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「永遠の少年」フランチェスコ・トッティの詩的な別れ。

歴史を象徴するアタッカーが、カルチョの世界に別れを告げた。ASローマの象徴として双肩にクラブを背負い続けた王子は時の流れと共に「ローマの王」となり、スヴェン・ゴラン・エリクソンの言葉を借りれば「ローマの神」となった。

資本主義に支配された現代フットボールでは、フランチェスコ・トッティのような生き方は難しい。若くして辣腕代理人と契約し、多額の移籍金を置き土産に名門へと移籍。少年時代は親友として中盤でコンビを組んだミケル・アルテタとシャビ・アロンソがそれぞれ別のクラブに引き抜かれ、プロとして共演することが叶わなかったように、運命は若き才能を容赦なく弄ぶ。だからこそ、ASローマのサポーターはフランチェスコ・トッティを全身全霊で愛し続ける。運命に逆らうように、1つのクラブに全てを捧げる男を。

物語の始まりは、彼が4歳の時だ。小さな身体に不揃いなユニフォームを身に纏った細身の少年は、8歳の子どもたちを容赦なくドリブルで切り裂いていった。労働者階級出身の少年は、名門として知られるASローマユースでも傑出した才能を発揮。そこから先は、あえて大仰に語るまでもない歴史となる。

「28年のキャリアを幾つかの言葉で表すことは、不可能だ。歌や詩に出来れば良かったのかもしれないが、俺にそういう才能はない。だから、全てをフットボールで表現することにした。それが一番、俺にとっては簡単な方法だった」

元来、彼は天才肌のアタッカーであり、多弁なタイプではない。それでも、ボールに触れば「フランチェスコ・トッティ」は雄弁に攻撃の指針となった。前を向いた状態でのスピード勝負と正確なシュートを得意としていたFWは、ルチアーノ・スパレッティの「ゼロトップ」によって新境地を開拓。視野の広さを生かして「周りを追い越す選手」を使う術を習得した彼は、ゴールを背にしていても溢れ出るアイディアを形に変えられるようになっていく。

時を経るにつれて、プレイヤーとしてのフランチェスコ・トッティは大人になっていく。しかし、彼の中に溢れていたのは極彩色のアイディアだった。現代的なフットボールに適応しながらも、子どもの頃から知り尽くしたローマという環境が彼の中にいる少年を守り続けたのかもしれない。

「子どもの頃、最高の玩具はフットボールだった。それは、今も変わらない。だけど、どこかで俺も成長しなければならないみたいだ。時が肩を叩き、明日からは大人になるんだと告げている。ユニフォームを脱ぎ、芝の香りを感じることができない大人になれと」

フランチェスコ・トッティは、「少しだけ長く子どもでいること」をサッカーの神様に許されていたような選手だった。引退する日まで、彼の見る世界は変わらなかった。特に2015-2016シーズン、ナポリ戦で見せた美しいボールコントールは圧巻の一言。

コントロールの難しい浮いたパスを、舞うようにワンタッチしながら自然にゴールを向くような絶妙なタッチ。浮かせたボールによってシュートを意識させながら、相手の背後へとふわりと浮き球を合わせる。

ズデネク・ゼーマンは、「フランチェスコ・トッティはローマだ」と述べた。街の象徴になった「永遠の少年」が旅立つ時、ピーター・パンのようなお伽噺は終わる。

誰よりも詩が似合わなかった男が、誰よりも詩的に別れを告げる。ローマのサポーターを少年の頃に戻してしまうような、魔法のようなプレーを置き土産に。

「もう、この脚で皆を楽しませることは出来ないかもしれない。だけど、俺は永遠に皆の側にいる。子どもの頃、俺を歓迎してくれたロッカールームに戻って、俺は大人の男としてそこを離れることにするよ。素晴らしい28年を有難う。愛している」


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