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ミッド・サマー解き明かし(真夏の夜の夢はアメリカを解放する)

れいゆ大學❸❻


HULUというTverの親玉みたいなのに1000円払うと、「名探偵コナン」をたくさん見せてくれる。それでコナンに随分詳しくなった。

このHULUというのが、じつは「名探偵コナン」だけではなくほかにもアニメーションや映画などを見せてくれるというのを知ったのは、少し後になってのことだ。

「ミッド・サマー」という映画を観た。


これは題名だけ見れば、シェイクスピアの「夏の夜の夢」を思わせる。「夏の夜の夢」は「真夏の夜の夢」と訳されて上演されることもある。夢であることが最初から示されている。

そして、キリスト不在の十字架。反転されるアメリカ。常識や過去という病からの治療。個人主義に侵されきった現代社会における、メンタルヘルスの冒険。病んだアメリカからの解放。花いっぱいの白夜。


スウェーデンの自然地帯を舞台にした、「ホルガ」という架空のコミューン。「非・キリスト教」で「非・民主主義」である人々。自分たちだけの古くからの宗教観がある。そこにアメリカの若者たちが紛れ込む。そのうちの一人は、トラウマによる精神疾患を抱えている。

しかし、このホルガの人たちもアメリカの大学生と同じく、アメリカ人にしか見えない。

この映画は全員アメリカ人であり、ホルガ村はアメリカである。あからさまに、演劇である。

ラース・フォン・トリアーの「ドッグヴィル」「マンダレイ」と構造が少し似ている。閉鎖された政治的空間に外部者が紛れ込み、結局それは、《アメリカ》を表現している。


まず、あのような特殊な宗教的集団なのに、偶像崇拝も神の存在も一切ない。キリスト教ならイエスやマリアや天使の像、仏教ならブッダや様々な仏神の像がある。偶像崇拝がないユダヤ教では、神という存在がある。ホルガには、ただ人々がいるだけで、何の中心軸もない状態で、人々の伝統が保たれている。異様である。

アメリカから来た若者たちは、彼らが執り行う自殺による儀式などに恐怖を覚える。しかし、神なる存在がない状態で、あのような伝統的な秩序が守られるだろうか。聖書みたいな書物や、奇妙な三角屋根の建物、陰毛が混ざった食べ物、覚醒剤的な飲み物など、いくつかのアイテムが現れるが、ホルガ村の人々が着ている伝統衣装と同じく、なんだか取ってつけたようにしか見えない。十字架の形をしたものは登場するが、キリストのような絶対的存在はいない。熊は神として祀られるわけではなく、罪深い獣と呼ばれている。

大学生がおふざけでつくった宗教ごっこにしか見えない。どうも彼らは、欧米のコメディアンが演じるコントの登場人物のようだ。

それはそうだろう。アメリカ人の大学生たち(=映画を観る人々)が異様だと思っているホルガの人たちもまた、アメリカ人なのである。


もっとわかりやすくいうと、ホルガの人々は、60年代アメリカのヒッピーである。


つまり、現代のアメリカ人が、時空を超えて、かつての60年代のヒッピーの成れの果てのようなアメリカ人たちと出会っている映画なのだ。ヒッピーの存在とは、非キリスト教であり非アメリカでありながら、結局はキリスト教圏でありアメリカ人的だ。

ヒッピーは反戦運動や芸術運動の中で、自然を求め、愛と自由を謳ったが、やはりそれはアメリカという国家の中でのムーヴメントでしかなかったかもしれない。ヒッピー文化によって灯された火は、その後のそれぞれの個人がそれぞれの場所で、自分の言葉で再構築していき、さまざまな別の形に発展していっただろう。

ホルガ村の人々は、そのようにはならずに、異世界の雰囲気、一神教における神が不在であるという状態で思考停止した、マボロシ・ヒッピーの幻影なのである。劇団の芝居である。寓話である。


映画のポスターにもあるが、ホルガ村の野原に大きな十字架の形をしたものが屹立する。その十字架にはキリストのような絶対的存在、自己犠牲の象徴はない。だから、村人たちは全員がいつ儀式の生贄に選ばれるかわからない。それは外部から来た来訪者も含まれる。

これがこの映画の肝である。

キリスト不在のため、全員が生贄である。それはアメリカを反転させる装置である。

その十字架に、主人公と恋人が向かっていく。


主人公のダニーは物語の終盤、LSDのような成分の入った飲み物を飲んでハイになり、踊り続ける儀式において最後まで残り、生贄を選ぶ女王の立場になった。生贄のうちの一人には、ダニーの恋人も選ばれた。

彼は熊のからだを着せられ、精神状態を麻酔させる薬を飲まされて座らされる。そうして炎の中で生贄となる。その前のシーンでは、ホルガ村に新しい子種を宿す役割も担わされている。

セックスの儀式が執り行われる中、別の場所で寂しく寝ている奇型の顔をした娘が映される。閉鎖されたコミューンであるホルガ村では必然的に近親相姦がたびたび起こり、何らかの障害児が生まれるということを意味しているのだろう。その表現の仕方が、じつにアメリカらしい。

つまり、ほんとうにこれが非アメリカ的な世界ならば、あの奇形の娘がこの村の神様のような存在、あるいはダニーが選ばれたような女王の立場になっているはずなのだ。しかし彼女は単に疎外されている者としてしか描かれていない。

なぜならば、映画に映し出されたすべてはアメリカだからだ。


あの白夜が不自然に続く美しい自然の村は、主人公ダニーが見た夢なのである。だから彼らが積極的に逃げないのも不自然ではないだろう。

白夜=自己治癒としての白日夢。

ミッド・サマー=真夏の夜の夢(シェイクスピア)。


アメリカから来た若者たち(キリスト教・資本主義・民主主義・物質文明・精神疾患)と、もうひとつのアメリカとしてのホルガ村(ヒッピーの成れの果てのようなマボロシのおふざけの世界)。

ホルガ村に子種を残し、さらに炎によって生贄となった彼。あのダニーの恋人は、何という名前でしたか?

恋人の名前は、クリスチャンでした。


アメリカによって、アメリカを治療する。アメリカによって、アメリカを解体する。

個人主義によって病んだアメリカを、意味不明な妄想によって、癒していく。


(両親と心中未遂をして自分だけ生き残ったダニーは、四代目市川猿之助とも少し重なったが、猿之助は歌舞伎という《夢の世界》がそもそも職業だったから、そこに苦しみがある)



悪夢から覚めたら、ダニーは躁鬱病やパニック障害が治っている。クリスチャンももちろん無事である。

眼前に広がるのは、現実のアメリカである。

新しい人生。



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