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受付嬢京子の日常⑮〜表情筋

原田京子は、自分が浮かれているのがわかった。何度か誘っていた、吉田洋子が一緒にご飯に行けると言ってくれたからだ。

シフトが出たとき「土曜日で早番」があることに気づいて、吉田に声をかけた。吉田も早番だという。お姉さんの家で居候しているという吉田は、平日すぐに帰ってしまう。さらに、土日祝日は遅番が多く、なかなか飲みに誘えない。これは逃してはいけない、絶好のチャンスだ、と京子は珍しく圧をかけた。

「いいもの作ってたら、絶対売れると思ってたんですよ」

もうすぐ還暦になりそうな男性が眉尻を下げながら寂しそうに笑う。山内敏行が真顔で話を聞く。2ヶ月後に撤退が決まった雑貨店の店長とオーナーが挨拶に来ている。エキモという施設に異動になって1ヶ月。まだ、販促のことは理解できていない。異動前は地域は違えど、施設に店舗を誘致していた。オンラインショップをメインにしている話題の店舗をイベントに呼ぶ。イベントベースで売り上げが良ければ、実店舗を勧める。

いつも出店している店舗だけでは飽きられてしまう。新規開拓した店舗のイベントがうまくいくと、自分のことのように嬉しかった。イベントでは天候などで売り上げが左右されてしまう。実店舗なら、中長期で計画が立てられる分、魅力さえ伝わればうまくいくと考えていた。新しく建設予定のモールなどは、計画が立てづらい分、店舗が決まらず焦ったこともある。

目の前の店舗も、違う担当者がそうして口説き落としたのだろう。オープンから10ヶ月での撤退。もったいない、と思う反面数字を見れば、続ければ続けるほど苦しくなるのは明らかだった。途中で何度かキャンペーンを組んだ様子が窺える。売り上げは上がっても、利益が上がらなければ、積み上げた、マイナスは減らない。

「ハイブリッドの自動車の燃費ってどのくらいか知ってますか」

山内の言葉に「さぁどんなもんでしょう。20キロぐらいですかね」とオーナーの男性が」言う。

「昨年2018年で判っている中で最も燃費が良いのは、トヨタのヴィッツで25.65キロ、次にプリウスで24.47キロです。販売台数だと、1番人気はプリウスです。いいものは売れるんです」

山内の淡々とした話し方に、困惑の表情を浮かべる2人。

「でも、見せ方もファンづくりも大事です。2番人気は日産のノート。21.7キロで燃費で言えば他に何台もいいものがある。もちろん、車を選ぶのは燃費だけじゃない。でもハイブリッド車を選んだ時点で、環境問題も含めて燃費は大事な基準だと考えています」

先月来たばかりで、エキモでの店舗のことを知らないこの男は何を論点にしようと言うのか。もう契約が終わり撤退する自分にかける言葉はこれでいいのか。見た目は若いが40前だと聞いた。その割に物言いがなっていない、と男は思っていた。しかし、と頭の中で考える。正してやる義理もない、と。

「いやはや、そうですな」

男は思い返す。利用客が多いと聞いて何度か視察に来た。確かに利用客が多く、毎日3万人の通行量に夢を見たのだ。利用客の層もターゲットに合っていると思った。何が悪いのかわからないまま半年が過ぎ、1年の契約を10ヶ月で切ることにした。店長を務めたスタッフは先月、涙を浮かべていた。

「最近、活気づいてきたんです。毎日の客数も増えてきたし、売り上げも上がっていて…」

閉店は既に判っていて、まだセールなども行わず退店の公表もしていなかった。先週、退店のDMを用意したばかりだ。スタッフの言うように、この2ヶ月ほど客数も売り上げも上がっていた。それでも、10時から10時の営業時間。人件費を甘く見ていた、としか言いようが無い。別の施設でのイベントで稼ごうとしても、スタッフが割けない。実店舗の撤退をし、イベントのお知らせを店舗で集めたメンバーリストに送理、今までのイベントの売り上げを底上げする。仕切り直しだ。

小さなミーティングルームから出て行く2人を山内は見送る。本来なら以前からいるマネージャーの木嶋がやる仕事だったように思う。週末も祝日もある施設で、マネージャー職の自分達ですらシフト制だ。

元々入っていたミーティングの日をオーナーの都合で変更された。木嶋は休みの日にミーティングが入ったと知っても「よろしく」としか言わなかった。言葉数が少なく、体育会系の割には優しい木嶋が「何事も経験をしろ」と思っているのは伝わってくる。わかるから受けたのだ。でも、結局しっくりこない。

「お疲れ様です」

京子は、ミーティングルームから運営事務所へ戻ろうとする山内に挨拶をした。山内は相変わらず無表情だ。表情筋が死んでるんじゃ無いのか、と思う。笑顔を見たことは、ある。でも幻だったのかもしれない。その時の顔が全く思い出せない。

事務所の田中緑に挨拶をして、書類を提出する。緑は目線を山内に向けた後、苦笑いをした。緑も、この無表情はどうなんだ、と思っているのだ、と京子は思う。あまりにも無愛想すぎる。この顔で施設内を歩いているのだから、お客様を怖がらせているのではないか、と思うレベルだ。

「原田さん」

声を落として座ったままの田中が上目遣いで京子を見ている。口を閉じたままありったけの笑顔を向けると、田中が衝撃的なこと口にした。

「次の館長も、笑わないよ」






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