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旅行記

宮古島に一人で行くことになった。航空券を探していたら往復2万円で行けたからだ。

1日目

起きると大粒の雪が降っていた。仕事に行っていないと、明日は雪だとかそうした情報が入って来なくなって、予期しない雪景色にしばらくぼんやりしてしまう。

昨日の残りの硬くなったフランスパンを卵液に浸しながら、出発の時刻を早める必要がある、とまだぼんやり考える。フレンチトーストに珍しくバニラアイスを乗せて、湯煎したカカオ88パーセントのチョコもかける。バナナもわざわざ切って盛りつけた。普段なら絶対しないことをしていると長い休日が始まる実感が湧いてくる。

きっと今朝に戻りたくなる。10日後の自分は絶対にそう思っている。思わなかった年はない。最近、というか2020年ごろから、戻れない今が過ぎていくことが怖い、という思いが強くなった。浮いて滑って流れていくように起こった出来事も考えていることも見えなくなってしまう。書いておく。書いておきたいけれど、書き出すことにかかる時間を計算している段階で処理が重くなる、頭が疲れてくる。ここから4日間は嫌でも時間ができる。ぼちぼちだらだらと書いていく。

ダイソーに行って小さいシャンプーのボトルや歯ブラシセットなどを買い、雪の道を歩く。雪がフリースにへばりつく。髪に乗っかる。それを払い除けずに歩くと家に着く。

出発の2時間前に空港に到着。雪の影響はなかった。早く着き過ぎたと思ってお昼を食べる。ケバブ。書いてある値段がセットの金額だと思っていたら、単品で700円もした。空港価格だ。フードコートは混み合っていたので、外のスカイデッキで食べる。強風。極寒。ケバブは一瞬で冷やされ、中に挟まっていたキャベツの数本は飛ばされていく。座ったからには、と動かない飛行機を見ながら30秒ほどで食べ切る。いそいそと撤退し、中で家から持ってきた炊き込みご飯おにぎりを食べた。花びらたけが入っていたがネバっとしていて不安だ。

チェックインを済まして、保安検査も行い、搭乗。滑走路の線、等間隔に並んだランプ。エンジンの轟音が響くと、ガサガサの無機質なアナウンスとともに離陸に向けた加速が始まる。飛び立つ瞬間の重力を身体が思い出して喜んでいた。

雲の上を飛んでいる。8500メートル、時速550キロ、外気温がマイナス30℃。飛行機はいつ乗っても楽しい。客はすかすかで40人ほど。ちょっとした大型バスに収まるくらいの人数しかいない。外は当然青空が広がっている。雲の上にはまた雲があって間を進む。3時間の内2時間はひたすらに雲海を見ていた。

到着後、タクシーアプリを使って配車。乗ってホテルへ。久しぶりのドミトリーに緊張していた。落ち着いているふりをしがらチェックイン。居間では四人が寛いでいた。最初はドギマギしていたが、会話に入ることができた。晩御飯を食べさせてもらった。宮古そば。炊き込みご飯、スパム炒め。オリオンビール。宮古島の話をたくさん聞いて、ハワイ出身の女オタクの話を聞いて過ごした。

2日目

今日は自転車を借りて宿の周りを走ろうかと思っていたが、他の人が借りていくとのことで、原付を借りる。宿の朝、コーヒーとトーストを食べながら何をするか決めている時間が好きだ。

久しぶりに原付で走り出す。初めは怖いが慣れると楽しい。風が強い、冷たいけれど我慢できなくもない。橋を渡ると宮古島。外周を一周しながら最東端を目指す。岬、風クソ強い。暴風。ちょっと帰りたい。缶珈琲を飲む。すぐ冷める。

そろそろ原付も飽きてお腹いっぱいになってくる。パラパラと雨も降ってくる。宮古そば屋を目指して曇天の中を走る。自転車を抜かして、レンタカーに抜かされるのを繰り返す。蕎麦は少し店の外で待った。ただ、自分の後に人が沢山並び始めると、少し得した気分になる。自分が世間よりも1分だけ行動が早いような錯覚に陥る。一人で来ている人たちのカウンター席に案内されて綺麗に一つ飛ばしで並んで座り宮古そばを啜る。

昼からも原付で走る。相変わらず空は暗く、iPhoneで明るく加工して撮って意味あるのかとか考えている。150キロくらいの距離を走り、島を一周してA&Wのハンバーガーを食べた。チェーン店だけどどうしても食べたくなった。ガソリンスタンドでガソリンを入れたリッター179円。雨に降られて、雨宿りしていい?って聞いてから全然待ちきれず1分も待たずに出発した。

しっとりと濡れて帰宅。みんな頑張ったねって言ってくれた。

3日目

9時くらいまでぐたぐだして、結局自転車を借りることに。なんだかんだ伊良部島にいって伊島観光サービスで宮古そばを食べてヤドカリを見て、17エンドを見て楽しむ。天気がいい。海は水色で知っている海ではなく、リゾートプールのような清潔感があった。海が青い、のではなく水色をしている。水に色があるのだろうか、光が入って、珊瑚礁にあたって透けている。綺麗な景色を写真に撮るけれど、誰もが写真に撮っていてネットを探せばいくらでももっといい写真が出てくると思ってしまう。自分の影を入れて撮る。

帰りは太ももがパンパンになった。伊良部大橋を渡るときに向かい風でほとんどを押した。体力の無さが悲しい。ママチャリで80キロくらい走った。

最終日

紆余曲折ありシュノーケリングをした。うじゃうじゃ魚がいて、思っている以上の量だった。本当は冬なので水に入るつもりなんてなかったため、自分でも何してるんだろうと思う。本当に何してるんだろう。ふわふわと漂っていると魚がいる。それをじっとみて、息を吸って、魚が逃げていく。30種類くらいはいた。ポケモン図鑑を埋めるように、新種を探し続けていくことは現実感があって楽しかった。水族館とは違った楽しみではある。ただ海の中で一人になると怖い。心細い。思っている以上に。海蛇も怖い。

海で2時間くらい浮かんでいた。ぼんやりと想像を超えた体験がしたい、と強く思った。この魚たちも水族館や映像で見たことのあるものばかりだ。素晴らしいけれど予想を超える感動があるかというと、そんなことはない。こんなものか、こんなもんだよな、と思う。はちゃめちゃで現実で予想も想像も超えてくる現象や体験に出会いたい。知らない世界に行きたい。危険もあるかもしれないし、徒労になることを覚悟しなければならない。苦しみや辛さの上にある娯楽以上の歓喜が欲しい。もっとリアルを生きなければならない。

帰りの飛行機が3時間遅延した。どうでもよかった。座ることができず並ばされ、足は棒のようだった。苦労やトラブルが逆に記憶のスポンジの隙間を埋めていく。後から思い出した時に思い出と呼びうるのはこんな体験なのだろう。

本当は一人で何もかもから抜け出してどんよりした空の下で海でも眺めていようと思っていた。たくさんの時間の中で最近思っているぼんやりとした感情を言葉に書き出して整理しようと思っていた。
ただ、気がつくと原付に乗ったり、自転車にで走ったり、海に潜ったと活動的に動いてしまっていて後半はほとんど書けていない。この文章も年明けに書いている。

紅白で藤井風が「きらり」で、『あれほど生きてきたけど全ては夢みたい。あれもこれも魅力的でも私は君がいい』と歌っていた。まるで天寿を全うして、天国のような雲の上からの視点で歌っているようだ。一周回って、一回人生を終えて二周目。その時その時を必死こいて一生懸命生きていても夢みたいに思える時が必ずきてしまう。その時に残るものがキミの私にとっての唯一性や運命性であって欲しい。そんなかけがえのないキミ。存在すればいい。

私たちは消去法みたいな恋愛をしているのにそれに誰も気づいていなくて、うっすらと気が付いていても目を向けようとしない。友達は適齢期だから出会いの多い場所に出かけたり、友達に紹介してもらった人と付き合ったり、マッチングアプリで付き合ったり。勝手に運命を感じたり、感じさせられたり。選んでいるつもりで選ばされていく。人生の物語性を支えるものが恋愛と結婚と子育てしかないみたいで、焦って追われて妥当な線を繋いでみる。

命よりも愛よりもお金よりも大切なものを現在進行形で失い続けている。全てを失った後、かけがえのない人生に意味が欲しい。何もまとまらない旅だった。

触ろうとすると遠ざかる熱帯魚 そんなに触りたくもなかった

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