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ダウンタウンという希望。

ダウンタウンが好きだ。松ちゃんも浜ちゃんも好きだ。
あの2人の笑いが好きだ。残念ながら盲目的に好きなのだ。
通ぶることなく、基本的に全部好き。

それはきっと2人が何を言うか以上にテレビの画面にいてくれること。それだけで幸せに感じるのだ。なぜか。それはダウンタウンという存在が僕の希望だったから。

中学のとき、僕はコンプレックスの塊となった。アトピーとチビ、メガネ。モテたいという思春期の気持ちをぶち殺すほどの自分に自信が無くなる要素にため息をつく日々だった。諦めるのは簡単だったけど、諦めることは出来ないほど僕はキラキラ生きていくことに憧れがあった。

そんなときにダウンタウンの人気が、その根源となる「笑い」という自己表現方法が僕にとって希望になった。

「もしかしたら笑いをとればモテるかもしれない?」

なぜかそう思った瞬間があった。それはHEY!HEY!HEY!で頭を叩かれているにもかかわらず嬉しそうに笑っている女性アーティストの表情を見たときだ。なんだその顔は?笑いを極めるとこんなことが起きるのか。僕はその謎に没頭するようにダウンタウンの番組を見漁った。「遺書」を代表する書籍も読んだし、もっというとダウンタウンに憧れたお笑い芸人たちのことも勉強した。

そこから「笑いをとる」ことについて研究し、先生のミスにはツッコミを入れたり、友達に訳のわからないあだ名をつけたり、教科書の写真は基本的に「写真の一言」だと思ってセリフを加えた。消化訓練のときは、わざと逃げ遅れて屋上から「助けてー!」と叫ぶし、コントをするために生徒会にも立候補し、全校生徒の前でコントをした。ボケてボケてボケまくった。

そしたら不思議なもので、モテたのだ。勝った。そう思った。笑いが僕のコンプレックスを救ってくれた。その経験が根っこにあるから、努力は裏切らないと思えている今がある。

だから、ダウンタウンは恩人なのだ。2人が笑っている姿をずっと見ていたい。おそれだけで勇気が溢れてくる。


最後に、当時の僕はお笑いがコンプレックスを解消してくれたと思ったけど、書いていて違うと思った。コンプレックスがあったからお笑いを頑張れたのだ。そして、そこから自信がついた。つまり、コンプレックスが自信を連れてきてくれたのだ。そしてその自信が、ありのままの自分を受け入れさせてくれる。ありがとう、僕のコンプレックスたちよ。君たちのおかげで自分が好きになれたよ。


追伸
大学生になったら急に面白くてもモテない環境になった。話をする人より、話を聞ける人の方がモテるようだった。もう遅いよ。思春期で恋愛観を確定させるのは危険だ。




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