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あとがき。

みんな同じ顔に見えるよ、有象無象のiドル。mamaがそう言ってた。部分が見えなければ全体は見えてこないっていうのは本当の話です、二次関数の問題を解くためにはグラフの形と傾きの求め方が分かっていないといけないし、作図能力や軸、座標の意味もりかいしなito。痛みは二次関数。でもみんなの個性を一つひとつ知っていくうちに結局グループ全体を推してたみたいなことありますよね、ひたすら計算しているうちに問題を一目見ただけでkai法が全部分かってたみたいなことありますよね、ところでなんかくうkai?

「自分は交響曲を一瞬のうちに聴いている」とモーツァルト。空海やユングの宇宙体験から彼らの絶望の淵と底を垣間見る、わたし。

「死の匂いがする」は北陸での旅がモチーフになっていて、そういう意味では紀行文と言えるのかもしれないけれど、眼をくりぬくとか、彼女が死んでしまうとか、それらはもちろんフィクション。でも、彼女から死の匂いがしたり、雪を踏みにじると血が顔を出したり、温泉から宇宙を見たりしたことはわたしが本当に体験したこと。わたしにとって現実でした体験やコトバは全然自分の世界には残っていかなくて自分で作り出した映像ばかりが本当になって残り続けていく。それは臨死体験でもしているみたいなものじゃありませんか、家の中から宇宙を垣間見ている。そういえば家にいるのにさみしいなんて言葉を昔好きだった人が言っていた、あのひともくうかい?一瞬の出来事を一万字の交響曲として表現してあげたのにあなたは理解しない、ねえいっかい死んじゃえば?重力の鎖につながれながら、いつまで下手なワルツを踊ってるの?そんな軌道からは早く外れて投げ出されて地球の外から地球を見てきたらいいのに。わたしたちわかれようか、って医者のふり?まだ心臓うごいてるよ、こんなところで遺産相続の話をしないでよ。

わたしは旅をしたころ完全に絶望し衰弱しきっていて、死の底を這うような毎日を生きている。どこへいくにも銀河鉄道に乗っているような心持ち。コミューターバスの運転手に注意されたのに森の奥へ行ったのはなんでだろう。足から膝、膝から太ももの付け根へと雪が地面からぐんぐんと押し寄せてくるのが堪らなく気持ちよかった。あの奥には死があった。あのまま進んでいればきっと死んでいただろうな。でもまだ旅が続けたい気持ちが残っていて、よかった。

情けない。

母親なるものを抱えながら父親なるものを探している。あの森は父の部屋につながっていて、たった1cmにも満たない薄さのドアがまるで鋼鉄の扉みたいに突っ立っている。わたしはどうしてもその奥へ行きたかった。たった8畳しかない部屋の中に何があるのかなんて分かりきっているのに。でも林檎に芯があることは、実際に刃を入れてみないと分からない、それとおんなじ。私が本当に生きていて私に本当に体温があって私の身体から本当に血の泪が溢れ出すんだってことは、自分を傷つけてみなきゃ分からない。わたしはりんご。かわいいりんご。切られるのを待ってるかわいいりんご。

傷つくのが怖くて怯えている人の方が人間らしくて好き、進んで傷つこうとする人は嫌い。でも人類の大半が前者であることはもうわかりきっている。大量の人類の行動パターン感情パターンをAIみたいに学習したら大体の傾向が分かってきて、ああまたこれを見なきゃいけないのかって嫌気がさしてくる、だから前者の人たちも結局は嫌いです。そしてこんな意味の無い言葉と意味の無い生行為を続けている自分はもっともっともっときらい。ああもっと何も考えないで気持ちよくなれる生行為をしませんか。

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