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受付嬢京子の日常⑥

「次の休みにカラー行きます」

不満げに片岡聖奈が言う。エキモで働き始めて3カ月。派遣会社に登録してすぐ、時給がいい、作業が少ない、と紹介されたと話を続ける。聖奈の性格がわかってきた、と原田京子は思っていた。2人が働いているのは、インフォメーションだ。主な作業は道案内。作業が少なく、人が来ない時は、退屈なぐらいだ。

「時給だいじだよね」

話を合わせていると、聖奈はどんどんしゃべる。派遣されてきた当初、クールな顔立ちで大人っぽい、と京子は思っていた。人によって態度を変えるのがあからさまで、苦手だと感じたのは今でも変わらない。ただ、聖奈は浅はかのだと京子は思う。こういう女子とは軽く同調だけして、深く付き合わない、と京子は決めている。巻き込まれたくないからだ。

京子は派遣会社に登録してからいくつか仕事を経験した。アパレルの店への派遣が突然半分の日数に減らされたことがある。派遣会社の担当からは、ノルマを達成できないからだと言われた。京子は、嘘だとすぐに感じた。妙に抑揚のない口調が気になった。あの時の担当の声は今でも思い出す。本当は、社員同士の喧嘩に巻き込まれたからだと思っている。

エキモでのインフォメーションの仕事は1年を超えた。これからもこの制服は着ていたい。今回は絶対に巻き込まれない、と京子は思う。

「頭髪チェックってバカみたいですよね。学生でもないのに」

派遣会社の担当との面談の時に、頭髪チェックがあるのが面倒だ、と聖奈が言う。確かに派遣会社の面談は毎月ある。ただ、頭髪チェックが全員にあるわけではない。聖奈はもともと髪色が明るかったために、染めてもすぐに色が落ちてしまうのだ。チェックでもなければ、明るい髪色で出勤してしまう。エキモは髪色、化粧、ネイルなど見た目の規定が厳しい。派遣会社にクレームが行くのだ。担当者も気が気ではないだろう。京子はなぜ聖奈を派遣し続けるのか、と思うことがある。でも、最終的には自分には関係のない話だ、と彼女は結論づける。深く考える必要はない。

「片岡さん、これ持っていってもらえる?」

休憩を終え、更衣室で歯磨きを終えて戻る時、エキモの事務員の田中緑が声をかけて来た。パッツン前髪のマッシュルームカット。京子は一歩離れて様子を見る。緑の個性的な髪型は毎月のヘアカットで維持されている、と京子は思っている。いつも同じように見えて、たまにアシンメトリーな前髪になっていたり、こっそりインナーカラーが入っている。今月はまだ、変わっていない。

インフォメーションに京子達が戻ると、交代で早番の2人が2回目の休憩に行く。

「ちょっと聞いていいかしら」

ふんわりパーマの女性が京子に近づいてきた。

「前にここで買ったものが欲しくて来たんだけど、どこのお店かわからなくって。猫みたいな名前だったんだけど」

「猫みたいな名前の商品でございますね?それはどういった物でしょうか」

「どうって聞かれると説明が難しいんだけど」

女性は本当に困った顔をしている。

ジブリの映画に出て来そうな上品なお年寄りだなぁ。なんの映画だったっけ?京子は思いつつ、質問を続ける。

「食べ物でしょうか?」

「あ、そう!そうなの食べる物なのよ。前はパンと一緒に食べたのよ」

うんうんとジブリのおばあさんは自分で納得したように頷いている。だが、京子には圧倒的に情報が足りない。

「パンと一緒に食べられたのですね。それはおかずのような…」

「おかずじゃないの。ええっと…なんて言うのかしら…ほら…」

京子の質問でかぶせて話す女性は、あごに手をやる。何かを思い出そうとしている。こんな時は、矢継ぎ早に質問しないほうがいい。京子は口角に力を入れて、笑みを保つ。

「なんだったかしらね…」

アリエッティだ。京子は表情を崩さない。頭の中は、日本のアニメの巨匠が作った映画の一場面が流れている。確か出てくる男の子のおばあさんがこんな感じだった。前の彼氏と行った映画だ。

「名前が思い出せないわ…。パンに塗る物なの」

「パンに塗る物、ですね。それは甘い物でしたか?」

ジブリのおばあさんは頭を横に振る。と言うことは、パン屋ではなく、お惣菜系で、パンに載せる提案をしているお店の方だろうと、京子は施設案内を広げる。

「こちらのシャトではないでしょうか?」

施設案内には店舗と商品の写真が写っている。

「そう、ここよ。やっぱり猫みたいな名前だと思ったのよ。どこに行けばいいかしら?」

京子は案内しながら、なぜシャトで猫みたいな名前?と考えていた。

「ありがとう。あちらのツナを使ったのが美味しいのよ」

目の前に美味しいものが見えるように目を輝かせてジブリのおばあさんが言う。薄いクリーム色のカーディガンがお尻まですっぽり女性をおおっていて、思ったより小柄だったな、と京子は見送った。






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