月刊フットボリスタ第35号 [新世代メディアとサッカー] 書評

初夏の薫りに包まれ始めた夕方の代官山が、全ての始まりだった。

フットボリスタ。紙媒体のメディアとして、非常に先鋭的な内容を扱ってきた良い意味で「異質」なサッカーメディアの存在は、当然知っていた。週刊の頃は愛読していたし、マッチレビューの濃さと戦術への並々ならぬ拘りは、僕のような戦術好きにとってはお菓子の家のように魅力的なものだった。

フットボリスタは月刊となり、大きく変わったという話を聞いていた。2年の英国生活を経て、僕自身と日本の紙メディアとの距離も広がっていた。その編集長と、会うことになったのである。

編集長の話を聞いていると、ある事実に気が付いた。フットボリスタは、尖ったままだったのだ。全国的に有名な媒体となったにも関わらず「新世代メディア」の一員であろうとする姿は、サッカーメディア全体に抱いていた漠然とした閉塞感を打ち破るには十分なものだった。幸運にも立ち上げて間もないDEAR MAGAZINEというメディアに関わることになった私にとって、フットボリスタは超えるべき敵ではなく、新世代メディアの先鋒として我々を引っ張ってくれる「先輩」に見えたのだ。

だからこそ、私も記事を寄稿して欲しい、という申し出を快諾した。更にDEAR MAGAZINEも新世代メディアの一角として取り上げてくれた。彼らは常に変化を求め、新世代メディアの突き上げも苦にしない。それどころか、新世代メディアの先頭を走ろうとしている。前置きは長くなってしまったが、本題の書評に移るとしよう。

http://www.footballista.jp/magazine/31636

 短文化していくWEBメディアに対抗するように、質への拘りを根本として力を増してきたのが新世代メディアなのだろう。広告収入を得るためにPV至上主義に傾倒していくWEBメディアは、徐々に派手なタイトルと解りやすく切り取った情報を売買し始めた。

http://wired.jp/2016/01/03/page-views-dont-matter/

 そんな中、「WEBメディアは、長文に不向きである」という常識が独り歩きしていく。そんな傾向に疑問を抱く若きWEB世代のジャーナリストが世界中に溢れていた。そんな彼らは、それぞれの道を歩み出す。彼らのインタビューに共通する「質」への拘りは、本来消費者が「質の高い情報に飢えている」という仮説を証明するかのようだ。彼らはそれぞれに「大手メディア」が発見出来ないギャップを見つけ出して、力を蓄え始める。


「ジャーリズム全般について言えることですが、一般大衆は知能が低いと決めつける考えが強過ぎる(以下略)Tシャツをだらしなく着て歩いている18歳も、時には知的なものを求めるのです」

by ウルティモ・ウオモ編集長 (本誌内より引用)


 大手メディアに対するカウンターカルチャー的に萌芽した、「新世代メディア」だが、彼らの持つビジョンは明確だ。大手メディアと競合するのではなく、質を高めることで熱狂的なファンベースを掴み取る。速報性では勝てないとしても、彼らは明確な価値基準を持っている。その「信頼」がメディアの武器となっていくのだろう。いつ読んでも楽しめる記事の提供、に力を入れていることも興味深い。一方で、価値基準の変更はメディアのマネタイズを複雑なものとするリスクもある。新世代メディアの運営者達も、そこには苦慮していた。現状の広告収入がPVに依存しているのも、また事実だからだ。


「ニュースを大量投下してサイトの性質を変えることは意図していません」

by ウンディチ編集長(本誌内より引用)


 クオリティ・マガジンの復活も興味深い。速報性に依存しない質、は元来より「雑誌という媒体」が得意とするところだ。質を求める消費者に、「質の高い」デザインでパッケージングすることは、更に保有したいという欲を刺激していく。文化系の雑誌は、「ライフスタイルを提案する」ことをビジネスモデルとして目指している、ということを以前聞いたことがある。

「美魔女」というフレーズも一つの提案だった。そういったスタイルで生きたいと考えていた女性達にとって、メディアの特集は嵌ったのだ。彼女たちは安心感を得て、そのスタイルを楽しむようになる。

新世代のフットボール雑誌も、フットボールの新しい楽しみ方を提示してくれるものだ。サッカー文化を扱う雑誌、サッカーにおける「注目されないところ」を扱う雑誌は、世界に溢れるフットボールファンに新しい目線を提示する。彼らは情報を売っているのではなく、新たなスタイルを売っているのだ。

非常に興味深いことに、「信頼を切り売りするような」メディアは長期的には評価を失っていく。派手な見出しは爆発的なPVをもたらすかもしれないが、時に信頼を失うリスクも内包している。

WEB時代のPV至上主義を超えたところには、「PVの価値」がある。それは純粋な滞在時間で評価出来るものではないかもしれない。その記事がどれだけ、読者の心に残ったのか。その記事を読んだことで、何かしら行動に変化をもたらしたか。最終的に可視化出来ないところにメディアの価値が移動していくのは不思議な気もするが、ある意味で真理なのだろう。情報化社会で溢れる情報の中で、人々の心に響くものを書くことはどんどんと難しいものになってきている。DEAR MAGAZINEも新世代メディアの一角として取り上げてもらったように、彼らと共通のビジョンを持っている。

http://www.footballista.jp/special/31716

我々の目指すもの、そしてフットボリスタの目指すもの。フットボリスタの新世代メディア特集は単なる「ヨーロッパの潮流」ではない。これはメディアの変革に関わる大きな流れであり、波だ。そして読者という立場から見ても、「自分たちが今後、どのようなメディアを楽しんでいくべきなのか」を問われている。気付きに溢れた「新世代メディア特集」を楽しんで欲しい。

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