第12話 『ちゃん』から『くん』へ

「あの……着替えにくいんですが、そんなところにいられると……」
 白百合島へきて、部屋へと案内された後に久しぶりとなる男物の服を着ることになるあさひ。それを、興味津々で凝視しているのが一人のメイドの姿がいた。
「わたくしには気にせず、どうぞ。」
「いや、『どうぞ』といわれても……」
 メイドとしては、着替えも手伝ったりすることが当たり前なのだろうが、さすがのあさひはミラに丁重に部屋の外へと出てもらうことにしていたが、なかなか首を縦に振ることはなかった。そんなミラを、ほぼ強引に部屋の外へと追い出すと、扉越しに懇願するミラの声が室内に聞こえてきていた……
「そんなぁ~。あさひさまぁ~見せてくださいよ~」
 扉の外でこの世の終わりのような声を上げながら、懇願するミラをよそにそそくさと男物を数か月振りに着用したあさひは、かえって落ち着かなくなっていた。
『……普通の当たり前の格好に戻ったのに、なんで違和感があるんだ?ぼくは……』
 白百合荘へ来る前と同じ男物の服を着て本来の姿になったあさひだったが、女の子としての生活が長かったせいなのか、男物の服に対してかえって違和感が沸いてしまっていた。
 まして、白百合島のコテージのこの部屋に来るまで『女の子』として行動してきたこともあり、この部屋からいきなり『男の子』として行動するのだから、違和感があって当然のことだった。
「……まさに、男の娘ですね。……」
「っっっっ!いつの間に!?」
「愚問ですね。ここは、メイドたちの庭みたいなものですよ?合鍵のひとつやふたつ。常備してますから。」
「えぇぇっ!」
 着替えもそこそこで、お付きのメイドのミラをが部屋にいることに気が付くと、あさひの姿を見て、目を輝かせていた。
「うわぁぁぁ。こ、これが。男の『娘』というものなんですね!」
「いやいや、男の『子』ですから!もう……」
 たしかに、小顔のボブヘアに大きな瞳と華奢な体に男物のラフな服という、男の子でありながら、女の子の容姿を有したあさひをみたミラ。知識の元がアニメや漫画から知識を得ているミラにとって、あさひの世話そのものがご褒美と化していた。それを示すかのように……
「ちょっ!ミラさん!」
「う~ん!かわいいぃぃぃぃぃ~」
 思いっきりあさひを抱きしめているミラだった。それは、まるで夢に見た光景を現実で確認しているオタクのソレに近しいものだった。それからというもの、ロビーへと向かう道中の間ずっと、目がハート状態のミラがずっとウキウキしながらあさひの後ろを随伴していた。
「ふふ~ん。かわいい~」
「あの~ミラさん。」
「んん?何かなぁ~あさひくん。」
ミラの『くん』のイントネーションが強めなことが気になったが、それはともかくとして、あさひを見るミラの目がハートマークになってしまっていることが気になって仕方なかった。
「どこまで、いっしょに?」
「えっ?ずっとですよ。」
「ずっと?」
「えぇ。」
 今日のあさひの用事は、いずみ・あやの・みやびの三姉妹と共に、プライベートビーチやその周辺のヴィラを観光する予定になっていた。そのどれにもついてくるつもりでいたミラは、目を輝かせながらルンルンのテンションであさひの後ろをついてきていた。そうしている間に、ロビーへと到着すると、すでにいずみ・あやの・みやびの三人が待ち受けていた。
「ようやく来たわね。あさひちゃん。あ、ここでは。あさひ『くん』か。ふふふ。」
「そうよね。あさひ『くん』だなぁ。なかなか、かわいいじゃん。」
「…………。うん。似合ってる。」
 中央の階段を下りてくるあさひを、三姉妹が三者三葉な返事をしているなかで、妙にみやびの返事がいつもと違ったような気がしたあさひだった。
 そして、あさひの後ろをついて歩くミラにこの後、いずみからショッキングな通達がなされてしまった。
「ミラ。あなた、お留守番ね。」
「へっ?」
 まったく、予想していなかったようであっけにとられてしまうミラ。それに反比例するようにテンションの上がるララだった。
「観光では、ララにあさひくんのお付きとして、来てもらうわ。」
「えぇぇぇぇぇ!そんなぁ~」
「悪いわね、ミラ。観光は、私に任せなさい!こんなにかわいい子をガイドできるんだもの、お付き冥利に尽きるわ。」
「いずみ様!後生ですから、何とか。」
「もう、ミラ。あなたは、お留守番!いいね。」
「そんなぁ~」
 車に乗って出発するあさひを含めたいずみ一行を乗せた車を、まるでこの世の別れのようながっくりと腰を落としてミラが見送っていた。その姿を見たあさひは、さすがに可哀そうな気持ちになっていたが、決定権のあるいずみはそうでもない様子だった。
「あれでいいんでしょうか?」
「いいのよ……だって……」
「だって?」
「ミラ。前科があるから……」
「えっ!」
 それは、数年前の事。学園の友人を白百合島へと招いたとき、その時も同じようにミラに友人を任せていたのだが、いずみのその女友達にいろいろと仕込ンでしまったらしく、学園への帰郷時には性癖が全く変わっていたこともあった。
 そのことがあって以来、ミラを専属でつけることはなくなり、ララとミラで持ち回りになる事になっていた。
「そんなことが……」
「だから、あさひくんも注意してね。」
「そうだな。何かされなかった?抱き着かれたりとか……」
「なんでわかるんですか?あやのさん。」
「私なら、抱き着いてるもの。男の子の恰好をしてても、かわいいのには変わりないからね。」
「えぇっ!」
「あやねぇ。それ、どうなの?かわいいのには、同意するけど……。」
「えっ!」
 あやのはその美貌とスタイルの良さから、惚れられることはあっても『惚れること』に関しては、全くの初心者だったこともあり、普通に接するだけでもいつもとは違った感覚に襲われるようになっていた。
 まして、体育祭でのことをきっかけとして、妙にあさひを意識するようになってしまっていた。あやの本人も、初めての気持ちのゆらぎに、どう対応していいのかわからずにいた。
『……あぁ、もう!どうすればいいの?意識しちゃう……。なんなの?ふたりの花嫁って……』
 そんなあやのが悶々としているのをよそに、みやびがあさひの隣へ座る。連休明けには文化祭が控えていることで、移動の最中もタブレットを持ち込んで打ち合わせも兼ねていた。
「あさひさん。文化祭の件なんだけど……」
「そうだね。そろそろ、考えておいたほうがいいかも……」
 同じ背格好で、年齢も近いとなれば一番恋愛沙汰に発展しやすいのが、あさひとみやびのペアだが、そんな浮いた話は全くなくいつものようにやり取りをしている。しかし、そんな噂はどこへやら。いすみとあやのの姉妹には、まったく違うように見えていた。
 そんな二人を見て、あやのといずみはほぼ同じ印象を受けていた……
『距離。近くないか?』
 あやのにとっては、一番下の妹で一番の保護対象であるみやびは、かわいい存在で目に入れてもいたくないほどの、かわいがったこともあった。そんな可愛い妹のみやびが、夢の中とはいえ結婚式まで想像してしまった相手と、一緒にいるのだからあやのの心はどうしてももやもやしてしまう……
『……あ。あれは、擦り合わせをしてるの、よね?きっと……』
 一方のいずみとて、みやびを可愛がっていることには変わりなく、あやのに続き二人目の妹ということもあり、あやのも含めてより守りたい相手がどんどん増えていく。そんな相手が、次第に成長していくにつれて当然のように手がかからなくなり、今では自分でバイトをするほどにまでなってきていた。
 いずみにとって、手がかからなくなることで、落ち着いた一面もあるが心にぽっかりと隙間ができたように、寂しい感じになっていた。そんなさなかに白百合荘へと入寮してきたのがあさひだった。
 寮生ということはもちろんのこと、書類の手違いで女の子として生活を強いてしまっていることや、生徒会長秘書としての手伝ってもらうことも増え、いずみの右腕としての存在が大きくなり始めている。
 そして、芽生え始めた感情に戸惑いつつも、平静を装っていても心の中では、あやのと同じようにもやもやした感情が渦巻いていた。
「ここなんですが……」
「ん?」

ぽにゅん。

『!?』
 この密着ぶりに一番反応したのが本人ではなく、いずみとあやのだった。
『ちょっと!くっつきすぎでない?』
 まるで、カップルのように密着しているようにも見えるその光景は、タブレットに保存されている書類に夢中なのに合わせ、いつものように接していたが、いずみやあやのは、ふたりの密着具合があまりにも近いために、ソワソワしてしまっていた。そんな二人を他所に、移動先であるヴィラへと到着した。
「やっと到着で……おおっ!」
「どうしたの?あさひく……ん!」
 病弱だった幼い頃は、海に行ったとしてもほとんどがベランダから眺めてる程度で、実際に泳いだり水着を着てほかの子供たちと遊んだりなどは、夢のまた夢だった。まして、中学・高校と進学しても、病弱は治らず白百合荘へと越してくるまでには『海で遊ぶ』ということ自体が、あさひにとっては皆無だった。
「海。こんなに近くで見たことがない……」
「あさひくん。海は初めて?」
「はい。病弱だったので……」
「そっかぁ。プライベートビーチもあるから、気兼ねなく楽しむといいよ。」
「なんで、あやねぇが自慢げなんですか?」
「いいじゃない。うちら姉妹のパパさんの建物なんだし……」
「それはそうですが……」
プライベートビーチに用意されている洋上ヴィラは、島から突き出すようにして家が建っているような見た目で、初めて見るあさひにとっては、洋上に家がちょこんと建ててあるように見えていた。
「へぇ~これ、水中に杭を打ち込んで建ててあるんですね。」
「あ、こっちからは、水中が直に見える……」
 興奮気味にコテージを走り回る姿は、おもちゃを与えられて喜ぶ子供のようにはしゃいでいた。一通り色々と見て回ったあさひは、ほかの三姉妹が優しい目であさひを見ていた。
「あ、すみません。僕だけはしゃいじゃって。」
「ううん。いいのよ。」
「それじゃぁ。あさひくんも落ち着いたことだし、水着に着替えてビーチにでも行かない?」
「ですね。あさひくんも着替えてビーチに集合ね。」
「はい。わかりました。」
 それから、三姉妹とあさひはそれぞれに割り当てられた個室に向かい、各々が水着に着替える。あさひも割り当てられた部屋に入り、クローゼットを開けるとこんなメモが残されていた。
『あさひくんへ。どちらの性別の水着を選んでみてもいいよ。by.ミラ』
 それは、お留守番のはずのミラからの書置きだった。いつの間にか用意されていたその水着は、しっかりと手入れがされていて、色とりどりの水着が並んでいてなぜか男物の水着がすくなかった。
「ミラさんは、そこまで僕の女の子水着姿を見たかったのか?。まぁ、着ないけど……」
 あさひが着ないことを知ったら、がっかりしているミラの表情が容易に想像できるあさひだった。白百合学園での女の子としての生活によって、それまで着ていた男物の服は、着られることがなくなり箪笥の肥やしとなっていた。
 それが、今回の旅行に来ることになったことでようやく、日の目を見ることになっていた。
『……ようやく男として行動できる……』
 意気揚々と、男物の服装へと袖を通すあさひ。着慣れている「はず」の男物の服のはずが、いざ。男物の服を着る微妙な違和感に襲われることに気が付く……
「着たけど……。着たけどさ……、なんだろう。この『男装』をしている感じ……」
 白百合平野に来てからというもの、ほとんどの時間を「女の子」として生活していたことから、女物の服に着慣れてしまっていることで、より違和感に襲われてしまってた。それも、私服ではなく「水着」であることから、より違和感が感じやすさを助長していた。
『……こ、これでいいんだよな。』
 男子であれば、水着を着る際に胸を隠す必要があるはずがなく、しないのが普通なのだが、何か落ち着かない感じに襲われていた……
『……普通に、上に何か羽織っていこう……』
 リビングに集合したいずみ・あやの・みやびを合流したあさひは。三人の表情に驚いてしまう。
「あさひくん……よね?」
「そうですけど、何かおかしいところでもありますか?」
「別に、女の子の姿を見慣れてるから、微妙に違和感があるけど……。これが普通なのよね……」
「そうですよ、僕は『男の子』なんですから。」
 それから、水上ヴィラに隣接されているプライベートビーチへと行くと、ビーチパラソルやビニール製のサマーベッドもあらかじめ用意されていた。
「さて、軽く泳ぐ?」
「ですね。折角の海なんだし……」
「わたしに気にせず。楽しんでください。」
「相変わらずよね。みやびは。」
「海に来たからと言って、そこまで海に興味もないので……」
 そういうと、みやびは一緒に持ってきたバックの中から、タブレットを持ち出し何やら書き始めた。それを見ていたあさひに、後ろから声がかけられた。
「あさひくんも、一緒に海に入りましょうよ。」
「はい。いまいきます。」
 いずみの呼ぶ声にこたえる形で、それまでに着ていたジャケットを脱ぐと、肌の白さが際立つあさひの素肌が顔をだす。
「あ、あの。そんなじっくり……見られても……」
「ご、ごめんなさい……。それにしても……」
『……雪のようにきれい……』
 華奢な体に透き通るような白い肌。一見すると、少女の姿のように見えてしまうが、しっかりと骨格もしっかりしていたりと、男の子っぽさを感じられる部分もあった。しかし、それが、かえって女性らしい鎖骨の形や細くくびれた腰を形作っていた。
 その姿は、タブレットに視線を落としていたみやびの視線すら釘付けにしていた。いずみ・あやの・みやびは以前にもプールの授業の際にもあさひの水着姿を見ることはあったが、授業の時の『女の子』としてのあさひではなく、ここにいるあさひは『男の子』としてのあさひだった。
「あの。先ほども言いましたが……、あんまり。じろじろと見られると……」
「あ、ごめんね。あさひくんも、男の子だったんだね。」
「だから、先ほどから……」
 互いに微妙な空気になってしまったところで、いずみとあやのがヴィラへと飲み物を取りに行く……
「わたし、飲み物取ってくるね。」
「いずみねぇ~わたしも~」
「じゃぁ。私も……」
「いいの、みやびはあさひさんの相手してて。」
「は、はい。」
 飲み物を取りに行ったいずみを見送ったふたりは、パラソルの下でくつろぎながら、何の気ない話をしていた。学園の事や、連休後にある文化祭の話などをしていた。
「文化祭は、みやびが仕切るって言ってたけど……」
「えぇ。姉のあやねぇから引き継ぐ形で、私がすることになってます。」
「一年なのに?」
「学園では、一年だからとかは、関係ないのです。優秀であれば、一年でも抜擢されることがあります。現に、あさひさんも生徒会の秘書という役割になっているじゃないですか……」
「それはそうだけど……」
「なので、それが普通なんです。」
 みやびの真面目な性格は、長女のいずみ譲りなのか、少々頑固な一面もちらほらと見え隠れするが、どこかにやっぱり気負ってしまっている部分もあった。
「うぅ~ん」
「どうしたの?」
 頭を抱えて考え事にふけったみやびは、何やら悩んでいる様子だった。かといって誰かに相談するという訳ではなく、なんとか『自分で』という気持ちが強いのか、あさひにすら相談するそぶりがなかった。
「あぁぁぁ!!」
「おぉっ!」
 煮詰まり具合が頂点に達したのか、いきなり上げた大声に驚くあさひ。そして、何を思ったか、羽織っていた上着を脱ぎだす……
「ちょっ!みやびちゃん?」
「なに慌ててるのよ。オイル。オイル塗って。気晴らしに泳ぐから……」
「う、うん。」
 華奢な体とはいえ、出るところは出ているみやびの体は、ほかの姉妹とは違いそっちの趣味の人には評判が上がりそうなスタイルを持っていた。
「なに、オイル塗るのなら、いずみねぇかあやねぇのほうがいい?」
「いや、そういう訳じゃ……」
「そりゃぁ、ほかのねぇねよりかは、育ってないから……って、ほら。とっとと塗って。」
 華奢な体を横にしたみやびは、水着の上をほどいてうつぶせの状態で横になる。その綺麗な透き通るような肌の小さな体は、女の子のそれだった。
「ちゃんと、しっかり『手で』温めてからね。」
「は、はい。」
 サンオイルを自分の手に出して、ある程度温めたあさひは、優しくみやびの背中へと触れる……
「それじゃ……」
「ひあっ!」
「あっ、ごめんなさい。」
「いい。ちょっと、くすぐったかっただけだから……」
 それから……
「んあっ!」
「はあっ!」
「んんっ!」
 あさひが背中を撫でる度に、みやびは艶っぽい声を連発していた。その声を聴くたびに、あさひの理性をビンビンと刺激してくる。
「みやび。変な声出さないで!」
「仕方ないでしょ。でちゃうんだから……」
 そんなやり取りをしているうちに、塗り終わり上体を変えようとしたあさひが、お約束というか、手を滑らせてみやびの背中へ体重を載せてしまう。
「うわっ!」
「きゃぁ!」
 ちょうどサンオイルを塗った直後に、あさひが倒れこんでしまったために、互いの体にサンオイルが付いた状態になってしまい、立ち上がろうにも滑ってしまう。まして、もがけばもがくほどに、小さい布地のみやびの水着は脱げそうになってしまう……
「ちょっ!あんまり動かないで!」
「でも、どかないと……」
「んっ!だから、動くと……」
 にっちもさっちもいかない状態の場合、最悪な条件というのは揃うもので、サンオイルまみれになっているふたりのもとに、飲み物を持ってきたいずみとあやのが戻ってきた。
「な、なにをしてるのかな?みやび。あさひくん」
「なに?あっ。みやび。ずるい。ひとりで楽しんで……」
 ふたりの登場でその場が常夏にはありえないほどに、冷え込んだのは言うまでもなかった。あさひが事情を説明して、みやびもそれに同意したことで、事なきを得たが、あれほど沈黙が怖いと思ったのはこれが初めてだった。
 それからというもの、しばらくの間。無実とはいえ、みやびと絡んでいたことで、いずみがあさひを凝視する時間が続いた。ヴィラに帰った食事のあと、夜風にあたるみやびは何やら、星空を眺めながら物思いにふけっていた……
『スベスベだったなぁ~あさひくん……』
 みやびの姿をたまたま居合わせたいずみの表情は、少し悲し気だったことは言うまでもなかった……

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