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将棋を教えることに経済的合理性を持ち込むことは将棋文化を破壊することになることについて

月100万円稼げるようにしてあげたいという人がいらっしゃいまして、それについて将棋界を根本から破壊する行為なので仮にも将棋連盟の普及指導員の立場として警鐘を鳴らします。

そもそも「教える」という行為について経済的合理性を持ち込むことは、最終的に「一部の金持ち」と「払えない人」だけになるか、「だれもいなくなるの」のどちらかで最終的に文化が破壊されます。どういうロジックか少し丁寧に説明してみます。

たとえば月100万円稼ぐ要件としてなにが必要か。時間が有限である以上
・教える人数
・単価
のどちらかを極端に増やさないといけなくなります。

たとえば、一回30人で一回6000円で3時間で18万円。それを月に5回やって90万円。こんなイメージでになるとおもいます。将棋教室いったことある方はわかるとおもいますが、指導対局はどんなにがんばっても一度に5人MAXぐらいといった感じです。ということは30人一気にやるのは不可能なことはわかる。

とすると、単価をあげるしかなくなる。たとえば一人個人レッスンで3万円とか。すると3万円払う人間は6000円の5倍のリターンを求める。ところがノーベル経済学賞を受賞した行動経済学によると、心理的に5倍どこではなく対価として5倍以上を求めるようになります。たとえば、一ヶ月で初段とか、そういうのです。つまり「コストと得られるパフォーマンス」という測定軸が発生します。この教室を仮に「一ヶ月で初段になれる教室」とする。

となると次の二つシナリオが想定される。
・「初段に一ヶ月でなれる教室」の単価が釣り上がっていく
するとなにがおきるか。人気のある将棋教室にはお金持ちしかいけず、短期的には儲かるかもしれないけど、どんどんマーケットが狭まっていく。さらにいえば、ここに現役プロ棋士
仮に参加してきたら、絶対にレッスンプロは吹っ飛ばされますよね。

・「初段に一ヶ月でなれる教室」だらけになってダンピング合戦になる
経済的合理性が働けば、当然価格が下がる。ということはもっと付加価値をつけるようになりともかく安くいかに客にきてもらうか…すると収入はあれ、さがりますよね。

他にもあるかもしれないけど、少なくとも100万円稼げる方法なんてないんです。100万円を月に稼ぎたいなら仕事は他にはあるのでそこを目指したほうがとてもいいです。

さて、その上でもっと違和感を覚えるのが、「稼げるようにすること」といってる人のこと。へんですよね?え?わからない?

「稼げるようにしてあげる人」(以下A氏)の目的はなんでしょうか?もしもこれでA氏が稼げなければそもそも「稼げるようにしてあげる」ということに信憑性がでないでしょう。つまりA氏なんらかの方法で稼ごうとしている。古来より芸術文化はパトロン性(江戸時代の能楽とかそれこそ将棋もパトロン性ですよね)なので、ほんとうに儲かってるならパトロン性にして個人的に月100万円渡せばいい。しかも見返りをもとめず。

でもそうせずに「稼げるようにする」という遠回しなことにする目的はなんだろうか。結局「この仕組みで自分がお金を稼ぎたい」という以外に他ならないだろう。(あるとしたらもっと大きな稼ぎがさらにあるのかもしれない。)ということは「将棋で100万円稼ぎたいという人が増えれば増えるほどA氏もうかる仕組み」になってるということだ。これって「壺を買えば幸せになります」の不安商法以外なにものでもない。

やりたい人はやればいい。ただそやった人は自分がお世話になった将棋の文化を破壊していることを覚悟して、後世に汚名を残す覚悟をしたほうがいい。そもそもA氏が自分の名前ださずにやってることも変だよね?そもそもちゃんとやるなら自分の名前で世間に問えばいい。

「一見正しいことをいってる人」が「長期的にはおかしいことしている」のは第二次世界大戦のドイツみてればわかる。ちゃんと歴史に学ぼう。

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