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日記8月8日

充実した連休二日目を迎えるために、起きてからすぐにキューバサンドを作ることにした。三ヶ月前、ホットサンドメーカーの2倍くらい横に長いフォルムをしたキューバサンドメーカーを買った。キューバサンドを極めるぞ、と意欲を燃やしていた時期があったものの数回作っただけで放置してしまっていたが、今日再び作ってやろうと思った。豚肉を塩、ブラックペッパー、ウスターソースで炒めて真横に切ったフランスパンにセットし、チーズとピクルスを挟んでプレスする。焼き上がったキューバサンドを食べる。フランスパンの外は波型に香ばしく焼けザクザクと音を立てて口の中へ入っていく。パンの中はもちもちしていて、具材は豚肉の油とチーズが絡んでおり、時々ピクルスの酸味が現れる。朝からこんなに美味しいものを手間をかけて作り出す余裕に対して満足する。勢いよく食べた後は、50センチメートルくらいに育った向日葵に水をやる。関係ないけど死神の鎌が命を刈り取る形をしているなら、じょうろは命を受け渡す形をしていると思う。どうしてそんなことを思ったのだろう。満たされているからか。

今日はどこにも行かない余暇の有意義な過ごし方をするために映画を見ることにした。The有頂天ホテルだ。多分7回くらいは見ていると思うが、ゲオで借りた。正確に言うと借りてしまったと言う方が正しくて、買い物袋のひき肉や鶏肉やアイスを車内に放置したままDVDを選んでいる時、素早く5分以内に借りるぞ、と思って店内を物色した結果、何回も見たはずの有頂天ホテルがカゴに入れられていたのである。年をとるたびに新しいものがうっすら怖くなる。新しい映画はたくさん出ていてもどうせ予告詐欺みたいな映画だよって声が滲んで聞こえてくる。直接的に感じていなくても、そういった思いが背景にあって、未知の面白いか面白くないかわからないものよりも、過去に見た面白い映画で安心したいのだ。そして、逆にどんどん思い出の中で面白く評価が高まっていくThe有頂天ホテル。面白いと脳が判断している面白い作品を見ることが好きだけれど、それでいいのだろうか。そして、実際に見て何回も見ているけど面白い。それでいいのだろうか。
以前職場でうまい棒テリヤキバーガー味が配られた。この味美味しいよね、なんて話をしていると一人の若い女性がこう返してきた。
「私、うまい棒はコーンポタージュ味しか食べたことないんです」
一瞬会話に流しそうになったが、猛烈に気になった。「コーンポタージュ味だけしか」チーズ味もサラダ味も納豆味だってあるのに、試したりなんかせずにコーンポタージュ味しか食べないなんて。あまりにもコーンポタージュ好きの信念に忠実すぎてくらくらしそうになった。テリヤキバーガー味をはじめて食べるところを見せて、と言ったら困惑していた。私もなんでそんなことを言ったのかよくわからなかったが、浮気の現場を見たかったのだと後で気づいた。


午後は同じ市内の実家へ顔を出した。用意してもらった昼食をオリンピックの適当な話をしながら食べる。食べ終わると母は嬉しそうにスイカを持ってきて、私が好きだったから買ってきたんだ、と言った。私はスイカが好きではない。正確には保育園とか小学校低学年とかの時は好きだったと思うが、今は好きではない。少なくともテンションが上がるほどの食べ物ではないのだ。母はずっといつまでも何歳になっても私はスイカが好きだと思っている。私はその思いを残念な空気に変えないために嬉しそうに食べている。お盆に毎回これを繰り返しているのだ。おそらくこの流れは私か母が死ぬまで続くだろう。

そして夜8時。
オリンピックの閉会式が始まる。閉会式の会場の周りは開会式と比べ人が全然いないようだ。オリンピック中止のダンボールを持って叫んで最後まで闘うデモの人を見たい、それぐらいの矜持を持っている人はいないのか。信念を貫き通して欲しい。オリンピック開会式が終わる。2020がやっと終わる。

サングラスして見えないシャボン玉を吹く決戦と書いたTシャツの人

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