見出し画像

受付嬢京子の日常②

「聞いてるの⁉︎」

少し早口だった女性の声が、大きくなる。受付嬢、原田京子は、神妙な顔のまま話を聞く。

「だからね、駐車券のサービスがないって知ってたら、買わなかったって言ってるの。返品してもいいわよね。」

黄色のコートを着た女性はおもむろに、自分が持っている袋を差し出した。化粧をして身ぎれいに見えるが、60歳の手前というところだろうか。京子は想像しながら、今日もか、と思う。京子が働くエキモは、毎日3万人が行き来する駅ビルだ。直結の駅は毎日12万人もの利用者がいる。そのため、駅の周辺の道案内が業務の9割を占めるのだが、たまにクレームが入る。そのほとんどが「駐車券」のことなのだ。駅直結施設でありながら、駅周辺のどこの駐車場とも提携していない。そのため、駐車券のサービスはないのか?というクレームになる。特に、デパートと提携している駅の地下駐車場に停めた、という人からは「駅の駐車場なのに」と当たり前のことをやっていないと責められる。その度に同じ言葉を繰り返すのだ。

「大変申し訳ありません。こちらの駐車場はデパート宙(ソラ)の駐車場となっておりまして」

今日も京子はそのように答えたのだが、黄色いコートは、納得ができないと、何度も同じ言葉を繰り返した。

「それは…」

エキモで働き始めて1年近く経つが、京子にとっては初めてのパターンで言葉に詰まる。

「はい、これレシート。お金返して」

流れるようなスピードだ。レシートはどこから出てきたのだろう。少なくとも財布ではないな、と京子は焦っているのに、別のことに感心してしまった。

「商品は各店舗にてご購入いただいたものですので、各店舗での対応となります」

なんで私が店まで戻らなきゃいいけないの、と黄色いコートが睨む。よく見ると、マスカラが下瞼についていた。

「いかがなさいましたか」

横から男性の声が聞こえる。京子は、マネージャーの木嶋悟の声だとわかりほっとした。背は平均身長ほどだが、肩幅があり、短髪の木嶋は実直なスポーツマンの雰囲気がある。そのためか、クレーム対応をしていても、言葉選びは上手くないのに、なんとなく丸く収まることが多いのを、インフォメーションのスタッフは誰もが知っていた。

「この人がね、駐車券のサービスはないって言うのよ」

まるで自分が悪いというような言い方をされて、京子は「はぁぁぁ?????」と脳内で叫んでいた。その後も、途切れることなく喋る黄色いコートを、真顔で見つめるしかない。木嶋を見ると、眉尻を下げて、申し訳なさそうな顔をしている。

「近いから勘違いしてしまいますよね」

「わかりにくくって申し訳ありません」

思った以上に話が続くな、と京子はその場から離れたくなる。しかし、クレームや問い合わせをいただいた時は絶対に最初に声をかけられた人間もその場にいなければならないと、派遣初日にリーダーから指導を受けた。仕方なく、京子は2人を観察することにする。顔は勤めて真剣なまま。少し経つと、木嶋は低いトーンの「ええ」という相槌と2つのセリフを何度もループしているのが分かり、京子は面白くなってきた。そして意外なことに、黄色いコートは返品の話をしない。木嶋のループが5回目になる頃には、置いたはずの買い物袋を手に持つ。

「じゃぁ、これからはお惣菜は別のところで買うわね。」

よくわからない宣言をして、去っていく女性を木嶋がお辞儀で見送る。慌てて京子もお辞儀をした。

「木嶋さん、ありがとうございます」

京子が申し訳ないと謝ると、木嶋は、大丈夫と言ってから目を床にやり、唇を結んだ。

「お客様が何かおっしゃったら、ひとまず、おうむ返しで受け取ってください。確認する、と言う意味でも。お客様が話をしてらっしゃる間は、頷きも大袈裟なぐらいお願いします。それから、申し訳ないと詫びるようにお願いします」

そう言い切ると、また一度口を結んでから、「じゃ、そういうことで」と目を合わせたのに、すぐに気まずそうに目をそらす。木嶋は、人への注意をし慣れていない。京子は前にそう感じたのは間違いじゃなかった、と思った。そして京子が知る限り、エキモが開業して、マネージャーになってから2年ほど経つはずだが、木嶋の様子は変わらない。

インフォメーションは、エキモの事務所の統括になっている。派遣である京子に対してあたりの強い会社も、今までに何度か経験した。それを思えば、なんて優しい職場だろう、と京子はインフォメーションの日誌に、クレームの報告書を閉じた。



受付嬢京子の日常③へ

気に入っていただけたら嬉しいです。 受け取ったサポートはサロン運営、ママの居場所を作るボランティア活動、さらに私が成長するための書籍代として使わせていただきます。