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第1話 うつせみに変わる単語の意味は、想いを告げるための言葉?

「はぁ。マスター。」
「ん? どうしたんだい?」
 気ままのどかな日常のひだまりカフェの店内で、サヤカが困った表情でマスターと離し始めていた。午前の休憩時間も終わり、昼までの短い時間だったがブツブツと独り言のように話し始める。
「実は…告白されちゃって…好きですって…」
「おやおや。それは、私が口を挟んでいいものなのかな?」
「はい、聞いてほしいんです。マスターには。」
「ほうほう。では、その告白には納得していないって感じなんだね。」
「はい。そうなんですよ……」
 告白されたというにもかかわらず、サヤカの表情は曇ったままで、一般的な告白をされた女性とはちょっと違っていた。

 遠くを眺め、どこか物思いにふけるサヤカ。そして、同じ大学で年上のタカシはそのサヤカの普段は見せない姿に、思わずヤジを飛ばしてしまう。
「なんだ、サヤカ。フラれたのか?」
「おやおや。タカシくんも言うねぇ…ふふっ。」
「はぁ、タカシはっ!」
「ふごっ!」
 ムッとしたサヤカはタカシのみぞおち目掛けて肘鉄をすると、突飛な声を上げるお約束的なやり取りをしていた。そんなやり取りを、クスクスと笑いながらも、マスターはいつものように二人の相手をする。
「サヤカくんは、モテるだろうからねぇ。器量もいいし……」
「マスターぁ。そんなことないですよぉ~」
「いやっ、サヤカ…バシバシ叩かないでくれ…」
「ほらっ、あなたも何とか言いなさいよっ!」
バシッ!
「あうっ!」
 お客の流れも途切れたことで、キッチンでカップを洗うタカシと、それを受け取るサヤカ。ふたりは同じ大学だったものの、学部が違うため学内では会うことはないらしいものの、ボケとツッコミのような間合いの取り方が絶妙で滑稽。
 その姿は、マスターがやり取りをしていてもクスッと笑ってしまうほどだった。妻に先立たれたマスターは、このカフェでひとやお客との会話を楽しむようになっていた。その中でも収穫だったのが、この二人である。

『全く、君たちは、見ていて飽きないものだ。ふふっ。』
 タカシとサヤカのやり取りを見ているマスターは、どうしても若かりし頃を思い出してしまう。若いころのマスターと奥さんも同じような感じで、奥さんからの鋭いツッコミが糧になり、楽しく生活をしていた。
 病気で先立つ形になった妻だったものの、つながりでもあったカフェを経営することで、あの時一緒に入れなかった今を続けていたのだった。
『おっと。焦燥感に浸ってしまったなぁ…。』
 ふとマスターの昔に想いを馳せている間も、視線の先ではタカシとサヤカが夫婦漫才のような掛け合いをしていて、売り言葉に買い言葉ではあったものの、どちらも程度をわきまえているため、どちらも言い過ぎるということはなく安心してみていられた。
「ふたりとも、夫婦漫才はそれくらいにして……」
「め、夫婦!?」
「は、はぁ? なんでこいつと夫婦なんですかっ!」
「ちょっ。それは、こっちのセリフ…」
「はいはい。二人とも…今は、サヤカくんのことだったね。」
「あっ、そうだった…」
「はぁ。これだから、男子は…」
「ふふっ。」
 相変わらずの日常が、バックヤードで繰り広げられている。これだけでもマスターは楽しすぎて仕方がなかった。まるで息子と娘がやり取りをしているようにも見えていた。

「それで、告白されたんだよね? それなら、喜ばしいことじゃないか。」
「あっ、そうなんですよ。でも、その彼のことは、私も知らなくて…告白されて初めて知ったくらいなんですよ。」
「ええっ。そいつは、どこがよかったんだろうなぁ。」
「タカシは、黙っててよ。もぅ。」
「はーい。」
 相変わらずの夫婦漫才のようなやり取りを続けながらも、マスターはサヤカの話に聞き耳を立てていた。
「惚れるのは一時でもあるからねぇ。その彼は、サヤカくんの器量を見抜いたのでは?」
「いやぁ。そんなわけがないですよぉ。もぉ、マスターは、話がうまいんだからぁ~」
「ふふっ。タカシくんだってあるだろう。一目惚れ。」
「ありますねぇ。ふと、見せる横顔だったり、普段気が強い子が弱い一面が見えたりとか…もう。上げたらきりがないですよ。」
「ふふっ。」
「うわっ。見境がないのね。男子は……」
 タカシの横で怪訝な表情をして呆れつつも、サヤカはその男性についての話を続ける。どうやらサヤカと同じ学部で、専攻も同じようだった。
「ほうほう、どうやら同じ専攻だからというよりも、同じ専攻に進んでなった。という可能性もあるね。」
「そうなんですか?」
「彼は、そこまで得意そうではないんだろう?」
「はい。ことあるごとに聞いてくるので…おそらく…」
「ならそうさ。その学部に入ったのは、ほかでもない、サヤカくん目当てなのさ。」
「ええっ。」
 はじめて知ったような彼の、意外過ぎる行動力に驚きながらも、サヤカなりの答えを導き出そうとしていた。
「でも、そこまで接点。ないんですよ? 私と彼って…」
「だからこそさ。」
「えっ?」
 マスターは自分の経験則を交えながら、サヤカに諭す。それは‘男性’ならではの反応で、日本語ならではの伝え方がそうさせていた。

「日本語というのは、ある意味では想いを伝えるための言葉なのさ。」
「そうなんですか?」
「あぁ。何気なく話すときに使う‘ひらがな’は、貴族が恋文を紡ぐために、考案したとまで言われているからね。」
「そうなんですね。」
 客と話すときや、何の気なしの会話でも、マスターはゆっくりと話すことが多かった。それは、言葉の意味をしっかりととらえた上で、言葉を紡いでいた。
「こうして何気なくサヤカくんに話しているけれど。私のこの言葉一つでも、意味合いが異なってくる場合もある。例えば…好きという言葉でもそうさ。」
 マスターは小さいメモ用紙を出すと、そこに好きという単語を書いて見せる。そして、そこから複数の枝葉を書き、それぞれ意味合いを書いていく。
「単純な‘好き’という言葉も、親友としての‘好き’や恋人としての‘好き’もある。まぁ、後者の好きは、恋愛対象の好きということにもつながるが…」
「単純な親友としての‘好き’の可能性もある。」
「ですね。」
「サヤカくんは、その場で返事を出していないんだろう?」
「はい。返事は待ってと……」
 サヤカの返事を聞いて、うなずいたマスター。それを確認するかのように、言葉を続けていく。
「それが得策なのかもしれないね。まずは、相手を知らないとね。」
「そうですよ。」
「まぁ、友達から始めてみるというのもあるだろうけど…どちらにしろ。日本語は恋愛向けということも言えるね。」
 メモ帳にざっと書いたマスターの文字は、いろいろな方向へと伸び意味合いを表していた。そのどれもが、別々の場所で使われ、別の意味合いとして通じてしまう。同じ単語だとしても、発音で違ったりシーンで違ったりと、使い方次第で変わっていた。

「言葉というものは、うつせみに変わるものなのさ。」
「ですよね。高校生の時はよく、ギャル語が流行ってましたから……」
「ふふっ。」
 クスクスと笑いながらも、マスターは話を続ける。
「新たな言葉が生まれたり、ソーシャルメディアで広まっていくのも、想いを伝えるためにだからね。」
「ですね。」
 手元にあったメモと同じ場所にペンを置いたマスターは、サヤカに向けてまとめたのだった。
「告白に応える・応えないはサヤカくん次第さ。どちらにしろ、その相手に寄り添えるかどうかにかかってくるわけだし。」
「なるほど…わかりました。私なりの答えを出してみます。」
「そうだね。恋せよ乙女だな。」

 クスクスと笑いながらも、サヤカのマスターへの相談は終わったのだった。
 そして、翌日。サヤカは告白してきた相手に、きっぱりと断りを入れたのだった。
「本当に良かったのか? 断っちゃって…」
「いいのいいの。」
 カフェのバックヤードでカップを磨きながら、タカシと話したサヤカだった。

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