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山口での5年間と今後について

社会人になって1ヶ月が経ちました。
私はこの春から東京の大手Web広告代理店に就職し、ようやく東京での一人暮らし、研修生活に慣れてきたところです。

私は山口と言う「田舎」で学生時代を過ごしました。
そして大学卒業を1年伸ばした休学期間を含め、
山口の外や都会に出たり、社会人の方とイベントを開催したり、福岡や東南アジア、アメリカなど色々な地域を見てきて、多くの気づきがありました。

GWになって自分を振り返る時間が取れたので、大学生活の総括とこれからやっていきたいこと、今の会社でやっていきたいことについて備忘録としてまとめてみようと思います。
あまりまとめたことがなかったので少し長めですがご容赦ください。


大学の勉強の意味を見出せなかった1年生

私が通っていた東筑高校は文武両道を重んじる福岡県内有数の進学校で、公務員を目指すか就職率の良い旧帝大に行くことが善とされている環境でした。中学まで学年成績上位にいつも入っていたのに高校では下から数えた方が速い。そんな競争環境の中、徐々に勉強よりも熱が部活に傾きます。そして、陸上に没頭していた私は400mハードルにのめり込み、県大会に出るようになります。トレーニング漬けの生活で、高校2年の冬に腰を壊しましたが、リハビリの時にお世話になったトレーナーさんの影響でスポーツに関わる人のサポートをする仕事に関わりたいと考えるようになります。
高校3年生の頃は、体育の先生になるか理学療法士かスポーツトレーナーになろうと思っていました。

しかし、その年のセンター試験直前、盲腸で入院してしまった私は、激痛の戦いの末、体重は2週間で5キロ減り、センターでは過去最低点を叩き出し、浪人が許されなかったので志望校を下げることになりました。。。
理系なのに文化系科目しかできず、スポーツにしか自分の取り柄を感じていなかった私は、自分の得意なことができる仕事として教育学部を目指すことに。教員だった親の影響もありました。福岡に近くて、色々な人と関われる総合大学で、2次試験で英語の配点が高かった山口大学を受けることにし、英語教育選修に合格しました。これが私が山口で大学生活を過ごすきっかけです。


入学した山口大学は山口県の中心部に位置し、8学部、4つのキャンパスを有した日本で三番目に古い大学です。福岡や広島に出るには高速バスで片道3時半間かかる、そんな”僻地”に「刺激」はほとんどありませんでした。


全国指折りの公務員志望率を誇るため、学生は安定志向。学祭などで盛り上がる私立と違って、学内では催し物やイベントもほとんどなく、共通教育には必要性を感じず授業中スマホをいじる学生たち。知り合いもほぼおらず、軽い絶望を覚えた私は、部活にも入らず、毎日気が向いたらサークルかバイトに通う「普通の山大生」になりました。結果、私は大学生活になかなか楽しさを見出せずに、教員採用の「ネタ作り」のため林間学校のボランティアと旅館と複数の掛け持ちのバイトに勤しんでいました。
*バイトは学生時代に色々やってみたくて、旅館や試食品販売やブライダルの派遣など8個くらい経験しました。


転機となったフィリピンへの留学

専門科目が本格的に始まった2014年夏。キャンパスライフに飽きて、何かしたいと言う思いで、自分でパスポートを取り、バイト代2-30万円を貯めて大学2年の夏休みに大学の先生が主催していたフィリピン留学にいきました。バギオという街の現地の語学学校に1ヶ月留学しました。学科柄周りが海外に行くので自分もどこかに他の国に行ってみたい、授業で恥ずかしくないようにもっと英語を話すのが上手くなりたい、くらいのテンションでした。これが人生で初めての海外です。
そこで自分とは比べ物にならないくらい勉強のモチベーションの高い韓国人留学生たちと底抜けに明るいフィリピン人の先生たちに出会いました。


もともと内向的で自己開示の少ない私も、彼らのおかげでオープンになり、人と積極的に話すようになりました。参加していた1年生や先輩と仲良くなり、よく一緒にランチを食べたり週末出かけたりして、素の自分でいられた気がします。平日朝9時から夜の21時まで授業がありましたが、本当に楽しくて辛いと感じたことは一度もありません。

一緒に授業を受けている韓国人たちは本当に優秀な上、勉強への本気度が凄くて22時にクラスが終わっても自習室で勉強していました。
自分より年上なこともあって、週末はご飯に連れて行ってくれたり、よく気遣ってくれるお兄ちゃんとお姉ちゃん達でした。
*韓国人男性はみんな徴兵を終えた後なのでマッチョで、かつ女性には優しくて日本人の女子にモテまくっていました。笑


「韓国は就活難で、この留学の後には英語を勉強するためにアメリカに1年間留学する。海外での就職も考えてる。いい会社に就職するためには英語ができないといけないんだよね。」
ルームメイトの勉強への本気さに圧倒されたのを今でも覚えています。


「ゆうきは何になりたいの?」
当時周りの体裁から漠然と教育学部に進んだだけだった自分は納得する答えを返すことができませんでした。

他にも東京や大阪、名古屋など山口以外の大学に通う大学生たちとも仲良くなりました。
全国に友達が出来て、その次の夏休みに東京や名古屋に遊びに行きました。

この経験から何か悩むよりも興味を持っていて我慢してできていないことを思い切って行動してみることで自分の環境を変えられることや経験することで価値観が変わったり、周りの人や社会をポジティブに捉えられることを実感しました。今まで自分にかけていたストッパーが外れた感覚がありました。
その後カンボジアの運動会ボランティアに行ったりして、やはり好きだったスポーツに関わりたいと思い、成績が良かったので単位上限をはずす申請が通り、英語の授業にプラスして小学校の9科目と体育の授業をひたすら受けて教員免許を4つ取得しました。(小・中英・高英・中保体だったので単位数は4年間で160くらいになっていました。もう少し減らせば良かった。笑)
他にも学内の留学生支援室のバイトの面接に受かり、旅館のバイトと掛け持ちながら授業に追われる忙しい毎日を送っていました。


挑戦する人を増やしたい、山口の学生のきっかけ作り開始

2015年6月。大学3年生の夏、教育実習を終え、周りがいよいよ教員採用試験に向け勉強を始める頃、自分が何になりたいか分からず、Facebookのイベントを探し漁っていた私は、大学内でかなり活動的だった同級生が「夢を見つけるワークショプ」に参加するのを見つけ、自分も参加してみることにしました。
*当時は学内で面白そうなイベントがあること自体なかなかなないことでした。

そこには一人の福岡の若手起業家がゲストに呼ばれていました。
「自分のやりたいこと」で生きる起業家という生き方があるのだと衝撃を覚えたと同時に、学生から会社員にならずに挑戦する姿に刺激を受け、「自分も何かしたい。」と思ったのを覚えています。

そのあと、イベントの参加者と一緒に山口の学生のきっかけ作りのイベントをする団体を立ち上げることになり、(詳しくは省略)五人のメンバーでバイトや授業の時間の合間を縫って、留学・旅・就活をテーマにしたトークイベントや山口県内の学生交流を増やすことを目的にした逃走中の企画など、半年間で合計5つの学生向けイベントを主催しました。
このSeaGlass山口支部での活動は、小さいですがチームで何かを作り上げる経験だったり、お金を回してゼロから何かを作ることができた経験として私に影響を与えています。


コミュニティの力ー天神シェアハウスとの出会い

2016年1月。友人も増え、自信もついてきた3年生の終わりごろ。
山口から高速バスで福岡へ出かけ、大学生たちが集まる「ユメトーク」と言うイベントに参加しました。若手起業家やワーキングホリデー、ベンチャー、ソーシャルビジネスなど今まで知らなかった生き方の選択肢にワクワクさせられました。


その夜、泊まるあてがなかった私はと天神のシェアハウスUNIONに泊めてもらうことに。ここには他にもいろんなところから人がやって来て、大学卒業して起業した人、実家をついだ坊主じゃないお坊さん、髪の色がとんでもなくカラフルなエンジニアの人、大学生向け海外ツアーを運営する人、人材会社で働きながら大学時代に立ち上げた就活イベントを今も続けている人etc. 今まで知らなかった生き方とその人たちの人間性に、働くって案外楽しいかもと感化されました。


そこで同じように教育に興味があると言う一人の大学生に出会います。
互いのこれまでの境遇に共感し、将来の夢のこと、悩み、教育のことなど二人とも話が止まらず夜更かしして話し尽くしました。こんなに人に自分のやりたいことを語ったのは初めての経験でした。

 また、シェアハウスの住人たちは休学をして学生団体の長をやっていたり、社会人と仕事をしていたり、東京へ出かけたりしているアクティブなメンバーばかり。しかも、お互いがいつでもよき相談相手になる、そんなコミュニティでした。「山口にもそんな場所があったらいいのに。」、そう思いながら高速バスで3時間かけてイベントついでに山口からちょこちょこ通うようになりました。

Oneness Asia Leaders Summitと言うAll Englishの学生の国際会議に参加したのもこの頃。国内外のアクティブな同世代に刺激をもらいまくっていました。

 一方で、そんな同世代を見たときに、親の求める自分であろうとし続けてきた自分が親の敷いたレールに乗っているのを深く痛感しました。

「イベントとか自分のやりたいことをやりながら就活をして行ったらいいよ。そういうのを面白いと思ってくれたところで働くという選択肢もある。」という社会人からのアドバイスに、今までの学生イベントをしながら「キャリア教育」と言う軸で就活をすることにします。特に、大学の職員さんから「〜がしたいっていうのは簡単だけど、興味があっても実際に何を知っているの?○○という本は読んだ?それじゃ知ってもいないし、何かをできないんじゃないの?」と言われたことが素直に悔しくて、食費を削って本を読んだり、交通費に当ててイベントに参加していくようになりました。
「キャリアアンカー」という本を読んだり、図書館にあるキャリア系の本はかなり読み漁ったように思います。

大学4年目、就活、学生合宿開催、休学への決意

その後、私は社会人の方を呼んで山口大学内で就活イベントを開催に没頭していて、自分の就活を始めたのは、3年生後期が終わりかけの2月のことでした。山大の就活の登竜門Take offと言う就活イベントに参加したり、知り合った数少ない社会人の方にES添削や面接練習などの就活の相談をさせてもらったくらいでほとんど就活ができていない状態でした。

教育学部の友人は採用試験に取り組んでいるので、周りに就活の情報を交換できる人はほとんどいません。それにいろいろな興味に手を出していた自分の軸が分からずにどの企業に行きたいのか迷い、気づけば6月の最後の教育実習の頃には、キャリア教育がしたいと受けていた人材の大手の最終面接で続けて2社落ち、落ちた理由が自分に強みや魅力がないせいだと、ひどい自己否定に陥りました。そして、一旦就活を辞めてしまいました。

すっかり自信をなくしていた頃、友人に繋いでもらったのがNPOカタリバの檜垣さん。カタリバ山口支部の立ち上げに来ていましたが、落ち込んでいた私に「ゆうならできるよ」と励まし、話を親身に聞いてくれました。山口カタリバの活動に参加し、立ち上げを手伝っていくなかで少しずつ自分が貢献できることで自信が戻ってくると何かをやりたい気持ちが復活してきて、やっぱり周りの人との繋がりが人生をよりよくすると感じた私は、山口の学生のための大学生活最後の集大成となるイベントを作りたいと言う思うようになりました。

”自分と同じように学部に沿った進路以外に進むのを検討している学生の多くはキャリアに悩むはず。”
”留学生活やシェアハウスでの出会いのように、「いろんな生き方をしている初めましての人たちが集まって刺激を受け、夜遅くまで自分たちの悩みや夢を語り合いながら応援し合えるような仲間ができるイベント」が山口でできないだろうか。”そして、長く語るためには半日だけのイベントとかじゃなくて、夜遅く語り合えるように宿泊型のものにしたい。

そのアイデアが、情報や人とのつながりの少ない山口の学生がやりたいことを見つめ直す場、コンパスという合宿でした。

悩んでいるとき、自信のないとき、情報の少なさや社会の声で自分の気持ちが霞むけど、みんな本当は心の指針がきっとある。様々な生き方をする社会人と出会い、自分らしさや自分の生き方を見つけてほしい、そして明日からの大学生活が参加者にとって自分で選んだ意味のあるものになって欲しい〜

これまで悩んだり、人に刺激を受けてきた自分の経験を元にアイデアが止まらず、気づいたら寝る間も惜しんで企画書を作っていました。これまで影響をもらった友人たちや社会人数人に手伝ってもらいながら、県内で使える施設や考えられる限りの知り合いに連絡して、最終的に福岡や島根から24名の学生が集まりました。

この時に、世界一周経験者の志藤大地さん、天神シェアハウスの住人松口健司君、ヒッチハイクで佐賀からやって来た松本啓くんなど本当に面白いメンバーが集まりました。(名前勝手に引用してごめんなさい。)
この”素人”による学生合宿での出会いは、たくさんの”化学反応”が起こりました。

学生たちの何かやりたいという思いが芽生えているのを見ている中で、「自分のやっていることは間違いではない」と確信しました。このメンバーはそれぞれの道に進んでいて、今でもその活躍ぶりに刺激をもらっています。

このイベントの成功をきっかけに、私はもう一度自分の興味のあることを納得いくまで経験するため、そして自分らしく生きるための手段や方向性を明確にするために休学することに決めました。休むなら学生である今しかないい、失敗しても失うものが一番ないとも思いました。
周りの環境を変えたいと思った私は、人生でやりたかったことの1つでもある東南アジアでのバックパックと東京で長期インターンをしようと決めました。
*柄でもなかったんですが、一度くらい自分のキャラクターを外れてやってみたかったんです。

(タイのチェンマイで日の出を納めた一枚)

この本はやりたいことを踏みとどまっている人のあと押ししてくれるのでオススメ


「休んでいなかった」休学の一年が就職先を決めた


帰国後の1年間、私は3つの企業でインターンとして働き、復学後に世界一周経験者2人とアーティスト活動をする2人のメンバーと一緒にLESWORLDという団体でフィリピンの孤児院にミュージカルを作る活動をしたり、外務省が募集していた異文化交流のプロジェクトでアメリカに渡航したりしました。

自分から動かなければ何も変えることができない、そして相手と過去は変えられないけれど、変えられるのは自分と未来だけ、答えのないなかでは自分のコントロールできることに専念するべきというのがこの1年間の学びです。

長期インターンの部分だけ、かいつまんでまとめます。3つのベンチャーでの経験はざっくりとこんな感じです。

①ITベンチャーガイアックスの新規事業(TABICA)での長期インターン
TABICAは農業体験や街歩きなど一般の人が自分の暮らしをイベントとして掲載し、マッチングさせるプラットフォームです。(日本のAirbnbのtripみたいなもの)。

マニュアルのない中でカスタマーサポートから企画、現場同行、マーケティングやイベント出展など、立ち上げ2年目のCtoCサービスで半年間「バックオフィス以外のほぼ全て」を経験させてもらい、これまでで一番きつかったです。笑 なぜなら答えもマニュアルも用意されていなくて、何も整っていない中でルールを自分たちで作らないといけないから。
ガイアックスは当時のインターン業界では老舗で、大学生インターンが社長になる機会があったり、とりあえず裁量を丸投げされて社員と同等の権限を与えられるような社風でした。インターン生がインターン生を採用していたり、ホスト(イベントの担い手さん)の開拓営業をしていたり、広告を回していたり笑

TABICAでは30人のほどのメンバーの大半がインターン生で、優秀な学生たちがサービスを作っている姿に驚愕し、劣等感や引け目を感じることもありました。ビジネスの基礎をやりながら学び、ベンチャーという環境の変化の速さとインターネットの可能性を肌で感じました。教育環境は整っているようで整っていなかったので、教えてもらうよりは自分で学び、適切な人に聞くことの大事さと答えがない中で思考停止仮説を立て続けることの大事さを学びました。当時赤字事業でしたが、自分が配信したメルマガでバズったことがあり、マーケティングのインパクトの大きさを実感したことがマーケティングに興味を持つきっかけにもなりました。そこで一緒のシェアハウスに住んでいた社員さんの言葉で自分自身を許せたことが自分の心の支えになっていて、今でも辛い時は思い出すようにしています。

②外国人紹介のJellyfishでWebマーケティング
2ヶ月間だけ住んでいたリバ邸渋谷の住人だった先輩の勤めていた会社で、リスティング広告の分析やLPの改善などのディレクションを手伝わせてもらいました。オフィスには6カ国の異なる国籍のスタッフさんがいるグローバルな環境で、社会の広告代理店とのやり取りをさせてもらいました。何かを習うというよりは独学でしたが、試行錯誤の中でアシスタント的に先輩の仕事を手伝う中で、仕事は相手を思うコミュニケーションが全てだと強く感じました。独立して個人で仕事を受けながら自由な場所や時間に働いているフリーランス的な働き方や副業に憧れるようになりました。

③学生ベンチャーから教育事業を行うOceanizeでのwebマーケティング
山口に戻ろうかと迷っていた休学9ヶ月目の6月頃、休学のサブテーマであった「日本のいろいろな教育の形を見る」を実行するため、参加した学生イベントを主催していた会社が小学生向けのサマースクールを開催するということを知り、夏休み限定でスタッフをすることに。六本木で小学生向けのアフタースクールをやっていて、そのスクールで子供の学習をみたり、スクールのweb集客をやっていました。西麻布にあったこともあり、接している親御さんがとても裕福だったので、経済格差による教育格差に目が向いたのもその頃。やはり自分が教育に関わり続けたいと言う思いが芽生えました。

東京の物価の高さで、インターン期間はお金には随分困りましたが、貯金というよりは、とにかく「自分の知識と経験を買うため」に様々な経験を重視しました。インターンでは成果を出すほど給与が上がる制度でしたが、最初の4ヶ月はなかなか成果が出ず貯金を切り崩していましたし、何かを為すことはほとんどできなかったかもしれません。でも、企業に務めるものとしての責任や価値を生み出す難しさを実感しました。この1年間3つの企業を経験したことで、コミュニティへの適応力や置かれた組織の中で根気強く自分で役割を見つけていけることに自信が付きました。自分の向いていないものをいい意味で諦められるきっかけにもなりました。

そして長期インターン中はシェアハウスを転々としたり、友人宅や会社の社宅に住まわしてもらったりするなどしてかなりたくましくなったと思います。笑
休学半年目にインターン寮がなくなることになり、リバ邸渋谷に拾ってもらったり、みつけたインターン先で住むところがないので社宅に泊めてもらえないか交渉するようなことを経験しました。

そんなこんなで就活では、無事ネット系の企業4社から内定をもらうことができました。教育者を志していた人の人生とは思えないくらい大きな方向転換でした。

私はこの一年、「人との繋がり」に助けられて来たと行っても過言ではないと思います。1人では何もできなかったですし、本当にたくさんの方に後押ししてもらいました。
インターン以外でも100人以上の人と出会い、話してきたので、半強制的に人見知りを克服しました。
この出会いから周りの人やコミュニティの影響力やサポートしてくれる「人との繋がり」(英語でいうnetwork)が人生を豊かにすることに気づくことができました。
*そのときよく使っていたのが、OB訪問SNSのMatcherで東京で色々な人に会いたい就活生にはおすすめです


そして、東京に来たことで地方の選択肢の少なさと奪われているたくさんの機会や思い込みに気づきました。
インターネットがあったとしても、それを拾うことができるのは情報リテラシーの高い人だけです。この経験を地方にシェアしなければ、地方のコミュニティは育たず、衰退していつかなくなってしまうかもしれません。
お世話になった人たちのように、地方にこの経験を還元していこうと決めました。


少ないながら、自分が地方や海外で経験したことを、まずは地方で本当に必要としている人たちに情報を届けられるようにする。そのために「伝える仕組み」を作れる人材になりたいと思っています。
また、私は10→100は苦手で、でも0→1と言うより0.5→1.5くらいを作るのが得意です。そして次に挑戦するためにベースができたら次の世代に渡していきたいという思いが強いです。
だからこそ最初のキャリアは広告という業界でたくさんのものを作る経験を積み、世の中に出していきたいなと思っています。
そして、人をサポートしたり伝えていくのが好きなので、これからどんな分野にも必要で、本当に必要としている人たちに情報を届け繋げられる可能性の高い「デジタルマーケティング」を極めるため、今の会社に就職することにしました。長く続けるためにもこれから求められること(社会のWin)×やりたいこと(自分のWin)が重なるところを大事にしていきたいから。


いつかはこれまで出会って来た人たちと一緒に何かイベントだったり、教育事業を作ったり、人と人のマッチングができても面白いなと思っています。

山口に残したいもの、今年も山口で学生合宿を開催します!

情報や人の繋がりが遮断された地方でも、私がお世話になって来た福岡のコミュニティのように「学生が自分のやりたいことに挑戦する文化を作る」、そして「社会で本領を発揮して生き生きと生きていく人たちを増やすこと」、これが休学中に見つけた私の人生のミッションの一つです。

そのためこれからも「地方でも様々な人が集まり、自分の知識や経験をシェアして人が育っていくコミュニティを作ること」が私の夢になりました。
それが、イベントなのか、塾や学校のようなものになるか、企業のチームなのか、メディアなのかは正直今は分かりません。とにかく誰かの居場所を作りたい。今は、将来に悩む学生や友人に、生き生きと生きている人たちをどんどん伝え続けようと思っています。

昨年10月に開催した2回目の学生合宿コンパスの時に、自分は卒業するけれどこの活動を続けたいと思いました。
https://www.facebook.com/events/1961058700805102
私が大学5年間で感じた都会と地方の学生の情報格差・機会格差はこの合宿が続いていけば解決するきっかけになるのではないかと。
普段は東京にいますが、後輩達と一緒に今年も山口で合宿を開催することにしました。

〜海外に行ったかのように人や文化の多様性を感じられ、同世代で活動している学生たちと出会い、様々な大人との出会いが山口にいながら実現できる場所に〜
そこに来てくれる県外からの学生や社会人は魅力的な人ばかり。
将来やりたいことを考え始めた大学生にとって、これ以上の機会は山口にはないと思っています。

★2018年8月18日(土)〜19日(日)の2日間で開催
山口学生合宿コンパス〜Third Season
https://www.facebook.com/events/378949402601016/

ちょっとお願い

社会人になったばかりで両立は大丈夫なのかとか、自分が就職したら終わってしまうかもと思いましたが、後輩たちが引き継ぎ少しずつ準備を進めています。きっとこの活動を必要としてくれる人たちがいる限り、絶対にこの活動は続くと信じています。
どうか地方から都会に就職されたみなさん、山口に所縁のあるみなさん、この活動を紹介してください。地方の学生の視野を広げる手伝いをしてくれると嬉しいです。

もし、山口の学生たちのために話してもいいよ!という社会人の方や運営やってみたいという学生の方いらっしゃたらご一報ください。
どんなに僻地と言われようと、情報格差があると言われようと、山口には地域の魅力と温かい人との繋がりがあります。

これからどうなっていくかまだまだ自分でも分かりませんが、人と人を繋げたり、人が「自分の本領を発揮できる居場所」作りはこれからも続けて行きたいです。都会にいながら地方に貢献する働き方や逆に地方にいて都会と働く生き方にも興味があるので、これからも複業的に続けていけたらいいかなと。この数年は一人で仕事ができるようにやりたいことを本業にできるスキルと人との繋がりを作っていきたいと思っています。特に教育や社会貢献活動が苦手なお金を作るということを学ぶことに重きを置けたらいいなと思います。

無茶しがちだったり、強がって自分にとって過酷な選択肢を選びがちな私なので、見栄を張ってそうな時は肩の力抜けよとかご飯行こうとかたまに声をかけてくれると嬉しいです。


だいぶ長くなりましたが、また時間のあるときに就活のことや海外、LESWORLDの活動についても書けたらなと思っています。
就活だったり、人生だったりを考えている誰かの参考になれば幸いです^^
このGWは実家のある北九州にゆっくり家族と過ごすために帰省いたします。良いGWを。東京からは以上です!

※追記:TABICAのサイトが新しくなっていました!
東京で人とのつながりや暮らしを体験したい人はぜひ参加してみてください!


#山口 #大学生活振り返り #就活 #海外 #キャリア支援  



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