの場を収めるか、だけだ。

「大変申し訳ありません。どこか、お探しなのですね」

「そう、観覧車の所行きたくて」

「観覧車、でございますね。それでしたら…」

京子が働くエキモは駅直結施設だ。その駅を挟んで反対側に、スケルトンの観覧車がある。デパート宙(ソラ)が3年前に作り、話題になった。今では、若いカップルがデパートを通って、観覧車に乗る、デートスポットだ。フェイクファーのバッグを揺らしながら、歩いて行く女性を京子は見送った。京子が横目で様子を伺うと、聖奈を見ると、お辞儀もしていない。

「片岡さん、お辞儀」

衝突はしたくない。でも、ここでクレームが入ると、派遣会社に報告されるのだ。自分が一緒の時は1年早く入った自分が責められる、と京子は思う。実際にはわからない。今まで一番経験が浅い立場でエキモに立っていた。助けられることはあっても、助けたことはない。クレームを途中から引き受けるってこんな気持ちなんだ、と京子は木嶋の顔を思い出す。京子がクレームを受けている時、タイミングよく、木嶋が通ることが多いのだ。

不機嫌な顔のままお辞儀をする。この1週間で京子が感じたことの一つだ。何においても、聖奈はやる気がないのだ。注意をしようにも、しにくい。

「さっきのは…」

聞きづらいが、報告書を書く必要がある。

「言いがかりですよ。笑ってませんし。勝手に怒り始めて」

そのままは書けない、と京子は用紙を聖奈に渡す。

「初日にリーダーから説明があったと思うんだけど、この用紙はちっちゃなことでも書いておかなきゃいけないやつだから、日付と、時間…11時15分でいいかな。書いて、内容は…お客様に誤解されてしまい、不快な気持ちにさせてしまいました…とか」

内容を指導するほど、経験を積んでいない、と京子はまた戸惑う。12時を過ぎれば友美が来る、と京子は腕時計を見た。11時16分。

「すみません」

声をかけられて、京子は満面の笑顔で応えた。





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