11/25(日)文学フリマ東京 情報&本文サンプル

【会場・日時】東京流通センター第二展示場 11時~17時
【サークル名】愛の極点
【サークルスペース】B-17

『二人の箱庭』A5・20p(本文18P)・200円
・「二人の箱庭」…白痴じみた青年と、青年を愛しながらも傷つけることを望む姉の薄暗い話。
・「先生の白い嘘」…先生に「悪いこと」を教えてもらう女の子の話。

どちらも「不道徳な片思い」をテーマにしています。
以下本文のサンプルです。

『二人の箱庭』

「ねえ、明彦」
 ほっそりとした頬のラインを指で辿りながら低く囁くと、ゆるやかに上向いた睫毛が小さく揺れた。わたしは、眠っている明彦を見るのが好きだ。明彦が死んだように眠っている間だけは、わたしは壊れ物を扱うように優しくその体に触れ、正しく愛することができる。叶うならばずっと眠っていてほしい。
 それなのに、あまりに作り物めいた寝顔をずっと眺めていると、対照的に自分がひどく醜い生き物のような気がして、閉じた瞼を無理やりにこじ開けてしまいたくなるのだ。
 瞼に沿って丸い眼球を緩くなぞると、薄い瞼がゆっくりと開かれる。この瞬間ほど、高揚することはない。おとぎ話の王子たちも、こんな気分だったのだろうか。
「なおさん」
「おはよう、明彦」
 耳に心地よい低音は、まるで雨だれのようにわたしの脳に染み込んでいく。わたしの脳を痺れさせる低い男の声が、子供じみたつたない発音でわたしの名前を優しく紡ぐ。なんだか、とてもいけないことをしている気分だった。腹の底に湧きあがった甘い恍惚を抑え、明彦の乱れた髪を梳いてやる。さらさらと指通りのよい黒髪は、毛先がゆるくウェーブしているわたしの髪質とはまるで違っていて、いつまでも触れていたくなる。
 明彦は寝ころんだまま、まだ眠気の滲んでいる黒い瞳でわたしを見つめていた。目の奥はどこまでも深く、湖水のように凪いでいる。さざ波すら立たない穏やかな水面に、わたしが映っている。わたしの目の中にも、明彦がいるだろう。この瞬間を、わたしはいつも待っていた。
「雨が降ってる」
「うん」
「母さんの夢を見た」
「そう」
 夢の中でも、明彦を殴った?
 髪を撫でながら問うと、明彦はわたしから視線を外さないまま小さく首を振った。わたしは、少しだけがっかりした。母に打たれる明彦は、とても美しかったから。
「眠ってた。真っ白な部屋で」
 わたしの脳裏に浮かんだのは、小さな白い部屋だった。壁には四角く切り取った窓があって、遠くに真っ青な海が見える。母は真っ白な部屋の、真っ白な布団で眠っていて、明彦はそれを静かに見つめている。
ふと頭に浮かんだ情景に、わたしはいなかった。
 (中略)

 母は華奢な手を大きく振り上げ、明彦の頬を打った。竹を割ったような乾いた音が響く。わたしは小さく息を呑んだ。母は肩で息をしながら、「あなたが悪いのよ」と追い打ちをかけるように叫ぶ。その後も母は、聞くに堪えない罵声を明彦に叩きつけた。それでも明彦はただ黙って、じっと母を見上げていた。黒く透き通った目には、悲しみも憎しみもない。母の言葉は、明彦を汚せない。赤く色づいた明彦の頬が、ガラス戸から漏れる青白い月光に照らされる。わたしは嫉妬も憎悪も忘れ、その姿に目を奪われていた。淡い 月光に照らされた明彦は、夢のように美しかった。
 やがて母は布団に座り込み、肩を震わせて泣きだした。すすり泣く声はひどく弱弱しい。一部始終を見ていなければ、わたしは母を憐れに思っただろう。
 部屋には母の泣き声だけが響いていた。わたしは母に打たれたことも、あんなふうに泣かれたこともない。母のこんな姿を見るのは、これが初めてだった。
「ごめんなさい、ごめんね」
 やがて母は謝罪を繰り返しながら、明彦の頬を優しく撫で、細い体を思い切り抱きしめた。
「ねえ、許してちょうだい。あなたを愛してるのよ」
 母は何度も繰り返した。                      


『先生の白い嘘』

 コーヒーを飲みながら、横目で先生の顔を覗き見る。先生はぼんやりと窓の外を眺め、たまに思い出したようにコーヒーを啜っている。窓から見えるのはどんよりとした寒々しい空と、葉がすべて散った枯れ木だけで、目を引くようなものはなにもない。ただ寂しいだけのつまらない景色だ。先生の横顔のほうが、わたしにはよほど価値があった。
先生の横顔は、とても綺麗だ。正面を向いているときには気づかないけれど、先生の鼻は整った形をしている。眉間からまっすぐに伸びて、鼻先は上向くこともなくつんと細い。薄い唇はあるべきところに収まっていて、鼻先と顎をつなぐ一直線を邪魔することもない。わたしは先生の横顔が好きだ。先生の横顔が綺麗なことを知っているのが、わたしだけならいいと思う。
「どうした?」
「いえ、なんでも」
 あまりに幼稚な考えにこぼれた笑いは、しんとした部屋に思いのほか大きく響いた。怪訝そうな先生の視線から逃れるように、カップを大きく傾け半分ほど残っていたコーヒーを飲み干す。喉の奥に広がるほろ苦さが、ふわふわした脳を引き締めてくれた。
「飲み終わったならやろうか」 
「はい」
「じゃあちょっと待ってて」 
(中略)

 手押し式のドアを肩で開け、廊下を右に進む。資料室のドアは開いていた。先生はドアに背を向けるようにデスクに腰掛けて、開け放した窓の外を見ているようだった。行儀のよいイメージのあった先生がデスクに座っている姿が意外で、わたしは声をかけるのをやめて、その後姿を眺めることにした。細身だと思っていた先生の背中は、思いのほか広かった。肩幅もしっかりしていて、白いシャツに肩甲骨が浮いている。もしかすると、若いころは運動部だったのかもしれない。この一週間、後ろ姿を見る機会は何度もあった。それなのに、わたしは一度もそんな想像はしなかった。わたしには、それが不思議でならなかった。
 グラウンドから、運動部の掛け声が聞こえてくる。別館の三階にある音楽室では、吹奏楽部が演奏を始めていた。わたしと先生の間にだけ、奇妙な静けさがあった。先生は身じろぎ一つせず、わたしもそれに倣っていつまでも無言を貫いた。そうしていれば、心地のよい沈黙にいつまでも浸っていられる気がした。
 それから、どれくらいの時間が経っただろう。わたしたちの間に流れていた沈黙は、資料室に吹き込んだ強い風に破られた。あ、と思う間もなく、プリントが音を立てて部屋に舞う。わたしは散らばったプリントを追うこともせず、先生のことを見つめていた。
 先生はゆっくりと振り返った。その顔には、いつもの穏やかな微笑みは浮かんでいない。授業中の柔和な目が嘘のように、先生はしらけきった目でわたしを見ていた。その目に射抜かれ、わたしは呼吸も忘れて立ち竦んだ。何か言おうと思っても、言葉が喉につかえて出てこない。動かない身体とは裏腹に、心臓だけはどくどくと破裂しそうなほど高鳴っていた。
  

 



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