ロックの日…齢44歳にして初めてベースを弾いた日。

生まれて初めて音楽ではまったもの…それは小学5年生の時、バンドのユニコーンでした。
子供の頃から情報源の6割は活字、3割はテレビ、1割はラジオ。
自分の好きな時に本を読めるようになりたくて、小一からひたすら漢字の書き取りを趣味としていた子供時代。祖母と松本清張と横溝正史の話をしていた少女時代の私に、音楽の世界を広げてくれたのがユニコーンだったのです。
当時は「推し」と言う言葉はなかったですが、私はベースのEBIさん「推し」でした。ブルーのプレベを引く姿と高い声に完全にやられました。

小学生の時の習い事はそろばんのみ(6年間ひたすら続けた)、楽器に対する憧れはあるものの、中学高校時代は学校以外の時間は活字・テレビ・ラジオ・映画とさらに突き進みます…。好きなミュージシャンのインタビューを読むのが大好きで、影響を受けたミュージシャンが出てくると調べて(ネットのない時代なので図書館で大宅壮一文庫の目録を見て雑誌を調べて古本屋で探すスタイル)読み耽りの日々。
何事も文献から入る気質は今でも変わっていません…。
大学生になると地元の北九州から博多に行けるようになるので、いろいろなバンドのライブに行くようになりました。
お金がないので18切符やフェリーで関西に行ったり。金はないが体力と時間はある。

2001年の夏に大学院に行きたくて上京。半年後に合格し、大学院生になります。夢のような東京生活…とはなかなかいかず、大学院時代はとにかく時間とお金がない!毎週、発表のために学術書を読んで準備、修論も書かないといけない、書籍代と調査費でとにかくお金がない!
見たいものも行きたい場所もたくさんあるのに行けないフラストレーションが溜まりまくった二年間でした。(研究は楽しかったのですが)

2004年の春に卒業、そして就職、やっとやっと自分の稼いだ金を好きなものに使えることになりました。そして、この後がっつりアイドルにもはまっていくことになるのですが、またそれは別の機会に。
ここからは惜しみなく好きなことにお金を使い始めます。今も貯蓄というシステムをあまりわかっていないので、それはそれでやばいと思いますがやはりライブやイベントの高揚感は中毒なのです。

そんなこんなで会社員生活とライブやイベントに行く日々を続けていたのですが、さまざまなことが重なり40歳の時に不眠症→不安神経症→うつ病ルートに入ってしまい、会社を休職することになりました。
目に映っているものから色彩がなくなったように感じたり、身体がベッドに溶けていって自分の存在が消えてしまえばいいと思ったり、気分転換に好きなアイドルのライブに行っても客席で急に不安になってきて泣きながら帰ったり。結果的に会社を9ヶ月間休みました。

緩やかに復調する過程であるバンドに出会います。それがラッパーのダースレイダーさんが率いるベーソンズというバンドです。
私はHIP HOPにかなり疎かったので、ダースさんのことはなんとなく知っていると言う感じでした。(私が尊敬する杉作J太郎さんの映画「秘録・人間狩り」に出ていたあの人!と後から知った時の衝撃ったら)
休職中にダースレイダーさんが出演していたトーク配信(ちょうどコロナに入ってすぐ)を見て、この人のトークをもっと見たいとなりYouTubeのチャンネルをチェックするようになりました。
するとなんだかカッコいい音楽がゴロゴロあって、根がオタクなので購入できる音源は全てコンプリートしました。そうなると次は現場確認です。一番最初に行ったの下北沢QUEでした。
初めて生でベーソンズを見てというか体験して、とにかくしびれまくりました。音源も充分カッコいいのですが、ライブはそれをさらに進化させていて、二度とは聴けない曲をセトリなんかなしでやるわけです。
そんなの楽しいに決まっているし、これがライブだよとか最高にカッコいいバンドに出会ってしまったとか、そんなことを思って電車を乗り間違えまくってなかなか家に帰り着けませんでした。
以来、行ける限りはベーソンズのライブに行っています。とにかくベーソンズのライブは楽しくてカッコいいから。それを更新し続けてくれるから。

復職後一年ぐらいかけてうつは寛解状態になり、アイドルやバンドやイベントに行く日々です。そんな中でもやはり生きていれば、躓くことも、うずくまって泣きたくなることも、またベッドに溶けてしまいたくなることもあります。そういう時は、ひたすら心を麻痺させて寝込んでやり過ごすという自分なりの乗り切り方をしています。
最近、主に仕事で行き詰まることが増えてきました。仕事をしている時がひたすら自分の内面と向き合う状態になります。心の中で足掻いている状態でそれに気づくとまたうつに逆戻りしそうな焦燥感もありました。
そんな時に私のTwitterのタイムラインに流れてきたあるツイート。

「カツハラダイサクのベースレッスン」

勝原大策さんは私が大好きなバンドであるベーソンズでカッコいいベースを鳴らしまくっている方です。
えっ!東京とは自分が好きなバンドのメンバーから楽器のレッスンを受けられるところなのか…と10代の自分に戻って想像して意識失いそうなレベルの衝撃でした。

この一年、何か新しいことに挑戦したいとずっと思っていました。仕事に関係したこととは全く違う別の何か…「システマ」というロシアの呼吸法の合気道を習うか迷っていたのですが、「ベース」という文字を見た瞬間にストンとストレートに「やりたい」→「やる」になりました。迷いはほぼなかったです。
とはいうものの、ライブに沢山行っていても、楽器の経験は全くありません。でも、やるからにはちゃんと続けていきたい…続けられるか一晩お腹が痛くなるぐらい考えて「レッスン」を受けたいという旨の連絡をしました。
大策先生からは「考えすぎずに音を鳴らして楽しいと思えるようにやってみましょう」という温かい返事をいただきました。

6月9日、ロックの日、初めてスタジオに入りました。スタジオにはホテルのように受付があるのかとかそんなレベルで新鮮な気持ちとともに緊張が…。
事前に私がまず挑戦したい曲としてユニコーンの「すばらしい日々」を伝えていました。この選曲もめちゃくちゃ悩みました。私が今一番聴いているのは人間椅子というバンドですが、人間椅子の曲が難解すぎることはど素人の私でもわかっています…次にライブに行っているバンドはギターウルフ…これもまたカッコいいのですが独特すぎます。大好きなアイドルのRYUTist…バンド編成ではない曲にチャレンジはなかなか…うーんと楽しく悩みながら、これは完全に自分の青春の原体験に戻ろうと思ってユニコーンの「すばらしい日々」にしました。

スタジオの部屋に入っていて、大策先生が「とりあえず弾いてみますね」と魔法のように「すばらしい日々」を弾いてくれます。
弦楽器を弾く人の手はなぜ魔法のように見えるのか…ベーソンズや人間椅子のライブでいつも思う光景が目の前で展開され「わー!」となりました。と、同時に「これは無理じゃね…」と若干不安になりつつも、ベースをお借りして持ち方や手の位置、指の動かし方を教えてもらいます。
緊張しながらも鳴らした第一音目。他人が聴いたら全くへなちょこな、とりあえず出せた音だったと思います。でも、私にとっては44年生きてきて初めて自ら望んで弾きたいと思った大切な一音、自分の手を動かして音が出た瞬間にとんでもない高揚感がありました。うつの時は見ている光景の色彩が薄くなるけど、全くそれとは逆の色彩が鮮やかになる感覚。
それからはひたすら基本の2フィンガーの練習です。ひたすらとにかく音を出してみる、小節に合わせて音を鳴らしてみる、楽しい!
私は致命的にリズム感がないのでそこも心配でしたが、小節の頭に合わせることはできているようです。
これは後から気づきましたが、アイドル現場での手拍子とコール(音に合わせてリズムよくしなければならない)の経験が役立っているような気がします。ドルオタでよかったです。

というわけで、次はマイベースの購入になります。家で練習したい、またあの視界が鮮やかになる感覚を味わいたいと今も思っています。

大策先生からの素敵なお言葉
「すぐに上手くなるわけない」「楽しいから続けてたら弾けるようになってた」
くらいの長い目で続けてみましょう

そう、誰に強制されたわけでもなく、好きだから始めることなので、楽しく続けていくそれが最大の目標です。そして、そんな気持ちは行き詰まっていた自分の仕事に対しても「まだできることもやりたいこともある」という気持ちを呼び起こしてくれた気がします。

みんな、楽器やろうぜ!
(雑誌「バンドやろうぜ!」のようなテンション…)

私の先生、勝原大策先生のレッスンの詳細はこちら

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