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「アフリカの月の法善寺横丁」

アフリカの月という曲がある。
港町の歌で元船乗りの爺さんが少年に昔話を語るスウィングの曲。
酔っ払った爺さんが、「よく聞け、若いの!」 みたいな。
KUROちゃんの初作詞の作品らしい。
僕はこの曲みたいに無国籍な匂いのするものが何故か好きだ。
ちなみにKUROちゃんとは、西岡恭蔵さんの奥さんである。
声が甲高いかどうかは知らない。

浅川マキが歌った“かもめ”という曲がある。
寺山修司が作詞のこれまた港町の歌。
知らない人はビックリするかも知れないけれど、これは人を殺す歌。
好きな女の胸元に、真っ赤な血のバラをプレゼントしてしまうというワルツの曲。
僕はこの曲みたいに無国籍な匂いのするものがやはり好きだ。
ちなみに寺山修司とは、“明日のジョー”の作詞も手がけた人である。
声が甲高いかどうかは知らない。

常々、僕は日本という国の無国籍さについて言及してきた。
無国籍は多国籍と違って、他文化を消化吸収したのち、独特のカタチで存在する。
例えば、韓国にもそれと同じような部分を見つけることが出来る。
でも節操の無さは日本の方が上回っていて、とても混沌としている気がする。
元の国の人が変な顔してしまう程、意味が変わっている事もある。
具体的に言うとカレーライスやラーメンやマツケンサンバに無国籍さを見出せる。
どちらかというと、これが日本文化の良い所だとは思う。

“月の法善寺横丁”という曲がある。
大阪は法善寺横丁の歌で、若い板前と“こいさん”の物語。
包丁一本、さらしに巻いて~♪わてがこいさんに初めて会うたのは…(語り)みたいな。
もちろん昭和の演歌なので純日本な曲調。
僕はこの曲みたいに浪花な匂いのするものも何故か好きだ。
好きと言うと聞き込んでいるような印象になるけれど。
別に全然嫌いじゃない感じ。

例えばニューオリンズのR&Bみたく好きだ。
もしくは“ストロベリー・フィールズ~”とか。
地方のミュージシャンが地元の歌を歌うと説得力がある感じの、それだ。
混沌としたものが好きだったり純なものが好きだったりややこしいけれども。
どっちが本当の僕なのかはよく分からない。
その辺りは、法善寺横丁だけに“水掛け論”ということで。

#なごみの手帖  [ 2006年5月13日(土) ]
 

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